突然の解散総選挙――。政権側はいろいろ理屈を述べ立てているが、世論調査で今回の解散を妥当とする声は少なかった。「安倍延命」の手段と受け止めた人が多かったからだろう。さらに突然、「希望の党」ができたかと思うと、そこに民進党の過半が合流するという驚天の動き。与野党とも立派な建前を主張するが、「ご都合主義」が透けて見える。
永田町を跋扈するのは、あまりにも小粒・軽量・浮薄になった政治家たちだ。もう少しマシな政治家はいなかったのか。そんなことを思いながら、『保守政権の担い手』を再読する。
本書は岸信介、河野一郎、福田赳夫、後藤田正晴、田中角栄、中曽根康弘という、戦後の保守政権を担った首相クラスの超大物6人が自らの生い立ちと激動の政治人生を語ったものだ。日本経済新聞「私の履歴書」の連載を、「保守政権の担い手」として一冊にまとめた。それぞれの「履歴書」の中には、個別に単行本化されているものもあるが、6氏を通覧できるという点では便利な本だ。
大方の評価が高いのは「田中角栄」である。文芸評論家の小林秀雄が連載中に、その筆力を絶賛し、日経の編集局長あてに「文章は達意平明、内容また読む者の胸を打つ」と葉書を送ったという逸話が残っている。
生い立ちから少年期や青年期、苦節の末に実業の世界で名をあげて政治の道を進むまでの波乱の半生が、講釈師のような「角栄節」でつづられている。笑いあり、涙あり。エピソードも豊富だ。石原慎太郎のミリオンセラー『天才』は、かなりの部分をこの「履歴書」からの引用に頼っている。それだけ内容がドラマチックで、「立志伝」としての物語性に富んでいるということだろう。
「中曽根康弘」も興味深い。官僚出身者の「私の履歴書」は防弾チョッキを着たような記述になりがちだが、中曽根氏は俳人でもあり、内省的な一面も平気でさらしている。「首相在任中の五年間、私は時折、日記をつけていたが、今読んでみるとその自己弁護ぶりに顔が赤くなる」。そして内助を尽くした妻をたたえ、「人生には栄辱がつきものだが、我々の場合は栄は妻が作り、辱は私が起こした」と自省が続く。
もちろん自作の「私の履歴書」だから、誇張されたり隠されたりしたことも多いだろう。伊藤忠商事の元会長の丹羽宇一郎氏は近著『死ぬほど読書』の中で、「『自伝』は眉に唾をつけて読む」と注意を喚起している。たしかに、立花隆氏の『田中金脈研究』は、「履歴書」に書かれてなかったことを暴いて世間に衝撃を与えた。
とはいえ、中曽根氏の、次のような言葉には含蓄がある。
「日本の帝国主義的な膨張や侵略によって被害を受けた国々の恨みや怨念は、戦争が終わって百年、三世代のあいだは消え去らないことを知るべきである。我々は次の五十年、外交に安全保障、さらに自制と謙譲の道を歩まなければならない」
「私は求道者としての政治家として石橋湛山、片山哲氏らを高く評価している」
ロングスパンの歴史認識や、立場の異なる政治家への敬意。いずれも今日の勇ましい政治家たちに、いささか欠けているのものではないか。「国難」「日本をリセット」などの壮語が飛び交う総選挙だからこそ、戦後の日本をつくった骨格のしっかりした政治家たちに思いをめぐらし、彼らが書き残した言葉を反芻しておきたい。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?