21世紀になってまだ20年――だが、本書の題名は『22世紀を見る君たちへ』(講談社現代新書)と気が早い。近未来本の中では、かなり先まで踏み込んでいる。
いま生まれている赤ちゃんはかなりの割合で22世紀まで生きるはず。そのとき、世の中はどうなっているのか。21世紀を生き抜くには、いったいどんな能力が必要とされているのか。
著者の平田オリザさんは1962年生まれ。劇団の主宰者で劇作家。「静かな演劇」の提唱者として有名だ。戯曲の代表作に『東京ノート』(岸田國士戯曲賞受賞)、『その河をこえて、五月』(朝日舞台芸術賞グランプリ受賞)、『日本文学盛衰史』(鶴屋南北戯曲賞受賞)など。著書に『演劇入門』『演技と演出』『わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か』『下り坂をそろそろと下る』(以上、講談社現代新書)、『芸術立国論』(集英社新書)、『新しい広場をつくる―市民芸術概論綱要』(岩波書店)、小説『幕が上がる』(講談社文庫)など多数。
野田秀樹(1955年生まれ)や鴻上尚史(1958年生まれ)の少し後の世代の純然たる演劇人だと思っていたら、別の顔があることを知った。東京藝術大学COI研究推進機構特任教授、大阪大学COデザインセンター特任教授も務めている。
さらに本書で驚いたのは、最近は兵庫県豊岡市で暮らしており、同市の教育政策・文化政策全般を手伝っていることだ。文化政策担当参与という肩書も付いている。2017年度からは演劇的手法を使ったコミュニケーション教育を、市内38の小中学校で実施している。小学6年生と中学1年生が毎学期、演劇の授業を体験しているのだという。
単なる演劇人ではなく教育者。それも大学だけでない。地方自治体の義務教育の場にも関係している。本書はそうした平田さんのユニークな実践をベースに、「22世紀」まで生きる子どもたちのことを考えたものだ。
子ども向けの生き方論というと、すぐに思い出すのがミリオンセラーの『漫画 君たちはどう生きるか』(マガジンハウス)だ。本書もおそらく意識したのだろう、表紙には女子中学生をイメージしたイラストをあしらっている。
吉野源三郎が『君たちはどう生きるか』を書いたのは1937年だった。日本が戦争への道を突き進む中で、治安維持法での検挙歴もあった吉野は、「戦後」の希望を子どもたちに託して同書を書いたと思われる。実際、戦後もロングセラーになった。
だが、今日の子どもたちを取り囲む環境は大きく様変わりしている。平田さんは、村上龍の『希望の国のエクソダス』(文春文庫、2002年)の一節を引用する。
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、『希望』だけがない」
平田さんは1970年の大阪万博のころを想起する。そのころの日本人は、「現状に強い不満を抱えながら、将来に大きな希望を抱いていた」と推し測る。70年代前半には大学紛争が終わり、沖縄返還、中国との国交正常化。そしてベトナム戦争も終結。日本は2度のオイルショックを切り抜け、80年前後には「アズ・ナンバーワン」といわれるようになる。しかし、プラザ合意、バブルを経て、低成長時代を迎え、「希望だけがない」国になった。子どもたちに何をどう説けばいいのか。平田さんはおそらく平田版の「君たちはどう生きるか」を書きたかったのだろう。だが、あまりにも時代が変わった。
本書は以下の構成だ。
序 章 未来の漁師に必要な能力は何か? 第1章 未来の大学入試(1) 第2章 未来の大学入試(2) 第3章 大学入試改革が地域間格差を助長する 第4章 共通テストは何が問題だったのか? 第5章 子どもたちの文章読解能力は本当に「危機的」なのか? 第6章 非認知スキル 第7章 豊岡市の挑戦 終 章 本当にわからない 付 録 22世紀のための問題集
この中で切実なのは「序章」だ。かつて漁師になりたいという子どもがいたら、それなりのアドバイスができた。もし親が漁師なら、船の動かし方や、漁場や天候に関する知恵を、しっかり伝授することができただろう。ところが今はそれが難しい。平田さんは以下のような問題点を列挙する。
・22世紀に漁師という仕事があるかどうかがわからない。 ・漁師という仕事があったとしても、必要とされる能力について予想がつかない。 ・それは漁業ロボットを操作する能力かもしれない。漁から販売までを一元化し、六次産業化していくコーディネート力かもしれない。あるいは、養殖の技術や遺伝子組み換えについての研究こそが、漁師の本分となるかもしれない。 ・すでに豊岡市の隣町の、カニ漁で有名な香美町では多くのインドネシア人が漁業実習生として漁に携わっている。もしかすると、これからの漁師に必要な能力はインドネシア語の習得や、イスラムの習慣への習熟かもしれない。
これは一例だが、類似のことは多いと見る。今は「英語教育」が重視されているが、将来、実際に必要になるのは中国語かもしれない。
本書の表紙にキャッチコピーが付いている。「これから大切な能力っていったい何だろう?」。平田さんは正直にいう。「わからない。本当にわからない」「未来が予測不能なのに、いったい、私たちは、子どもたちに何を教えればいいのだろう」。
平田さんが近年、地に足がついた活動を続けている豊岡市は兵庫県の北部にある。人口約8万人。同市を含む但馬地方は兵庫県の面積の約4分の1を占め、東京都全域に等しいが、人口は約16万人にとどまる。教育文化行政の目的は、この地域から俊才を生み出し、有名大学に送り込むことではない。ここで生まれ育った子どもたちが、この地域をきちんと背負っていけるよう育て、住み続けたくなるように環境を整備することだ。
本書には、平田さんがそのためにやっている「演劇的手法を使ったコミュニケーション教育」以外にも、いくつかの具体例が記されている。年間20日間しか使われていなかった1000人収容できる施設は「城崎国際アートセンター」としてリニューアル、300日も稼働するようになった。市内の様々な施設を使った演劇祭も動き出し、演劇を軸とした専門職大学の開校も準備中だという。
平田さんは東京都目黒区の駒場で育った。通った区立駒場小学校は東大駒場キャンパスに隣接し、一学年約100人のうち5人が東大に進んだ。さらに周辺には筑波大附属駒場中高、駒場東邦中高、加藤登紀子さんや吉永小百合さんの都立駒場高校と名だたる進学校がひしめいていた。いわば、スーパー教育先進地区だった。しかし、平田さんは競争レースからドロップアウト、駒場高校定時制を選び、自転車で世界一周の旅に出た。55歳で初めて父親になったことも明かしている。
本書はそうした平田さんの、少しわき道にそれて、紆余曲折を経た半生を基軸にしている。「未来は本当にわからない」としながらも、「本書は、そのわからなさに対する、私なりの彷徨の軌跡」だと書いている。
巻末には「22世紀のための問題集」が掲載されている。いずれも択一式の答えがある問題ではない。記述式。「わからない未来」に向けて、訳知り顔で何かを説き、「正解」をかざすのではない。「わからない」と正直に告白し、未知の課題に対し、多様な発想で取り組み、解決能力を身に着ける必要があることをアドバイスする。そうした基調は、『君たちはどう生きるか』とつながる部分があると感じた。
BOOKウォッチでは関連で、『教育格差――階層・地域・学歴』(ちくま新書)、『英語教育幻想』(ちくま新書)、『教育激変』(中公新書ラクレ)、『なぜ、いま学校でプログラミングを学ぶのか』(技術評論社)、『大学改革の迷走』 (ちくま新書)、『大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起』(集英社新書)、『なぜ日本だけが成長できないのか』(角川新書)、『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎)、『2060 未来創造の白地図』(技術評論社)、『未来の地図帳 人口減少日本で各地に起きること』(講談社現代新書)なども紹介している。
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