緊迫するウクライナ情勢を知る上で役に立つと、今売れているのが本書『物語 ウクライナの歴史』(中公新書)だ。2002年の初版だが、少しも古びておらず、今年(2022年)4月で12版と版を重ねているロングセラーでもある。ロシア帝国やソビエト連邦のもとで長く忍従を強いられながらも、独自の文化を失わず、多くの人材を輩出してきたウクライナ。その不撓不屈のアイデンティティはどこから生まれてきたのか。なぜ、ウクライナの人々が勇敢にロシアと戦おうとするのか、本書を読めば納得するだろう。
著者の黒川祐次さんは元外交官。東京大学教養学部卒業後、外務省に入省。駐ウクライナ大使、衆議院外務調査室長、日本大学国際関係学部教授などを歴任。2004年のウクライナ大統領選挙の際には日本監視団長を務めるなど、ウクライナとの関係が深い人だ。
ロシアによるウクライナ侵攻で、にわかに注目を集めるようになったウクライナだが、その歴史はあまり日本では知られていない。その理由を黒川さんはこう考えている。
「ウクライナが1991年の独立まで自分の国をもたず、それまで何世紀もロシアやソ連の陰に隠れてしまっていたことによるのではないか」
そして、ウクライナ史の権威であるオレスト・スブテルニーの「ウクライナ史の最大のテーマは、国がなかったことだ」という言葉を紹介している。
すると、ウクライナはもともとロシアの一部でなかったのかと思うかもしれないが、それは誤解だ。10~12世紀にはキエフを首都とするキエフ・ルーシ公国があり、当時のヨーロッパの大国として君臨し、その後のロシア、ウクライナ、ベラルーシの基礎を形作った。ところが、その後モンゴルの侵攻などでキエフが衰退したのに対し、いわば分家筋のモスクワが台頭し、スラブの中心はモスクワに移ってしまった。主従の逆転ぶりをこう表現している。
「ルーシ(ロシア)という名前さえモスクワに取っていかれたのである。したがって自分たちの土地を表すのにウクライナという名前を新しく作らなければならなかったほどである。(中略)モスクワから勃興した国が後に大国になり、ロシアと名乗ってキエフ・ルーシを継ぐ正統の国家と称したため、ウクライナの歴史は、『国がない』民族の歴史となったのである」
一方、国はなかったが人材は輩出した。作家のゴーゴリ、音楽家のホロヴィッツ、リヒテル、作曲家のプロコフィエフ、ヘリコプターの実用化に貢献したシコルスキーら、ウクライナ生まれの芸術家・学者は事欠かない。「植民地状態にあったこの地で世界の歴史に名を残すほどの人材がなぜこれほど多く生まれたのか不思議なほどである」と黒川さんは書いている。
本書の構成は以下の通り。章タイトルを眺めるだけで、周辺の国に蹂躙されてきたことが分かるだろう。
第1章 スキタイ 騎馬と黄金の民族 第2章 キエフ・ルーシ ヨーロッパの大国 第3章 リトアニア・ポーランドの時代 第4章 コサックの栄光と挫折 第5章 ロシア・オーストリア両帝国の支配 第6章 中央ラーダ つかの間の独立 第7章 ソ連の時代 第8章 350年待った独立
近世以降の歴史を足早にたどってみよう。17世紀にコサック隊長のフメリニツキーが蜂起し、「コサック国家」ないしは「ヘトマン国家」を形成した。だが、モスクワに庇護を求めた結果、国は消えた。18世紀末のポーランドの分割およびトルコの黒海北岸からの撤退によって、第1次世界大戦までの約120年間、ウクライナはその土地の約8割がロシア帝国に、残りの約2割がオーストリア帝国に支配されることになった。
ロシア帝国下では、「ウクライナ」は正式名ではなく、「小ロシア(マロロシア)」が行政上の名前であった。ウクライナ人は「小ロシア人」と呼ばれた。蔑称だろう。
第1次世界大戦とロシア革命によって、ロシアと東欧の地図はすっかり塗り替わった。ロシアでは帝政が倒れ、ソ連という新しい国家が生まれた。民族自決の原則に従って旧ロシア帝国の支配下にあったリトアニア、ラトヴィア、エストニア、フィンランドのバルト・北欧諸国が独立し、オーストリア・ハンガリー帝国下のポーランド、チェコ・スロヴァキア、ハンガリーも完全独立を果たした。
ところがウクライナは、圧倒的に大きなエネルギーを独立運動に投入し、多くの犠牲を払ったにもかかわらず、独立はつかの間の夢に終わり、大部分はロシアを引き継いだソ連の、残りはオーストリアを引き継いだポーランドの支配下となった。ロシア革命後、「ウクライナ中央ラーダ」という調整組織が「ウクライナ国民共和国」の創設を宣言したが、レーニンが率いるソ連につぶされた。
その後、ソ連の指導者になったスターリンは農民を抵抗勢力と考え、土地の没収や集団化を進めた。1932~33年には大飢饉が起き、300~600万人(ソ連が隠したため正確な数は不明)の餓死者が出た。ヨーロッパ最大の穀倉地帯であるウクライナでなぜ? と思うだろう。集団化による混乱とロシアへの食糧調達による人為的な飢饉だったと見られる。スターリンがウクライナの民族主義を弱めるために意図的にやったことだという説もあるという。
ソ連解体によってウクライナは独立。黒川さんはウクライナの将来性について、「ロシアとアメリカの間のバランスを巧みにとってその安全保障を確保している」と書いている。しかし、今回ロシアは侵攻した。また、こうも書いている。「ウクライナがどうなるかによって東西のバランス・オブ・パワーが変わるのである。(中略)ウクライナが独立を維持して安定することは、ヨーロッパ、ひいては世界の平和と安定にとり重要である」。
世界がウクライナ情勢を見つめる今日の状況を予言するかのようである。
なお、「キエフ」など地名の表記は本書に従った。
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