現代の「知の巨人」と呼ばれる立花隆さん。田中角栄研究からロッキード裁判、宇宙、サル学、脳死......と幅広い分野で著作活動を続けてきた。膨大な蔵書や仕事の方法論について書いた本はあったが、あまり自分について語ることはなかった。本書『知の旅は終わらない』(文春新書)は、初の自伝的内容になっている。
立花隆さんは1940年、長崎市生まれ。本名、橘隆志。まもなく80歳になる。13章で自分史を振り返っている。大学受験や就職、会社を辞めての学士入学、結婚などプライベートについても率直に明かしているのが、立花ファンにとって最大の魅力だ。以下の構成。
第1章 北京時代と引き揚げ体験 第2章 幼少時代から高校まで 第3章 安保闘争と渡欧前夜 第4章 はじめてのヨーロッパ 第5章 文藝春秋時代からプロの物書きへ 第6章 二つの大旅行 第7章 「田中角栄研究」と青春の終わり 第8章 ロッキード裁判批判との闘い 第9章 宇宙、サル学、脳死、生命科学 第10章 立花ゼミ、田中真紀子、言論の自由 第11章 香月泰男、エーゲ、天皇と東大 第12章 がん罹患、武満徹、死ぬこと
立花さんの父は長崎のミッション系の女学校で国語と漢文を教える教師をしていたが、アメリカ人が創設した学校だったので、太平洋戦争とともに失職。北京の学校で働き口を見つけた。一家は終戦後、日本に引き揚げてきた。その時の体験が「ノマド(遊牧民)」という漂流者的な生き方を立花さんに植え付けたという。
一家は父の実家があった水戸に移る。茨城大学教育学部附属の小学校、中学校と進み、猛烈な読書体験をする。学校の図書館では足りず、水戸市立図書館、茨城県立図書館と利用できる限りのところから借りた。中三の時に書いた文章を引用しているが、膨大な本のリストに驚くばかりだ。
高校は水戸一高に入るが、都立上野高校に転入する。湯川秀樹博士への憧れから理系をめざすが、色弱だから理科には行けないと言われる。旺文社の大学入試模擬試験で全国一番になり、文学への興味から東大に入学する。
大学では原水禁活動に夢中になり、カンパを集めて、ロンドンで開かれた学生青年核軍縮会議に出席する。その際のヨーロッパ体験が立花さんの世界観を形成したという。
朝日新聞にいた二つ上の兄から、「新聞社だけはやめろ」と言われ、卒業して文藝春秋に入社、「週刊文春」編集部で働く。ノンフィクションへの目を開かれるという先輩との出会いはあったが、仕事が嫌になり、3年目で辞め、東大の哲学科に学士入学する。
そして中国哲学のゼミで、荘子について一字一句をゆるがせにしない精緻なテキスト解釈をたたき込まれた。物書きの職業に役立ったそうだ。
立花隆のペンネームを使う前の無署名原稿時代についても初めてふれている。ゴーストライターとして画家の香月泰男の『私のシベリヤ』(筑摩叢書)を書き、先方の了承を得て、立花隆の署名入りで再出版したことも詳しく書いている。
この時代の金稼ぎ仕事が週刊誌「ヤングレディ」のアンカーマンの仕事だった。梨元勝さんや鎌田慧さんらと楽しく仕事をしたという。
創刊まもない「諸君!」の仕事がその後の立花隆をつくった、と書いている。
「文春社内の小さな会議室を占領して、資料を山のように並べて、データマンを二人つけてもらって、あちこち取材した上、沢山の図表も制作して記事の中にはさみこみました」 「この手法というのは、考えてみれば、その三年後の『田中角栄研究』でやったこととそっくりなんです」
立花さんが立花隆になるまでのプロセスについて詳しく明かしているのが、本書の最大の特徴だろう。
また最後に書きたい本についても言及している。まだまだ、立花さんの知の旅は終わらない。
BOOKウォッチでは、『立花隆のすべて』(文藝春秋)を紹介済みだ。
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