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58歳で急逝した作家・山本文緒さんが、亡くなる9日前の日記に書き残した言葉

無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記

 昨年10月13日、作家の山本文緒さんが急逝したと聞き、耳を疑った。まだ58歳、ちょうどその1か月前に新刊『ばにらさま』(文藝春秋)を出したばかりのタイミングで、前年に刊行された『自転しながら公転する』(新潮社)が2つの文学賞を受賞したこともあり、これからますます面白い作品を生み出してくれるだろうと期待していた矢先だったから、突然の訃報にただただ驚き、茫然とした。

 それから丸1年の月日を経て、山本さんが亡くなるまでの134日間の日記が1冊の本として出版された。『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』(新潮社)は、山本さんから読者へあてたラストメッセージだ。なんの心の準備もなかった我々に対して、当の山本さんは亡くなる4カ月以上も前からお別れの準備を進めていたのだと知った。

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グラタンをひっくり返して泣き出した夫。「別れたくない」

 山本さんが膵臓がんと診断されたのは2021年4月。その時すでにステージ4で治療法はなく、抗がん剤で進行を遅らせるほか手立てはなかったという。しかし抗がん剤投与は「がんで死ぬより先に抗がん剤で死んでしまうと思ったほど」つらく、夫や周囲の人々と相談して緩和ケアへ進むことを決め、自宅のある軽井沢で夫とふたり、残された日々を静かに送ることを選んだ。

 この日記はそんな「突然20フィート越えの大波に襲われ」、混乱のさなかにあった5月24日から始まっている。日々変化する体調のこと、仕事のこと、旧知の編集者や作家など会いに来てくれた親しい人たちとの会話、読んだ本やテレビの話、夫とのなにげないやり取り。感傷的でなく、淡々と綴られているが、諦念は感じられない。これは「闘病記」ではなく「逃病記」だと言いながら、山本さんは「逃げても逃げても、やがて追いつかれることを知ってはいるけれど、自分から病の中に入って行こうとは決して思わない」と精一杯の抵抗を見せている。その一方で、後に残される人たちの気持ちを慮り、やり切れない思いをにじませる。

 とくに印象に残ったのが、夫が手作りのグラタンをオーブンから取り出そうとして手を滑らせ、ひっくり返してしまった時のエピソードだ。酔っていたこともあり、夫は泣き出してしまった。「この人はそうは見せなくてもすごく我慢をしているんだなと感じて私も少しもらい泣きしてしまった」と明かし、その日はこう結んでいる。

 私は夫のことが好きだし夫も私のことが好きだと思うが、もうすぐ別れの日が来る。別れたくない。(7月6日(火)より)

ものすごくよくやった方だと思う

 最初は手書きで書いていた文章を、いずれ出版することを念頭にパソコンで清書し、やがて入力するのがつらくなるとスマホの音声入力を駆使して綴り、最後には夫に手書きしてから入力してもらうという方法で、日記は亡くなる9日前の10月4日まで続いている。意識が朦朧として、終わりを予感しながらも、「また明日書けましたら、明日。」とある。山本さんは最後まで書くことを諦めなかった。

 それが作家の性(さが)というものかと深く感じ入ったが、体が思うように動かなくなっていく中で、書き続けることは山本さんにとって救いにもなっていたようだ。「振り返ってみると、この日記を書くことで頭の中が暇にならずに済んでよかったとは思っている」と山本さんは書いている。

 何も書かなかったら、ただ「病と私」のふたりきりだったと思う。長年小説を書いてきてもういい加減「書かなくちゃ」という強迫観念から解き放たれたいと感じるかと思ったら、やはり終わりを目前にしても「書きたい」という気持ちが残っていて、それに助けられるとは思ってもいなかった。 (9月11日(土)より)

 この2日後、9月13日に刊行された短編集『ばにらさま』は、余命宣告の後、山本さんが「できればもう一度、自分の本が出版されるのが見たい」と版元に頼み込み、超特急で出版にこぎつけた作品だ。余命宣告の120日はとうに過ぎている。その日の日記には「本が出て良かった。それを見られて良かった」という喜びとともに、尽力してくれた人々への心からの感謝を綴っている。

 そうしてひと月後に、山本さんは息を引き取った。

 私の人生は充実したいい人生だった。(中略)私の体力や生まれ持った能力のことを考えたら、ものすごくよくやった方だと思う。20代で作家になって、この歳まで何とか食べてきたなんてすごすぎる。
 今の夫との生活は楽しいことばかりで本当に幸せだった。お互いを尊重し合っていい関係だったと思う。 (6月6日(日)より)

 不謹慎かもしれないが、人生の最後に「ものすごくよくやった、すごすぎる」と、自らを称えて逝った山本さんが羨ましい。書くことへの情熱、周囲の人々への感謝、夫への信頼と愛情。作家・山本文緒の思いが込もった日記を読み終えて、ふと思う。山本さんは、プライベートな日記をつけていたのだろうか、と。ここには書けなかった苦悩や後悔もきっとたくさんあっただろう。日記という形式をとりながら、最後の作品として読者に温かい希望のメッセージを残してくれた山本さんに、感謝と敬意を表したい。

■山本文緒さんプロフィール
やまもと・ふみお/1962年神奈川県生れ。OL生活を経て作家デビュー。99年『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞、2001年『プラナリア』で直木賞を受賞。20年刊行の『自転しながら公転する』で21年に島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞を受賞した。著書に『あなたには帰る家がある』『眠れるラプンツェル』『絶対泣かない』『群青の夜の羽毛布』『そして私は一人になった』『落花流水』『ファースト・プライオリティー』『再婚生活』『アカペラ』『なぎさ』『ばにらさま』『残されたつぶやき』など多数。2021年10月13日、膵臓がんのため58歳で逝去。





 


  • 書名 無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記
  • 監修・編集・著者名山本文緒 著
  • 出版社名新潮社
  • 出版年月日2022年10月19日
  • 定価1,650円(税込)
  • 判型・ページ数四六判・176ページ
  • ISBN9784103080138

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