直木賞候補作を紹介するシリーズの最終回は、『能楽ものがたり 稚児桜』(淡交社)。長年、能に親しんできた著者の澤田瞳子さんが名曲にインスパイアされて生み出した8篇の時代小説の短篇集だ。
短篇のタイトルと設定、下敷きになった能の曲目は以下の通り。
「やま巡り」―都の遊女・百万と小鶴は越中国の山の中で怪しげな老婆と出会い、一夜の宿を借りることになる。その礼にと百万が「山姥」の舞と歌を披露しようとすると......。(原曲『山姥』) 「小狐の剣」―刀工・小鍛冶宗近の娘・葛女は、弟子の豊穂の子を身ごもる。帝の御剣を作れという勅命を受け、父の大切な刀を盗んで逃げ出した豊穂を葛女は探し出すが......。(原曲『小鍛冶』) 「稚児桜」―清水寺の稚児としてたくましく生きる花月。ある日、自分を売り飛ばした父親が突然面会に現れるが、新参者で勤めになれない百合若を自分の代わりに差し出す......。(原曲『花月』) 「鮎」―天下を取るべく隠棲先の吉野で挙兵した大海人王子。密偵の蘇我菟野は左遷先の西国で悲哀のうちに死んだ父の汚名をそそごうと近江宮に急報を告げる機会を窺うが......。(原曲『国栖』) 「猟師とその妻」―越中国の山で出会った男から「自分は死んだと妻子に伝えてほしい」という伝言と形見の品を預かった僧・有慶。遠い陸奥へ旅立つが......。(原曲『善知鳥』) 「大臣(おとど)の娘」―義母に疎まれた元右大臣の姫君を密かにかくまう乳母・綿売。ある日、偶然再会した生き別れた娘から姫君は山中で殺されたという噂を聞かされ......。(原曲『雲雀山』) 「秋の扇」―遊女・花子は、かつて愛を交わした吉田の少将を追って京へ。形見の扇を手に下鴨神社に現れる姿が評判となる。屋敷に迎えたいと少将が現れるが......。(原曲『班女』) 「照日の鏡」―高名な巫女・照日ノ前に買われた醜い童女・久利女。翌日、生霊にとりつかれた光源氏の妻・葵上のもとに連れていかれるが......。(原曲『葵上』)
原曲にインスパイアされたという通り、澤田さんは相当自由に原曲の設定を変え、独自の作品世界を創り上げている。
たとえば、「やま巡り」。原曲の「山姥」は、山奥に棲む山姥が、都から来た女芸能者「百万山姥」の前に現れ、仏教の摂理を説いて舞を舞うというものだ。哲学的要素と芸能的要素が絡み合った、世阿弥の作品である。だが、本書では、舞を披露するのは山姥ではなく、百万になっている。
また、モチーフも売り飛ばされた子どもたちがたくましく生き抜くという現世礼賛の物語と転化している。
そういえば、タイトルになっている「稚児桜」に登場する稚児たちも親に売り飛ばされた子どもたちである。親との対面を拒んだ花月は、こう言う。
「親父からすれば、おいらも百合若も全然区別がつかねえんじゃねえか。それにあいつは結局のところ、おいらが必要なわけじゃなく、息子を売り飛ばした後ろめたさに急き立てられ、ここまで来ただけに決まっているさ」
8つの短篇はそれぞれに味があり、好みの作品を楽しめばいいだろう。能には亡霊が登場するが、本書の作品はすべて人間しか登場しない。原曲がどうなっているかを想像しながら読むのも一興だ。
評者には、「猟師とその妻」がとりわけ印象に残った。殺生をするのが嫌で陸奥を出奔してきた猟師。その女房は殺生に一片の呵責も覚えない気丈な女だった。連れ合いを失った女房を慰めてやりたい一心で遠くまで来た僧は、からめとられそうになっている己に気がつく。
本書は「茶のあるくらし」=「和のあるくらし」を提案する淡交社の月刊「なごみ」に連載された作品を集めたものだ。あまり直木賞と縁のない版元の作品だが、これを機会に能に親しんでみようという読者にはお勧めできるだろう。
著者の澤田瞳子さんは1977年京都府生まれ。同志社大学文学部文化史学専攻卒業、同大学院博士前期課程修了。2011年、デビュー作『孤鷹の天』で第17回中山義秀文学賞を受賞。13年、『満つる月の如し 仏師・定朝』で、本屋が選ぶ時代小説大賞2012ならびに第32回新田次郎文学賞を受賞。16年、『若冲』で第9回親鸞賞を受賞している。
BOOKウォッチでは、今回の直木賞候補作の伊吹有喜さんの『雲を紡ぐ』(文藝春秋)、遠田潤子さんの『銀花の蔵』(新潮社)、馳星周さんの『少年と犬』(文藝春秋)、今村翔吾さんの『じんかん』(講談社)を紹介済みだ。
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