今年(2020年)2月21日、三島有紀子さんが監督を務める映画「Red」が公開された。原作は、島本理生さんの本書『Red』(中公文庫)。14年に単行本として刊行され、17年に文庫化された。累計25万部突破。映画公開により、改めて熱い視線が注がれている。
「腰を動かされるたびに新しい自分を引きずり出されるようだった。もう体が持たない、と思ったら、彼が思考を読んだようにぴたっと腰を止めた。じっくりと休まった頃に、突然、一度だけ激しく突かれた。噴火にも似た快感の灼熱が流れ出し、喘ぐ声は千切れそうだった。」
思わず息を呑むほど、濃密かつ緻密な性描写。量も内容もここではとてもすべてを引用できないが、著者の表現力は別格だと思った。不倫相手とのこうした過激な性描写により、本書は「問題作」とされることもあるようだが、それはあくまで一面に過ぎない。それ以上に、女性が自身の生き方を選択する一つのモデルを提示した、メッセージ性の強い作品だ。
物語は、主人公・塔子が友人の結婚式で鞍田と再会する場面からはじまる。二十歳の頃、塔子は鞍田の会社でアルバイトをしていて、当時既婚者だった(その後離婚)鞍田と不倫関係にあった。
現在、塔子は三十一歳。元気な娘がいて、友達のように気さくな姑と同居し、夫はそれなりに収入がある。しかし、現状への違和感や満たされない想いが、塔子の中にふつふつと湧き上がっていた。
「どうしてだろう。こんなにも安定していて、平穏なのに。毎晩同じベッドで眠る夫を、時折、赤の他人よりも遠く感じてしまうのは。」
結婚してからの四年間、塔子は一度も男の人と一対一で飲むことがなかった。「今夜だけ、ほんの一時間くらい酔っても罰は当たらないんじゃないだろうか」と、鞍田と二人きりで会うのだが、そこから二人の関係は再びはじまる。夫との三年間のセックスレスで閉じられていた塔子の体は開かれ、蓋をしてきた感情が溢れ出てくるのだった。
理想の母、妻、嫁であろうと、塔子はこれまで自身を抑圧して戦ってきた。しかし、鞍田と再会し、彼から紹介された会社で働きはじめたことで、塔子は本来の自分を取り戻し、内面も容姿も磨かれていく。
「やっぱり会社で働いていたときが一番充実していたと思います」
「母親になったら、もっと強くなれると思っていた。それとも、これが本当の母親の感覚なのだろうか。」
「もし夫が、私をちゃんと一人の魅力的な女性として扱ってくれていたら。」
出産を機に退職したことへの後悔、理想の母親像と現実のギャップ、夫への不満やわだかまり......。鞍田と関係を続ける中で、塔子は内なる声に正直になっていく。「私、働くの、好きだったんだ」――。徐々に自信を取り戻し、生き生きとしていく塔子の姿が目に浮かぶ。
どこまでも深みにはまっていく塔子と鞍田は、どこに行き着くのか。最終的に塔子は、どんな生き方を選択するのか。物語の結末がまったく予想できないまま、過激な性描写に圧倒され、塔子の内面描写に共感し、約500ページというボリュームにもかかわらず夢中で一気に読んだ。
島本さんは、幼い子どもを育てながら本書を書き上げたという。先月放送されたNHKの番組で「お母さんという肩書きの前に一人の人間であるということを、もっと小説の中で描けないかと思った」「(原作と映画の結末が違うことについて)女性の数だけ人生があって決断がある。女性の複雑さ、ままならなさが表現されていた」と語っていた。
傍から見れば恵まれていても、なにをもって幸せを感じるかは人それぞれ。いままさに塔子と同じ境遇にいて、本当の自分は......、別の選択をしていれば......、ともやもやしながら日々過ごしている人は結構いるのではないだろうか。
そこから這い出るきっかけがあれば......、塔子のようにドラマティックな展開がこの先に待っていれば......と期待するが、現実に鞍田のような人物が現れることはそうそうない。仮に現れたとしても、底無し沼のような不倫関係に溺れるのは現実的ではない。そこで読者は塔子の波乱の日々を疑似体験し、自身の人生の選択について考えることになるだろう。
「母親として妻として何重にもなった役割を負っても、埋まらないものがあるのだ。色んなことに遠慮してきた自分が初めて精神的にも経済的にも自立できて、居場所を得た。働くことは私にとって、そういう意味と価値を持つことだったから。」
「夫や義理の両親、翠。炊事、洗濯、掃除、育児。数え上げれば、ごく月並みでありふれたものたちが、時間の速度を変えた。すべての時間が、『生活』になっていた。紛れ、塗れ、それが幸せなことかは、結局、今も分からない。ただ翠がいなければよかったとは一ミリも思わない。」
情熱、激情、欲望のイメージを持つ「Red」つまり「赤」という色は、本書のメッセージを的確に表している。タイトルも表紙も、官能小説の印象が強い。しかし、本書の「赤」には性的な欲望とともに、自分らしく生きたいという女性の欲望が含まれている。著者がタイトルにどんな意味を込めたのかは分からないが、評者はそう解釈した。
塔子との共通点を感じたからだろう、読後ここまで心に跡を残す作品はめったにないと思った。もやもやした想いが、はっとするような言葉で表現されている。とりわけ、塔子のように結婚、退職、出産、専業主婦を選択してきた女性にぜひ読んでほしい。
BOOKウォッチでは、第159回直木賞受賞作『ファーストラヴ』(文藝春秋)をはじめ、『ナラタージュ』(角川文庫)、『夏の裁断』(文春文庫)、『あなたの愛人の名前は』(集英社)、『夜 は お し ま い』(講談社)など、島本さんの著作を多数紹介している。
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