最終回が目前に迫るNHKの連続テレビ小説「スカーレット」。これは陶芸家・神山清子(こうやま きよこ)さんの半生を参考に制作されている。一方、那須田淳さんの本書『緋色のマドンナ――陶芸家・神山清子物語』(ポプラ社)は、神山さんからの聞き書きをベースにフィクションとして描かれている。
ドラマと小説はリンクしている? 本人からの聞き書きということは、ノンフィクション? と思いがちだが、那須田さんは読者の誤解を招かないよう、こう書いている。
「ドラマの主人公と神山清子さんはあくまで別ですので、その点はご理解ください。」
「視点が異なれば見えるものも違うものですし、関係者の氏名も仮名にしてあります。あくまで小説の物語としてお読みいただければと思います。」
本書は「日本六古窯の一つ信楽の地で、戦後の早い時期に女流陶芸家として注目され、室町の頃から続く古信楽の緋色の肌を蘇らせつつ、新しい造形の世界を切り拓いた」神山清子さんの半生を描いた小説。
ここでは、主人公・清子が絵付け師をめざすまでの歩みを見ていこう。
清子は1936年、長崎県の佐世保で生まれた。当時の佐世保は、日本有数の軍港として栄えていた。父は鉱山の発掘や鉱脈の発見・鑑定をする山師。母は旧華族という名家で育った頃のお嬢様気質が抜けず、家事全般が苦手ときている。そんな家庭環境もあり、清子は七歳の頃には一家の食事の世話をしていた。それに加えて弟と妹の子守り、買い物、掃除、家計簿をこなす「小さな主婦」だった。
父は賭け事が好きで、仕事と言って何日も帰らない日が続いたり、たまに帰ってきては、質に入れて値がつきそうなものを持って出て行ったりした。あるときは母と清子を賭けることもあった。そんな父の日頃の振る舞いが災いし、ついに佐世保にいられなくなった一家。新たな鉱脈をみつける山師を探していると聞き、はるばる滋賀へと夜逃げ同然でやってきたのだった。
1947年、一家は信楽町に転居した。ここでようやく信楽焼きの登場である。
「信楽焼きは、鎌倉時代一三世紀の後半に、日常の器を焼く窯として始まったとされるが、このあたりはもともと古代から多くの朝鮮系の渡来人が住んでいたこともあり、紫香楽宮造営のとき、瓦を焼く職人として朝鮮人たちが活躍し、その技術をひろめ、次第に和風化していったともいわれている。」
中学校を卒業した清子は、和裁と洋裁を教える専門学校に進んだ。清子はもともと絵を描くのが大好きで、画家になりたいと思っていた。美大は無理でも、せめて高校で美術部に入りたかった。しかし、父に猛反対される。家で自己流ながら浮世絵風の絵や、映画女優の似顔絵を鉛筆でデッサンするのが、清子の数少ない楽しみとなった。
ところが、一度は夢をあきらめかけた清子に転機が訪れる。陶器に絵を描く絵付け師という仕事があることを知ったのだ。絵付け師になるにはどこかに弟子入りするしかないと考え、老舗の窯元を訪ねるが、「女のくせに窯元に入りたいんか?」「陶芸の窯っちゅうとこは神聖な場所やぞ、どこの窯も昔から女人禁制やで」と門前払い。清子が歩もうとする絵付師、そして陶芸家としての道は、最初から平坦なものではなかった。
そこから清子は、果敢に挑戦をつづけ、出会いを重ね、夢の世界へと飛び込んでいく――。一方、私生活では会社の同僚・神山雅也と21歳で結婚し、ふたりの子宝に恵まれる。しかし、雅也の浮気などにより歯車が狂い始め、離婚に至るのだった。
離婚してから、古信楽独特の自然釉の焼きものを焼き上げて、新進の女流陶芸家として一躍注目されるようになるまで、貧困のどん底にあった。窯焚きの薪のお金をかき集めるため、弟子から借金したり、ゴルフ場のキャディ、皿洗い、土木や建築現場で男にまじって日雇い労働をしたりしたこともあった。
「お母さんの人生って、人さまからしたらほんま壮絶やで。不幸の博覧会や。よっぽど前世の行いが悪かったんやね」
「前世のことなんか知らんわ、わたしのせいやないしな」
時を経て、清子と娘の間でこんな会話が交わされる。そして「(自分の)つくる焼きものに、自分の苦労まみれの人生が少しでも投影されるのなら、それはそれで嬉しいと思う」のだった。
佐世保に生まれ、滋賀に移り、信楽で陶芸家としての道を歩み始めた清子の半生について、著者はこう考察している。
「それは同時に、女性が職業人として、社会の中で自立していくことでもありました。それは図らずも差別や因習からくるハラスメントとの戦いでもあったでしょう。それらは社会が成熟してきたとはいえ今も消えてはいません。ただ清子さんが苦闘の中でも道を開いていったように、後に続く人々がそれぞれの世界で少しずつでも前に進んでいくことが大事かとも思います。」
最後に、フィクションから離れて、神山さんの知られざる功績を紹介したい。
息子・賢一さんは、神山さんと同じ陶芸家の道に進み、将来、日本の陶芸界を背負って立つかもしれないと期待されていた。ところが、「慢性骨髄性白血病」と診断され「余命二年」と宣告される。そこから神山さんは、賢一さんとともに骨髄バンク運動の発足に深く関わり、社会に大きな貢献を果たしたのだった。
本書の帯には「苦労も失敗も朗らかに乗り越えて、新たな道を切りひらいた女性陶芸家・神山清子の情熱的な人生の物語。」とある。ただ、評者が感じたのは、神山さんの半生を俯瞰したような、さらっとした読後感だった。もっと感情的にドラマティックに描き込んでもいいかと思ったが、神山さんからの聞き書きということで、著者はあえて過剰な脚色は加えず、真実に近い形にしたのかもしれないと思った。
著者の那須田淳さんは、1959年静岡県生まれ。早稲田大学卒。ドイツベルリン市在住。著書に、第51回産経児童出版文化賞、第20回坪田譲治文学賞を受賞した『ペーターという名のオオカミ』など。和光大学、青山学院女子短期大学、共立女子短期大学非常勤講師。
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