本を知る。本で知る。

「夫に看取ってもらう」はファンタジー。「ひとり」が怖い50代のあなたへ――伊藤比呂美さんインタビュー

いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経

 女性の50代は、子どもの巣立ち、親・配偶者との別れによって、「母」でも「妻」でも「娘」でもなくなる時がくることを、少しずつ実感し始める年代だ。

 詩人の伊藤比呂美さんは、両親とパートナーの死を見届けて、21年暮らしたアメリカを離れ、2018年に拠点を熊本に移した。老いて死ぬ不安や苦しみを少しでも軽くしてあげられないかとの思いから取り組んだお経の現代語訳と、両親やパートナーとの別れなどを綴ったエッセイをまとめた『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』を上梓した。

 伊藤さんは家族を失くす喪失感をどう乗り越えたのか、いつかひとりになったとき、女性が「私」として「いつか死ぬ、それまで生きる」ためのヒントを聞いた。

book_20220303155003.jpg
伊藤比呂美さん(朝日新聞出版提供 撮影・高野楓菜)

いがみ合ったパートナー。本当にいなくなると、底知れない空虚さが待っていた

―― お経というのは線香の煙にまみれて聞く、意味不明な音声でした。でもご著書でお経の描く豊かな世界観や物語にふれて、まったく別の、文学作品に思えてきました。

伊藤 おもしろいでしょう? あたし、信心こそないんですけど、立派なお経オタクです。そもそも親たちに、死に向かう心がまえでもつけてもらおうと、これを調べ始めたんです。彼らはついぞ関心を持たなかったんですが、あたしがハマりましたね。アメリカの家庭生活、日本での介護、締め切りに講演、その合間をみてはちょこちょこ訳して直してを繰り返しました。でも6年前、連れ合いが死んだ後に、一番集中して没頭できたかもしれない。

―― カリフォルニアでお経と格闘されたんですね。介護から解放されて時間ができたのでしょうか。

伊藤 というより、寂しくて仕方なかった。連れ合いとはずっといがみ合って暮らして、何度「死んでしまえ」と思ったか知れません。でも本当にいなくなったら、底知れない空虚さで、ちっともせいせいなんてしないの。やっと長年の夢の、仕事だけしていればいい専業詩人になれたのに。今考えると、無我夢中でお経に取り組むことで、あの真空管の中みたいな無音の寂寥を、必死に忘れようとしてたんじゃないでしょうか。
book_20220303155432.jpg
『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』(朝日新聞出版)

リアルな人生の終焉には"寂聴症候群"になるかも

―― 伊藤さんの50代は子離れも済み、介護や看取りが続きました。ご著書のエッセイ部分で、身の回りの自然、動物、そして身近な死をうねるように綴っています。今、60代も半ばを過ぎて、死生観に変化はありますか。

伊藤 よく「夫に看取ってもらう」とか「死ぬまで頭はしっかりと」って言う人がいますよね。それって死のファンタジーですよ。今のあたしには、それはない。きっと父のように予定外に長生きして、からだも頭も徐々に衰えるんでしょう。あのね、50代だとまだ生々しく生きてて実感できないんだけど、60代になったら連れ合いとか親友が、ぽつ、ぽつと欠けていくんです。アメリカで親しかった夫婦の夫がガンで余命宣告されて、妻に「ずっといっしょに歳を取ると思っていたのに」って泣かれたと聞いたときは、もらい泣きしました。

―― 伊藤さんは死について、「もっと残酷なものかと思っていたら、(中略)ただただ寂しいものでした」と書かれています。ファンタジーではないリアルな人生の終焉とは、結局「ひとりになること」なのですか。

伊藤 そうだと思います。瀬戸内寂聴先生が晩年、あまりに長生きしたので友だちがいなくなった、つまらなくて寂しいって仰ってました。きっとあたしも同じように、いわば"寂聴症候群"になる。実際、ふた親とも死んだときに味わった強烈な"みなしご感"に始まって、今はすごく親しい友だちがひとりまたひとり、体調を崩してきている。アメリカの娘たちは彼らの人生に忙しくって、連絡も間遠になりがちで、遠いしコロナ禍だしですぐには会えない。計4匹の犬と猫だけが、あたしに温もりをくれる日々ですよ(笑)。

「ああ、面倒くさい人だった、でもよく生きた」と言われる生を最後まで

―― 確かにまだ50代くらいだと自分も親も元気だし、死をリアルには考えづらいかもしれないです。50代のうちからできることはありますか。

伊藤 ぜひ、死を怖がって目を背けず、興味を持ってほしいですね。心持ちとしては、むかし習い覚えたラマーズ法、あれですよ。お産をただ怖がるんじゃなくて、しくみを理解して、呼吸法で子宮収縮の痛みを逃す方法。それと同じで、自分が死ぬときはどんな状況か、からだはどう変化するのか。ファンタジーではなく、全部、具体的に考えるんです。ポイントは、一遍上人の「生ぜしもひとりなり、死するも独(ひとり)なり」。きょうだいも友だちも死に果て、子どもに看てもらおうとは思わず、ひとりで老い、死に向かっていくと想定して考えること。そのときにお経の知識が助けになるかもしれない。

―― 人は死んだら意識がなくなることや、死に際しての苦痛を恐れて、仏教やキリスト教で死後の世界を考えました。ご著書でも「法華経」のダイジェストを解説し、「阿弥陀経」で浄土を情感豊かに歌い上げておられますね。

伊藤 どの現代語訳もつまりは詩です。詩人としては、それを人前で朗読するのも大事な仕事。「般若心経」なんて何百回と読んでます。このたびは9編をCDに吹き込み、本に付けました。これを聞きながら呼吸法など行なって、ひとりで死に向かう自分を、シミュレーションするのもおすすめです。

 ――最後に、伊藤さんご自身が「いつか死ぬ、それまで生きる」ために、心がけていることを教えてください。

伊藤 10年前に死んだ父は、孤独死を何より恐れてました。でもね、家族に囲まれて大往生しようが、通いのヘルパーさんが見つけようが、死んだらそこでおしまい、とあたしは思うんです。今のあたしは、ひとりで死ぬことは怖くない。一方で、人は年を取るとほんとに考えが変わっていくことも、介護していて突き付けられました。今わかっているのは、いつかこの本の改訂版を作るとき、これじゃだめだという部分が出てきて、文献を探すところからまたやり直すってこと。ことばを考え、ことばを選び、粛々と目の前の仕事に向き合うだけです。やがてあたしが死んだとき、ヘルパーさんや娘たちが、ああ面倒くさい人だった、でもよく生きた、そう言ってくれる気がします。
book_20220303154717.jpg
伊藤比呂美さん(朝日新聞出版提供 撮影・高野楓菜)

■伊藤比呂美さんプロフィール

詩人。1955年、東京都生まれ。1980年代の女性詩ブームを牽引し、結婚、出産、離婚を経て1997年、3人の娘と渡米。28歳年上のイギリス人のパートナーとカリフォルニアで暮らしつつ、熊本に住む両親の介護に日米を往還する。母、父、パートナーを順に看取り、2018年、拠点を熊本に移す。2021年春まで早稲田大学教授。子育てや更年期、介護など女の人生を文学に昇華させ、中高齢の女性を中心に人気を博している。1998年から西日本新聞で身の上相談を続け、各地でライブ人生相談も。萩原朔太郎賞・紫式部賞を受賞した『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(講談社文庫)、『読み解き「般若心経」』(朝日文庫)、『犬心』(文藝春秋)、『道行きや』(新潮社)ほか著書多数。

(取材・文:田中 有)


※画像提供:朝日新聞出版

  • 書名 いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経
  • 監修・編集・著者名伊藤 比呂美 著
  • 出版社名朝日新聞出版
  • 出版年月日2021年11月 5日
  • 定価1980円(税込)
  • 判型・ページ数272ページ
  • ISBN9784022517869
  • 備考著者によるお経朗読9編をふくむCD付き

インタビューの一覧

一覧をみる

書籍アクセスランキング

DAILY
WEEKLY
もっと見る

漫画アクセスランキング

DAILY
WEEKLY
もっと見る

当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!

広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?