有名人が麻薬で捕まるケースが後を絶たない。最近はキャリア官僚などもいる。摘発するのは警察や、厚労省の麻薬取締部(通称マトリ)だ。本書『麻取や、ガサじゃ!――麻薬Gメン最前線の記録』(清流出版)は取り締まる側の貴重な記録。10年近く前の出版だが、大筋は今も変わらないだろうと思って読んだ。
著者の高濱良次さんは1947年生まれ。薬学部薬学科卒業。いったん大阪市衛生局保健所に入所したが退職、ほどなく厚生省(現・厚生労働省)麻薬取締部入所。近畿地区麻薬取締官事務所捜査第一課、同神戸分室、四国地区、関東信越地区、中国地区、東北地区、九州地区など転勤を重ねる。捜査第一課長、捜査第二課長などを歴任。2008年、小倉分室長として定年退職した。
経歴を見ても分かるように、現場一筋。本書では大別して、三つの事例について詳述している。一つ目は1980年ごろ、大阪の繁華街の片隅に潜んでいた密売グループの摘発。二つ目は2003年ごろ、滋賀県の在日ブラジル人による国際郵便物を使った取引。三つめは05年ごろ、九州で行われていたインターネット売買だ。それぞれについて、情報の端緒やその後の長期にわたる捜査などが具体的に記されている。
大阪のケースは、末端の密売人の摘発から始まり、一年がかりで19人を検挙。現役の極道も取り調べ、密売組織を壊滅させた。背後に存在していた暴力団組織も突き止めた。在日ブラジル人のケースは、本国にいた時に大麻を常用していたブラジル人が、来日後も使いたくなり、国際郵便物に忍ばせて入手を図っていたというものだ。ブラジルの身内から、日本のアパートの空き部屋あてに郵便物を送らせ、それをピックアップするという巧妙な手口だった。
三つ目のケースは、九州の会社員がネットで覚せい剤を入手、それをさらに小分けしてネットで販売していた。妻も加担し、詳細な売買記録を付けていた。
高濱さんが、ベールに包まれている「マトリ」の内情を書くことになったのは、テレビ取材がきっかけだ。日本テレビ系の「スーパーテレビ情報最前線」の「実録! 深夜の大都会麻薬Gメン」の主人公として2004年に登場したことがあるのだ。当然、上層部の許可があってのことだろう。密着取材は一年という長期に及び、番組は好評だった。その番組ディレクターから、長い麻薬取締官人生を改めて単行本にしてみてはどうかと誘われる。退職後ドラッグストアの薬剤師をしていた高濱さんが、慣れない文筆作業に四苦八苦しながらまとめたのが本書というわけだ。
大学では薬学を学んでいたが、最初からマトリを希望していたわけではない。ただ、伏線はあった。高校時代に放映されていたテレビドラマ「アンタッチャブル」に夢中になった。禁酒法時代のアメリカで、マフィアと酒類取締官の格闘を描いたものだ。
そんなこともあり、警察官になりたいと思っていたが、父親が警察を快く思っていなかったので、あきらめる。手に職を持った方がいいということで薬学部へ進んだ。新卒で入った保健所では、映画館や公衆浴場などに対し衛生面の指導をする地味な仕事に従事していた。あるとき、衛生改善指導に応じない施設に立ち入り検査したところ、地元の理美容組合の組合長の店だったので、逆に所長からこっぴどく怒られてしまう。嫌気がさして退職、アルバイト生活をしていた時に、母校の大学にマトリの募集があったことを知り応募、採用された。多少の回り道をしたマトリ人生をこう振り返っている。
「結局、一流の取締官にはなり切れなかった。身長160センチという小柄な体で、武骨を絵に描いたような男だ。ただ生来、負けん気だけは人一倍強かった。早く仕事を覚えようと人の何倍も努力した。どんな困難にぶち当たっても弱音を吐かず、人より積極的に仕事に取り組む姿勢を貫き通してきた」
「今では、麻薬取締官が私にとって天職であったと思える・・・」
大阪の事例では「川島」という「エス」(情報提供者)から第一報が入った。密売者、密売場所のアパート、取引価格まで詳細だった。川島は元組員。6年ほど前、別の事件で逮捕したことがある。取調官と被疑者ということで、立場は正反対だったが、波長が合った。服役後はたまに飲みに行くという男同士の付き合いが続いていた。
麻薬取引は裏世界の水面下の動きだ。どうやって端緒をつかむのか。「密告」「タレ込み」をする捜査協力者「エス」とはどういう人間なのか。本書によれば、動機はいろいろだ。取り調べで恩義を感じた、取調官の人間性に心服した、などは逮捕経験のある川島などの例だ。信頼関係があるので、必要とする情報の入手を依頼すれば、的確な情報を迅速に入手してくれる。
中には金銭目的の者もいる。情報を金で売るタイプだ。あるいは、同じ覚せい剤密売の商売敵を蹴落とすために情報を提供する者もいる。こうした要素が二つ三つと重なっている者もいるという。
有名人の麻薬情報は、いったい誰が密告しているのだろうか。有名人の事件では、入手先がはっきりせず、「売人」が捕まらないケースが少なくないように思うが、なぜなのか。本書にはそうした有名人のケースが出てこないので、そのあたりはよくわからない。しかし、「エス」が介在していることは間違いないと推測できる。本書を読むと、かなり確かな情報がない限り、簡単には内偵・捜査に入らないことがうかがえるからだ。
2018年6月からスタートした司法取引制度では、銃刀法違反や、覚せい剤取締法違反といった銃器、薬物犯罪も対象だ。最近の芸能人逮捕の裏には、何らかの「司法取引」も行われているのかもしれない。大手マスコミの担当記者には、そのあたりのことも報じてもらいたいと思う。「エス」づくりは、以前よりも容易になっているに違いない。
本書には覚せい剤の歴史についても書かれている。覚せい剤成分のメタンフェタミンは明治時代に日本の研究者が発見した。「ヒロポン」という覚せい剤は戦前、日本の製薬会社が開発、軍需工場の徹夜作業や、特攻隊が突撃する際に使われた。それが戦後、民間に放出され、乱用が拡大した。
そういえばBOOKウォッチで紹介した『ヒトラーとドラッグ――第三帝国における薬物依存』(白水社)によれば、戦前のドイツでも覚せい剤が開発され、「ペルビチン」という名前で製品化された。「自信と活力を高める新薬」、一種の万能薬として売り出され、大々的に宣伝された。あっという間にあらゆる社会集団に浸透したという。そしてナチスが「ドイツよ、目覚めよ!」と号令をかけるときに、この薬が重要な役割を果たすことになる。「ペルビチン」とは「錠剤の形をしたナチズム」だった、と同書は皮肉っている。実際に戦争が始まると、ますます引っ張りだこ。戦場で疲労や睡魔と戦い、大量殺戮を強いられる兵士たちにとっては、ぜひとも欲しいクスリだったという。
『阿片帝国日本と朝鮮人』(岩波書店)によると、満州国ではアヘンを軸にした政府の財源づくりが公的に行われていた。専売公署という担当の役所も設置されていた。『傀儡政権――日中戦争、対日協力政権史』 (角川新書)によると、その満州国の建国翌年、関東軍はすぐに南側にある熱河省に進攻した。アヘンの産地なので、誕生間もない満州国の主要財源確保を狙ったものだった。
やはり、BOOKウォッチで紹介した『主治医だけが知る権力者―― 病、ストレス、薬物依存と権力の闇』(原書房)ではヒトラーとケネディは同じ成分の「薬漬け」だったと記されている。
違法薬物は、このように権力者や政権が関わっている時は「合法」だが、一般人がタッチすると犯罪になるという一面がある。
ちなみに、『闇ウェブ』 (文春新書)や『フェイクウェブ』(文春新書)は、今やこうした違法薬物の取引が国際化、ネットの裏世界の深いところで広がっていることを伝えている。
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