昭和の人気作家、獅子文六(1893~1969)は長年、忘れられた作家だった。戦前ははつらつとした少女を描く『悦ちゃん』で、戦中は真珠湾攻撃で戦死した若者が主人公の『海軍』で、戦後になると『てんやわんや』『大番』が大ヒット、それぞれ映画にもなった。自伝的小説『娘と私』はNHK朝の連続テレビ小説の第一回だ。日本を代表する新劇「文学座」の創設者で、新劇界の重鎮でもあった。
そんな著名作家が、死を境にぱったり読まれなくなった。書店に著作が消えた。話題になることはほとんどなくなった。
本書『評伝 獅子文六 二つの昭和』(ちくま文庫)の著者、牧村健一郎さんはたまたま、実家の父の本棚にあった『娘と私』を手にしたのをきかっけに、文六作品を読み始め、面白さにとりつかれたという。平明で明るい文章、てきぱきとした進行、ウイットにとむセリフ、深い人間観察、いずれもただものではないと感じた。まさに「大人の文学」だ。大正末に渡仏、結婚したフランス人女性と死別し、昭和初期の東京で混血の女児を育てるという実人生も、波乱に富む。こんな魅力ある作品と人が埋もれてしまうのは実にもったいない、と「義憤にかられて」調べ始め、『獅子文六の二つの昭和』を刊行(朝日選書)したのは十年前だった。書店に在庫はないから、図書館や古書店で作品をさがして取材、執筆した。
近年、文六を「発見」する人々があらわれた。古本屋で探し(装丁がモダンで目につく)、名画座で原作映画を見て、魅了された人たちだ。ツイッターや口コミでじわじわ評判が広がった。ちくま文庫で文六作品の再刊が始まると、予想を超える大反響。初回の『コーヒーと恋愛』(原題『可否道』、平成25年再刊)は20刷、8万部とか。活字離れ、出版不況といわれる中、驚くべき数字だ。
文六作品は、時代と密接にからんでいる。そんなことは知らなくても、充分楽しめるが、時代背景を知ると、軽快さにかくれた苦い味がみえてくる。昭和モダニズムの洗礼を受け、パリ留学も経験した教養人がなぜ、戦争協力とみなされる『海軍』を書いたか、「戦犯」視された戦後を、どう乗り越え、復活したか。時代と向き合い、時代の空気に共振して作品を書き続けた作家のうちぶところに迫る。
漱石との共通点も興味深い。文六は『吾輩は猫である』を高く評価し、「こんなデコボコで、いい加減な作品は、他に求められない。だが、これほど、光った部分を持っている作品も、他にない」と評す。日本の近代文学で軽視されがちなユーモアのセンスを、漱石から受け継いでいる。
『坊っちゃん』の女性版が戦前の『信子』だ。都会っ子(漱石は東京、文六は横浜)、作家デビューが遅かった、海外留学の経験もある大インテリ、読者が文学青年子女より「教養あるかつ尋常なる士人」だったことなど、ふたりの共通点は多い。
現在、横浜の神奈川近代文学館で、没後50年と最近の再ブームを期して、『獅子文六展』(3月8日まで)が開かれている。中高年に加え、30、40代の「発見」世代も訪れているという。本書は従来の文六愛読者だけでなく、最近文六を「発見」したファンが読めば、より作品が近しく感じられるだろう。
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