旧ソ連のゴルバチョフ元大統領が先ごろ亡くなった。91歳だった。ペレストロイカを断行し、核軍縮、冷戦の終結に力を注いでノーベル平和賞を受賞。現代史に大きな足跡を残した。ざっくばらんな一面もあり、それまでの旧ソ連指導者とはかなり異質の人だった。
ちょっと唐突かもしれないが、彼はひょっとしたら、「東大を出た田中角栄氏」のような人だったのかもしれない――本書『我が人生 ミハイル・ゴルバチョフ自伝』(東京堂出版)を読みながら、そんな思いにとらわれた。
ゴルバチョフの政治経歴は、あまりにも華麗だ。旧ソ連の最難関・モスクワ大学法学部卒業。40歳で党中央委員に選出され、49歳で史上最年少の政治局員。そして1985年には54歳で、先輩たちを追い越して旧ソ連の最高指導者である党中央委員会書記長に就任した。
出世の階段を猛スピードで駆け上がった経歴はまさにエリート政治官僚そのもの。「ノーメンクラトゥーラ」(旧ソ連の支配階層)の中でも突出していた。
ところが本書を読むと、幼少年時代は苦難に満ちていたことがわかる。例えば15歳のころのゴルバチョフは、学校から帰ると、父を手伝い、コンバインを操縦して農作業に従事していた。収穫期の6月から8月は、一日に20時間も働いていたという。身体の成長期だったが、体重が5キロもやせたそうだ。
しかし、1、2年のうちにどんな機械でも整備できるようになった。コンバインの音を聞いただけでどこが不調か、わかるようになったという。
生まれ育ったのは、旧ソ連南部、カフカス地方に近い貧しい農村だった。米国の歴史学者、ウィリアム・トーブマンが書いた評伝『ゴルバチョフ』(白水社)によると、当時の村民はロシア人とウクライナ人が半々。ゴルバチョフの母はウクライナ人で、ロシア語の読み書きができなかった。父親はロシア人だが、学校教育は4年間しか受けていなかった。両親は働きづめ。幼少のころのゴルバチョフは数年間、母方の祖父母と、コルホーズ(集団農場)で暮らしていたという。
少年時代のゴルバチョフをとくに苛んだのは独ソ戦だ。1931年生まれのゴルバチョフが10歳のころ、戦争が始まった。ゴルバチョフの父親も召集された。村に残されたのは女性と老人、子どもだけ。飢餓が襲い、ゴルバチョフも子どもながらに菜園づくりや牛に干し草を与える作業を手伝った。家畜の堆肥を乾燥させて固形燃料も作った。やがて村にドイツ軍が進軍してきて村を占領。村民の中には、独軍の協力者になる人も出た。
戦争が終わったとき、14歳だった。ゴルバチョフは語る。
「私たちの世代は戦災児の世代だ。戦争は私たちを焼き焦がし、私たちの性格に、私たちすべての世界観に、その痕跡を刻んだ」
やがて、ゴルバチョフは夢中になって勉強する。抑えがたい好奇心と、すべてを掘り下げたいという欲求がみなぎっていた。物理や数学が気に入っていた。歴史に魅せられ、特に文学には我を忘れるほどのめりこんだ。「最優等賞」を取り続けて、銀時計を手にモスクワ大学に進む。
このゴルバチョフの経歴を見るにつけ、思い起こすのが田中角栄元首相だ。幼少時は貧しく、成績は優秀だったが、高等小学校を終えると、働きながら苦難の日々を送ることを強いられる。旧制中学――旧制高校――旧帝大という当時のエリートコースに進むことはできなかった。たまたま事業で成功し、若くして政治家として頭角を現し、39歳で郵政大臣、44歳で大蔵大臣、54歳で首相になった。そして、前任の佐藤栄作氏が逡巡していた日中国交正常化に踏み切った。日本列島改造計画などでも知られる。
ロッキード事件で逮捕され、政治家としては汚点を残したが、前例にとらわれない「発想の大胆さ」はゴルバチョフと重なる部分がある、と感じた。ともに貧しさの中から苦労して這い上がった「立志伝中の人物」という共通項がある。
偶然だが、54歳で首相や党書記長になって、政治家として頂点に到達したところも同じだ。田中元首相の人生はその後、急転したが、旧ソ連解体後のゴルバチョフも、国内では指弾される人になった。
ゴルバチョフはウクライナと縁が深い。母だけでなく、妻のライサさんの父もウクライナ人だった。ともにロシアとウクライナの血をひく二人は今、モスクワの墓地で隣り合って埋葬されているという。泉下でロシアとウクライナの戦争を、さぞかし嘆いているに違いない。
本書の訳は、元朝日新聞モスクワ支局長の副島英樹氏。ロシア通の佐藤優氏が解説を書いている。巻末の人名索引なども充実している。訳書の刊行は今年7月なので、訳者あとがきなどでは、ロシアのウクライナ侵攻にも触れられている。
BOOKウォッチでは関連で、新書大賞を受賞した『独ソ戦――絶滅戦争の惨禍 』(岩波新書)のほか、立花隆氏の『田中角栄研究全記録』(講談社)なども紹介済みだ。
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