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「空想力」で戦争を知る。歴史・SFの超大作『地図と拳』を読む

地図と拳

 日露戦争前夜から第2次世界大戦までの半世紀、満洲(現・中国東北部)の架空の都市を舞台に繰り広げられる知略と殺戮の物語が、本書『地図と拳』(集英社)である。歴史と空想が合体した600ページを超える大作。読むには体力がいるが、なぜ日本が無謀な戦争に突き進んでいったかを考えさせる意欲作である。

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 日露戦争前夜の1899年、満州に潜入しようとする日本陸軍の密偵、高木と通訳の学生、細川はロシア兵の尋問を受ける。高木が隠し持っていた小刀は「自分のものだ」と身代わりになり、拘束された細川だが、どう言いつくろったのか解放される。しかも、「燃えない土=石炭」が李家鎮(リージャジェン)という村の付近にあるという有力な情報を携えて。

 高木はその後、日露戦争で戦死するが、妻が再婚して生まれた須野明男がやがて建築家として満洲に渡り、細川と出会う。明男と細川が日本側のキーマンだとすれば、もう一つの「主人公」は、李家鎮という土地そのものである。

 辺境の小さな村だったが、「夏は涼しく、冬は暖かく、あたり一面に黄金のなる木が自生しており、肥沃な土地からはあらゆる作物が収穫できる」理想郷という噂を信じて、中国各地から食いつめた人たちが流れつき、次第に大きくなっていく。

 ロシアの鉄道網拡大のため派遣された神父クラスニコフ、秘密結社の訓練を受け、死なない体になったとされ、村の有力者から軍閥の配下となる「孫悟空」と名乗る中国人、出生の秘密から孫悟空の命を狙う、その娘孫丞琳らが登場する。ロシア人、中国人の視点からも「満洲」を捉えているのが新鮮だ。

満州で行われた都市計画

 李家鎮は、豊富な石炭資源があることから「仙桃城」と名前を変え、日本は炭鉱都市として都市計画を導入し整備しようとしていた。

 関東大震災の後、東京でも都市計画に基づいた復興が行われようとしたが、予算不足などが原因で、不徹底なものとなった。それが実現したのが、満州だった。荒野をキャンバスに見立て、ゼロベースで線を引くことができたからだ。実際に満州国の首都、新京(現・長春)では、先進的な都市計画の理念と社会資本整備の技術が全面的に適用された。豊かな緑とオープンスペース、公園的な並木道、人工湖など、日本国内では実現していない、美観とゆとりを重視した理想的な都市計画が出現した。

 明男は、東京帝国大学工学部を出て、満州で仙桃城の都市計画と建設に従事する。その頃、細川は満鉄(南満洲鉄道)を辞めて、シンクタンク「戦争構造学研究所」を立ち上げていた。細川は日本と満洲の10年後の未来を予測するため、研究所をつくったのだった。

何の力にもならなかった未来予測

 戦争構造学について、細川はこう語っている。

 「戦争構造学とは、地理学、政治学、歴史学、軍事学、物理学、人類学などを含む、領域を横断した学問です」

 地政学と政治分析が2つの柱となった。若手の軍人や官僚などの実力派を集め、「仮想内閣」をつくり、「仮想閣議」を開き、日本政府の対応を話し合った。そこでの結論は、現実の「北支事変」や日中戦争の拡大、米国との開戦などを予測していたが、現実的には何の力にもならなかったという皮肉。

 孫丞琳ら抗日ゲリラによる炭鉱襲撃などの活劇、明男の仲間たちの共産党活動とその内訌というサスペンス、仙桃城の再開発計画における資材盗難事件による挫折などのミステリーを盛り込みつつ、終戦、満洲国の崩壊と物語は展開する。そして戦後......驚くべき事実が明らかになる。

 日本で満州を舞台にした小説と言えば、1300万部の大ベストセラーとなった五味川純平の『人間の條件』(1956年)を挙げないわけにはいかない。五味川は満洲・鞍山の昭和製鋼所に入社、召集を受け、満州各地を転戦し、所属部隊はほぼ全滅した。

 それから70年近くが経とうとしている。五味川は自らの従軍体験を書き、当時の日本人の共感を得た。今の世代に伝えるには、歴史に加え、本書のような「空想」力も必要なのではないか、と思った。

 著者は朝日新聞のインタビューに答え、「親も戦後生まれの世代からしてみれば、歴史の授業で出てくる第2次大戦は謎だらけ。敗戦に至る過程を一から知りたかった。満洲を書くことが20世紀前半の日本について書くことの縮図だと思ったんです」と話している。

 小川さんは、1986年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年に『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しデビュー。2017年、『ゲームの王国』で、日本SF大賞と山本周五郎賞を受賞。『嘘と正典』で第162回直木賞候補となった。

 BOOKウォッチでは、小川さんの『嘘と正典』を紹介済みだ。



 


  • 書名 地図と拳
  • 監修・編集・著者名小川哲 著
  • 出版社名集英社
  • 出版年月日2022年6月30日
  • 定価2420円(税込)
  • 判型・ページ数四六判・633ページ
  • ISBN9784087718010

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