最近、あまり「サラリーマン」という言葉を聞かなくなった。ビジネスパーソンあるいは単に会社員という表現をよく目にする。それなのに、本書『<サラリーマン>のメディア史』(慶応義塾大学出版会)は、なぜ「サラリーマン」という言葉にこだわったのか。
それは、「サラリーマン」が戦後日本社会において典型的な成人男性を表象するイメージとして定着していたからである。小説や映画、雑誌、漫画、テレビ番組などのメディアに登場したサラリーマン像の分析を通して、「普通の人々」の昭和・平成を描こうという意欲的な学術書である。
著者の谷原吏さんは1986年生まれ。神田外国語大学外国語学部専任講師、国際大学GLOCOM客員研究員。博士(社会学)。専門はメディア史、計量社会学など。
本書は2021年度に慶応義塾大学大学院社会学研究科に提出した博士論文がもとになっている。なぜ、サラリーマンをテーマにしようと思ったのか。動機を2つ挙げている。
1つは谷原さん自身が20代をサラリーマンとして過ごしたからである。サラリーマンの日常世界を、学問の観点から描きたいと考えたという。
2つ目は「サラリーマン」研究の不在である。「労働者」は多く研究されていても、「サラリーマン」を正面から扱ったまとまった研究は非常に少ないことに気が付いた。多くの人が経験する日常世界を描いていないことに問題意識を感じ、サラリーマンの研究を行うことにしたという。
本書の構成は以下の通り。
1章 なぜ「『サラリーマン』のメディア史か 2章 戦前期における職員層とは何者だったのか 3章 1950年代及び60年代におけるサラリーマンイメージの変容過程 4章 「サラリーマン」と雑誌 5章 「サラリーマン」を支えた上昇アスピレーション 6章 処世術言説は、誰がどのように読んでいるのか 7章 メディア史の中の『課長 島耕作』と『半沢直樹』 8章 「サラリーマン」のメディア史における「大衆化」と「差異化」の過程
そもそも「サラリーマン」という言葉はいつから使われるようになったのか。日本の歴史において、のちに「サラリーマン」となる人々の原型は、明治5、6年に遡るという。彼らは「給料取り」と呼ばれ、そのルーツは江戸時代の士族であった。彼らは明治維新後家禄を失い、官員、吏員、教員、巡査などの公職につくものがいた。
明治20年代後半、産業が発達すると、大学、高専卒がはじめて会社員となり、官公吏と合わせ、後に「サラリーマン」と呼ばれる層が増えていった。資本家でも労働者でもない存在として、「職員層」「給料生活者」「俸給生活者」などと同時代の資料に記述されている。
メディアに「サラリーマン」という表現で最初期に登場したのは、彼らによる組合「サラリイメン・ユニオン」(1919年)である。物価が上がったのに給料が上がらず、生活に苦しむしがない「サラリーマン」というイメージが定着した。
その一方で、著者は「知識人」「消費者」としての職員層にも注目している。3つの相反する見方が、なぜ同時に成立したのか。カギとなるのは「大衆化」と「差異化」である。
「職員層は、中等教育を受けたという矜持、肉体労働をしていないという矜持を持つがゆえに、それにふさわしい生活をしようとした」
ここまでが戦前の話である。戦後、サラリーマンはさらに大衆化し、彼らを描いた小説、映画が数多く登場する。東宝の「社長シリーズ」や「日本一シリーズ」などサラリーマン映画を分析し、出世主義、家族主義から能力主義への変化を指摘している。
「植木等主演のサラリーマン映画は、戦後派世代における、企業や組合への低い帰属意識と、個人の能力発揮による出世という<能力主義>的な欲望を反映していたと考えられる」
1980年代以降は、サラリーマン向け雑誌として、「BIG tomorrow」(青春出版社)と「プレジデント」(プレジデント社)を取り上げ、誌面の変化から以下のような分析をしている。
「サラリーマンにとって、単に副業や投資で金銭的に豊かになるだけでなく、『出世』すること(差異化すること)が大切なことではないかということである。副業や投資情報に切り替えた『Bt』が衰退し、ビジネススキルを探究した『プレジデント』が隆盛している背景にはそのようなことを読み取れる。お互いをまなざし合うサラリーマンの視線の中で、資産ももちろん大事であるが、出世の結果としての肩書はそれ以上に大事であるということがいえないだろうか」
さて、いよいよ『課長 島耕作』と『半沢直樹』である。前者は1983年に連載が始まり、「島耕作シリーズ」は、2021年までに累計4600万部を売り上げる、日本一のサラリーマン漫画と言えよう。
谷原さんは、1980年代、ともに処世術を指南した「プレジデント」と「BIG tomorrow」の読者が、「こんなふうならいいのにな」と癒しを求めて、『課長 島耕作』を読んだのでは、と推測している。フィクションでありながら、かつてサラリーマンであった原作者・弘兼憲史のリアリティが持ち味である。
一方、TBSのドラマ『半沢直樹』については、「サラリーマン」としてのリアリティの欠如を指摘。『半沢直樹』のような作品が、平成の最後から令和のはじめにかけて、記録的なヒットをたたき出したことは、「サラリーマン社会の終焉を告げるレクイエムなのかもしれない」と結んでいる。
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