中国発の新型肺炎が日本でも新たな局面に入っている。感染者が広がり、天皇陛下の60歳の誕生日を祝う2020年2月23日の一般参賀や、3月1日の東京マラソン2020の一般部門も取りやめになった。あちこちで「自粛」がチラつく。本書『パンデミック症候群――国境を越える処方箋』 (エネルギーフォーラム新書)は感染症にどう対処すべきか分かりやすく解説している。主として海外駐在員向けだが、日本に侵入してくる感染症についても詳しく記されている。今回の新型肺炎に関しても参考になることが多い。
著者の勝田吉彰さんは1961年生まれ。臨床医を経て外務省医務官としてスーダン・フランス・セネガル・中国に合計12年間在勤。赴任と出張あわせ24か国で執務し、SARS渦中には中国にいた。退官後、近畿福祉大学(現神戸医療福祉大学)教授を経て関西福祉大学教授。専門は渡航医学とメンタルヘルス。
この経歴からもわかるように、著者の最大の特徴は、実際に海外のあちこちで医師として勤務し、多くの事例を経験していることだ。したがって、書いていることに説得力があり、様々な具体例に基づいた警告を、読者は実感を持って受け止めることができる。
タイトルには「症候群」という言葉が付いている。単に「パンデミック」(致死性の感染症が世界的に大流行すること)のリスクだけではない。それに近いことが起きた時、人々が過剰に怯えてバタつく「症候群」についても論じている。いわゆる「騒ぎすぎ」にならないようにするにはどうすればいいか。著者の海外経験によると、日本人と米国人が「舞い上がってしまう」二大チャンピオンだという。日本人は「世界でも有数のパニックになりやすい人種」だということを自覚するように促している。
本書は「序章 国境を越える感染症」「第1部 国境の向こうからやってくる感染症」「第2部 国境を越えたあなたは狙われている」「第3部 国境を越えるメンタルリスク」「第4部 国境の向こうの医療はこうなっている」「第5部 それでも国境を越えてくる」「終章 国境を越える心得帳」という構成。
SARSやMERS、新型インフルエンザ、エボラ出血熱など話題の感染症はもちろんだが、もっと身近なところで実際に心配な病気は少なくない。本書はそれらについて丁寧に解説している。
たとえばウイルス性肝炎。料理人が用便の後、きちんと手を洗わずに調理した、堆肥で育てた野菜をよく洗わずにサラダにしていた、などはA型肝炎に直結する。海中に漂っているウイルスは貝類に凝縮されている。日本の生ガキは産地で厳格な検査が行われているが、途上国の屋台などは安心できない。狂犬病は犬からだけではなく、道端で弱っている猫に餌をやろうとして噛まれて罹患することもある。
ハエ蛆症は、ハエが洗濯物に卵を産み付け、それが孵化して皮膚に刺入する。著者がスーダンに赴任していた時は、洗濯物はすべて室内干し。パンツ一枚に至るまでアイロンがけを徹底していた。中南米やアフリカ勤務の常識だという。
蚊にも注意を呼び掛けている。マラリアは年間2億人の感染者と約62万人の犠牲者をだしている。人間を最も多く殺してきた動物は、サメやライオンではない。人間でもない。マラリアや日本脳炎を媒介する蚊だという。
途上国では電力事情が悪いところが少なくない。一日に何時間か停電する。そうなると、冷蔵庫の食品は傷みやすい。解凍、冷凍を繰り返しているような食品もある。サルモネラ菌による食中毒の原因になる。
SARS騒動の時、北京の大使館の電話は絶え間なくなり続けたという。「事実ではない噂・流言・風説」がとびかった。ひょっとしたら、現在の北京や上海もそうなっているかもしれない。「○〇会社の駐在員に感染者」「大使館員に死者発生。葬儀は〇日」・・・。「感染症の流行は、メンタルヘルスの阻害要因」にもなるというわけだ。
冷静に落ち着いた対応をするには、日ごろから備え、情報に敏感になっておくことが重要だ。第5部には、病気について役立つ情報を発信している信頼できるサイトの一覧が記載されている。
本書では情報の読み方についても注意が記されている。毎日のように増え続ける感染者数。そこでは「退院」した人数は示されていないことが多い。どんどん増え続ける数字に怯える毎日になりやすい。
評者も同感だ。今回のマスコミ報道を見ていても感じた。例えば中国の死者数、死者の比率は、武漢・湖北省とその他の地区では大差がある。しかし、分けて表示されている例は少ない。一口に「致死率2%」といっても、2 月上旬の朝日新聞によると、武漢は4.9%、武漢以外の湖北省では1.4%、中国の他地域では0.2%ぐらいだった。
「世界の感染状況」などという地図も曲者だ。1人しか感染者がいなくても、国土全体が色塗りされてしまう。感染者の増加数も、日々の増加数を示すグラフが欲しい。それにより、増加の勢いがわかるからだ。中国本土では18日、退院した人数が新たに感染した人数を上回ったという。新聞やテレビを丹念に見ていると、上記のような詳細なデータは報じられているのだが、どうしてもセンセーショナルな見出しや数字に目が行く。本書は「数字のマジックにまどわされないように」と注意を喚起している。
一方で、著者は、「民はパニくる」というコアな信念がエリート層や官僚機構には根強くあるということも指摘している。政府の情報発信は多くの国で遅れがちになる。情報の出し惜しみ。もしくは操作。中国での遅れが指摘されることが多いが、日本でも「個人情報保護」のもとに発表がぼかされている、と感じている人が少なくないのではないか。感染者の国籍まで隠そうとする。発生地点が都道府県名しか明かされない。国と自治体の公表基準が異なる。それがまた「何かを隠しているのではないか」と新たな詮索を呼びかかねない。
本書でちょっと笑ってしまったのは、上海に赴任していた40代の商社マンの事例だ。カラオケバーでは人気者。上海と定期出張先の四川省の双方に、朝食まで共にする小姐がいた。結果、性交でウイルスによるB型肝炎に。中国では「カラオケ」というのは風俗店と同義なのだという。(評者が知人の中国人二人に聞いたところ、一般のカラオケ店は日本のカラオケと同じだと思うが、北京の日本人向けのカラオケ店の周りには日本人駐在員相手のスナックなどがあるとのこと)。
本書は極めて分かりやすく、海外赴任をする人や家族は必読だ。BOOKウォッチでは関連で、『海外危機管理ガイドブック――マニュアル作成と体制構築』(同文舘出版)、『家族と企業を守る 感染症対策ガイドブック』(日本経済新聞出版社)なども紹介済みだ。
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