「カナダで、がんになった。あなたに、これを読んでほしいと思った。」
小説家・西加奈子さんの『くもをさがす』(河出書房新社)が4月19日に刊行された。続々と重版が決定し、累計20万部を突破したという。カナダでがんに罹患した女性を主人公にした小説かと思ったら、本書は西さん自身のことをつづったノンフィクションだった。
西さんは2019年12月から家族とともにカナダに滞在していた。そして2021年コロナ禍の最中、浸潤性(しんじゅんせい)乳管がんを宣告された。本書では、乳がん発覚から治療を終えるまでの約8ヶ月間が克明に、ときにユーモラスに描かれている。また、西さんが治療中に読み、聴き、思い返すことで心の支えになったという作品の数々も紹介されている。
「不自由な体、海外のままならない生活、絶望一歩手前のギリギリの毎日。『私は弱い。徹底的に弱い』 それでも――」
ある日、足に大量の赤い斑点ができていることに気づいたことをきっかけに、クリニックを受診した西さん。じつはそれより前に、右の胸にしこりを見つけていて、クリニックには行かなければと思っていたのだ。
言語の壁に加え、日本とは制度の異なるカナダで医療機関を受診するのはかなりハードルが高い。しかし西さんは、持ち前の行動力と人懐っこさで周囲の人の助けを借り、なんとか診察にこぎつける。その顛末がユーモアたっぷりにつづられていて、さほど深刻さを感じさせない。
西さん自身、超音波検査でもマンモグラフィでもはっきりしたことがわからず、針生検(しんせいけん)をすることになっても、まだ楽観視していたという。
「どうして自分は、乳がんをあんなに他人事(ひとごと)と思えていられたのだろう。本当によく聞く、ベタな言葉を、私も繰り返していた。『まさか私が。』」
針生検の結果、乳がんと宣告された。そして抗がん剤治療が始まった。「早よ治そう!」「めっちゃええ静脈やん! 針刺しやすいわ~!」......と、カナダの看護師たちは明るく気さくに声をかけてくれた。
英語のやりとりが、関西弁に翻訳されているところがユニークだ。西さんには彼女たちの言葉が、馴染み深い関西弁に聞こえたのだという。同じ意味を伝えるのでも、言葉の選び方によって印象はずいぶんと変わるもので、深刻な状況が続くなかにもどこか陽気さが感じられて和む。
西さんは手術を受けることになった。
「何かを切除したり、何かを足したりしても、その体が自分のものである限り、それは間違いなく本物なのだ。(中略)これからも本物の自分の人生を生きてゆくために、私は自分の、自分だけが望む声に耳を澄ますことにした。」
そして迎えた手術当日。不安、緊張、恐怖......張り詰めた雰囲気を想像したが、思わず笑ってしまった。日本ではちょっと考えられないような看護師たちのユルい感じに、「関西弁で、思い切り、振りかぶって、突っ込み」たくてウズウズしていた西さんが、突っ込みを入れまくるのだ。
西さんは笑いが止まらなくなった。笑いは麻酔チームに伝染し、何に笑っているのかわからないまま皆が笑っていた。西さんは爆笑しながら、手術室へ運ばれていく――。
日本では、乳がん検診を40歳以上の女性に推奨している。評者は昨年初めて乳がん検診を受けたが、やはり心のどこかで楽観視していたように思う。異国の地で、コロナ禍で、まだ小さなお子さんを持つ母として、乳がん宣告を受けることはどれほどの衝撃だっただろう。
若者の貧困、虐待、過重労働をテーマにした小説『夜が明ける』(2021年、新潮社)を読んだとき、西さんの文章と表紙のイラストからとてつもない力強さを感じた。本書を読んで、覚悟を持って全力で書かれた作品という印象は共通していた。
本書の文章は、西さんが日記に剝き出しに記していた気持ちを、客観的に見ながら書いたもの。当初出版の予定はなかったが、いつからか「あなた」(今生きている私たちのこと)に向けて書いているのだと、気づいたという。
「どうして私が」......と弱音を吐いて文句も言いたくなる状況で、何を思い、感じ、どう生きようとするのか。絶望する以外にも選択肢はあるという、1つの見本を見せてもらった。自身に起きたことを公表するのは、ものすごく勇気のいることだっただろう。「あなた」の一人として、潔くまっすぐな西さんの「物語」を、しっかりと受けとめたいと思う。
『くもをさがす』特設サイトでは、本書冒頭部分の試し読みができる。
■目次
1 蜘蛛と何か/誰か
2 猫よ、こんなにも無防備な私を
3 身体は、みじめさの中で
4 手術だ、Get out of my way
5 日本、私の自由は
6 息をしている
終わりに
■西加奈子さんプロフィール
1977年、イラン・テヘラン生まれ。エジプトのカイロ、大阪で育つ。2004年に『あおい』でデビュー。07年『通天閣』で織田作之助賞を受賞。13年『ふくわらい』で河合隼雄物語賞受賞。15年『サラバ!』で直木賞を受賞。ほか著作に『さくら』『円卓』『漁港の肉子ちゃん』『ふる』『i』『おまじない』『夜が明ける』など。19年12月から語学留学のため、家族と猫と共にカナダに滞在。現在は東京在住。
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