読むべき本、見逃していない?

就活でリクルートスーツを着るようになった訳

  • 書名 リクルートスーツの社会史
  • 監修・編集・著者名田中里尚 著
  • 出版社名青土社
  • 出版年月日2019年10月10日
  • 定価本体3600円+税
  • 判型・ページ数B6判・592ページ
  • ISBN9784791772063

 服装が評価されるとされる就職活動は、ほとんどが経験したはずだ。それも判で押したようなスーツで......。なぜそうしたのだろうか。

 日本のリクルートスーツ着用は、世界でもまれな慣行なのだそうだ。本書『リクルートスーツの社会史』(青土社)は、その解明に取り組んだ学術書だ。それだけでなく、われわれが持つ常識の形成過程を覗く契機にもなる。

 著者の田中里尚さんは文化学園大服装学部准教授だ。早稲田大院で修士を修了、「暮しの手帖社」などで編集に携わりながら立教大で博士号を得た。専門は比較文明学だ。田中さん自身、就活不成功経験がある。子供服メーカーで「君はおもしろくない」と言われたそうだ。

 本書はリクルートスーツの出現前夜から現在までの歴史を追う。まとめるとこうだ。

 ・1960年代 学生服(高度経済成長)
 ・70年代  学生服、背広(オイルショック以降の就職難)主流色は濃紺
 ・80年代  リクルートスーツ(呼称が背広から変わる 円高・半導体不況就職難)同濃紺
 ・90年代  リクルートスーツ(バブル崩壊・金融危機 就職氷河期 就活への参加資格を表す専用の日用品に 男女雇用機会均等法施行 女性のパンツスーツ出現)黒が優位に
 ・2000年代 リクルートスーツ(細身志向 流行に敏感な層と無頓着層に2極化 米同時多発テロ)黒の浸透進む
 ・10年代 リクルートスーツ(バブル期以前の服装規範の復活)黒

 年代に照らして自らの就活を思い浮かべることができるはずだ。「みんなよく似た服を着ていたな」と。

 では、どうしてあのような流行が出来したのだろうか。そこに、「常識」が関係してくる。「みんなが着ているから」は「常識」ではない。人によって強弱はあったものの、あのようなスーツを着なければならないという共通認識=常識があった。それはどうやって作られたか。冒頭で常識について本書が考えるきっかけになる――と書いた理由だ。

 最初の背広は濃紺。田中さんは、リクルートスーツの登場以前、学生にとって背広は大人の象徴だった、と概観する。背広には素材や型で序列があって、リクルートスーツは登場時、序列の最も下に位置付けるものだった。色も紺はサラリーマンのシンボルカラーだったそうだ。1950年代から70年代に活動した源氏鶏太のエッセイに『紺の背広』がある。源氏はサラリーマン作家と呼ばれた。

 源氏にとどまらずIVYルックで知られる石津謙介ら服飾評論家がその後、時代時代のスーツの在り方や着方を指南した。就活生は、それらを有り難がってきたであろうことが覗える。現在、そうした情報はネット空間に溢れ返っている。

 だがそうした指南・言説は流行を支えたかもしれないが、本質的に流行をつくったものではない。田中さんは「そうした言説は昨今のWEB言論における風評の事実化現象に似ている」と指摘する。「指南書の言説などが、別のおびただしい指南書の言説を基に事実として根拠らしいものにされている」のだそうだ。互いに絡み合って、互いを支え合っている。結局、デマに似た構造を持っているという訳だ。

 ちょっと逸れるが、世の中に風評が事実化した事例は多い。関東大震災直後の「在留外国人による暴動」の流言は多くの人命を奪ったし、大阪北部地震での「シマウマ脱走」、熊本地震での「ライオン脱走」は記憶に新しい。グルメランキングもそのマシな例だと言えるかもしれない。

 統計学や経済学でも、風評の事実化の周辺現象が扱われる。世論調査や証券の市場メカニズムだ。

 最近の選挙での世論調査では、サンプル本人の意向は聞かずにサンプルの周囲の動向を聞く方法が考案されている。その方が本人の意向調査よりも高的中率になったという。経済学ではケインズが美人投票にことよせて解説した債券の価格決定メカニズムが有名だ。誰が一番美人なのかは問わず、だれが1位になるかを問う。ファンダメンタルズを無視して、債権の価格動向だけを問題にする手法と同じだ。結局美人1位は当たり障りのない人が選ばれることになる。

 評者は70年代末の就活生だが、スーツ姿が官庁や企業に溢れる様には他人事のように驚かされた。なぜこのように一気に広まったのか、という思いがあった。

 リクルートスーツの流行をデマに置き換える。社会心理学ではデマの拡散には3つの要素があるとされる。「言説の内容が(受け手に)重要」、「言説の内容が曖昧」、「不安」だ。

 就活現場でこれら言説の重要性、曖昧さは明白だ。では不安はどうか。田中さんは「不況の度にリクルートスーツのモードが変わった」とだけ言及する。不況になると、就活生の不安が刺激されて、より有利なものを求める、ということだろう。より不利にならないものを求める、と言った方が適切かもしれない。

 大学進学率は1960年が約10%、70年約20%、80・90年約35%、2000年50%、10年55%と増大。2019年は58%まで上がっている。10%台だった1960年代、学生はエリート層だった。漠然とした不安や風評などに動じない層だ。求人市場が良かったせいもある。ところが70年代に倍になる。学生は大人になることへの不安を根底に持つ存在だ。それが不況や大学の大衆化とともに拡大したのではないか。「不況の度にリクルートスーツのモードが変わった」を、そんなふうに読むと牽強付会に過ぎるかもしれない。

 本書は田中さんの初の著作。共著としては『現代文化への社会学』(北樹出版)、『ファッションで社会学する』(有斐閣)、『<北>の想像力』(寿郎社)などがある。

BOOKウォッチ編集部 森永流)

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