「それでも、僕の周りはあたたかな人たちであふれている」
ウォン・ジェフンさん著、岡崎暢子さん訳の『世の中に悪い人はいない』(KADOKAWA)は、「短くて素朴な小説」をつめ込んだ短編集。
著者は時々、手のひらに文字を書くという。たとえば、「安らぎ」「愛」「勇気」と書き、ぎゅっと握る。そして目を閉じて祈る。「今書いたことが現実になりますように」――。
本書に収められた"手のひら小説"には、そんな切なる思いが込められている。
「心のいちばん奥にしまった『あのとき』『あのひと』のこと。記憶の断片をやさしく包み長い余韻を生む、不思議な短編集」
また、本書はBTSメンバーの愛読書としても注目の1冊。J-HOPEさんが2021年の誕生日に行ったライブ配信で、原書を「今読んでいる本」と紹介したことから瞬く間に話題に。
BTSメンバーが紹介した書籍は、「推しの愛読書を読んでみたい」とファンの間で広まり、次々に大ヒット。この現象は「BTSセラー」と呼ばれ、出版業界に大きな影響を与えているという。
本書は「1章 世の中に悪い人はいない」「2章 願いを聞いてあげる家」「3章 猫の傷」の構成で、37作品を収録。
まずは1章から、表題作「世の中に悪い人はいない」を紹介しよう。
あるテレビ局が、「食いしん坊すぎるのが玉に瑕(きず)という"ニンゲン"」の番組制作に追われていた。コンセプトは「この世に最初から出来の悪いニンゲンなどいない」。自分たちイヌの心を癒やしてくれるニンゲンの性格や態度が、しつけ方の良し悪しに左右される点を伝えよう、というものだった。
なにかがおかしい......。そう、イヌとニンゲンの立場が逆転しているのだ。この惑星では、ニンゲンはイヌに飼われるペット。撮影クルーと飼い主のやりとりに、こんなものがある。
――ニンゲンを観察していると、その知能の高さから惑星ひとつくらい牛耳っていてもおかしくないなと思えてきます。
「きっとその惑星は、戦争や暴力が絶えない星なのでしょうね」
――その通り。だからこそ、僕たちがきちんと統制しなければ。
「そのせいか余計にいじらしくもあるんですよね。ときには平和を好む様子も見せるし、性格もニンゲンそれぞれに違っているし」
もしニンゲンがイヌに飼われるペットだったら......。ひょっとすると、あり得なくもないかもしれない。イヌ目線から観察した"ニンゲン"の生態は、冷や汗ものだった。
表紙の真っ赤な猫が印象的。もう1つ、3章から「猫の傷」を紹介しよう。
僕には可愛がっている猫が1匹いる。しょっちゅう抱っこするから、自分でも気づかないうちにひっかき傷ができていたりする。その日も傷になっていたようで、後輩に指摘されて気づいた。
「自分の目ではよく見えない軽い傷がある。特に痛みもせず、傷跡も大きくないのに、他人の目から見るととても目立つ、そういう傷があるものだ。そういう類の傷を僕は"猫の傷"と呼んでいる」
僕が猫を飼い始めたのは、偶然の縁だった。すがるように鳴いているところを見つけ、駆け寄った。そして僕の体には"猫の傷"ができるようになった。ただ、この傷は、僕が猫を愛していることの証でもあった。
「あまりに近づきすぎると傷ができるのだ。こうして傷を負っても僕らはもっと近くにいたがるし、そして近くにいるから軽い傷を負う。それは傷というよりも、愛の痕跡だ。人生の痕跡とはこうして生じるのだ」
「不思議な短編集」とはどういう意味だろうと思ったが、なるほど。ファンタジー小説、哲学書、なかにはエッセイのような作品も。核心を突く言葉がそこかしこに散りばめられている。
面白いし深い。訳がこなれているのもいい。もし「BTSセラー」になっていなかったとしても、作品自体の力で注目されていただろう。
■ウォン・ジェフンさんプロフィール
1988年、世界文学冬号に詩『恐竜時代』などを発表し、作品活動を開始。以後、詩集や長編小説、散文集などを幅広く出版。放送関連の仕事や、出版企画集団の企画委員としての活動も並行するなど、多岐にわたり活躍する。
■岡崎暢子さんプロフィール
韓日翻訳、編集者。1973年生まれ、女子美術大学芸術学部デザイン科卒業。2002年に韓国留学、韓国語を学ぶ。帰国後は韓国語学習誌、新聞や書籍などの編集を手掛け翻訳にも携わる。訳書に『あやうく一生懸命生きるところだった』(ダイヤモンド社)、『頑張りすぎずに、気楽に』(ワニブックス)、『僕だって、大丈夫じゃない』(キネマ旬報社)、『K-POP時代を航海するコンサート演出記』(小学館)など。
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