東京大学出版会というお堅い出版元が刊行する「言語学」を冠した本書だが、その帯には不似合いな「抱腹絶倒必至!」という文字が。この取り合わせに「なんなんだ?」と感じる人は多いと思われ、まさに私もこれにつられて購入した。「つかみはオッケー」という感じで読まれているようで、刊行以来、多くの全国紙が書評で取り上げたのも、類書としては珍しいことだろう。
著者の川添愛さんは言語学の専門家で、すでにこの分野の著作も多い。本書『言語学バーリ・トゥード』は東大出版会の月刊冊子「UP」の連載をまとめたもので、言語学の専門知識を駆使しながら、コロナ禍からプロレス、宇宙人、歌謡曲にギャグまで、日常的に使われている日本語と言語の謎を、ある時はロックに、またある時はヤンキー風な語り口で、脱線に次ぐ脱線の末にまとめて、一気に読ませる。
そもそも「UP」はUniversity Pressの略で「ユーピー」と読むらしいが、川添さんはあえて「アップではない」と断ったりする言葉のセンスも軽妙である。20年位前だろうか、首相も経験した大物政治家が、Information Technology(情報技術)の略であるIT(アイティ)を「イット」と読んで、ずっこけ漫才かと話題になったことを思い出した。サブタイトルも『Round1 AIは「絶対に押すな」を理解できるか』とまじめに遊んでいる。
さて、取り上げるのは松任谷由実作詞作曲のヒット曲『恋人がサンタクロース』を『恋人<は>サンタクロース』と勘違いして記憶している日本人が圧倒的に多いのはなぜかについて書かれた章である。
映画『私をスキーに連れてって』の挿入歌として、サビの部分のメロディーとともに覚えている人も多い曲の題名だが、あなたはどちらで覚えているだろうか。
日本語文法のなかでも、助詞の「が」と「は」の違いは、「そこに足を踏み入れたが最後、その後何十年も出られなくなる底なし沼」なのだそうで、のっけから、言語学に怪奇な世界の入り口がぽっかりと空いた物語が始まる雰囲気になる。言語学の知識がなくても、そのエッセンスはすんなり頭に入り、ユーミンがこの曲名に、なぜ「は」ではなく「が」を使ったかを含めた分析が歌詞の流れを含めて展開される。
一方で、川添さんは格闘技愛好家、むしろ、オタクといったほうがいいかも知れず、ほぼ全編にプロレス・格闘技ネタがちりばめられている。その向きには、これも魅力のひとつのようで、書名にある「バーリ・トゥード」が何かを知っている人には、書名の狙いも透けて見え、にやりとするだろう。
既にお気づきの読者も多いと思うが、サブタイトルに埋め込まれた「絶対に押すなよ」は、2022年5月に亡くなったお笑いトリオ、ダチョウ倶楽部の大ボケ担当、上島竜平さんの超お約束の台詞である。
体を張ったコント芸、熱湯風呂で使われ、多くの日本人なら、この台詞が繰り返された後、ほぼ次の展開を予想し、予定調和的な結末で爆笑、という共通体験をしているはずである。(もしも知らない人がいたら、YouTubeかなにかで是非ご覧ください)
このギャグの構造を、人知を超える領域に到達しつつあるとも評される人工知能AIは理解できるのかという、どうでもいいような、しかし、「AIは笑えるのか」という根源的な問いも本書では検討されているのだ。答えがイエスなら、漫才日本一を決める「M-1グランプリ」で、ときに問題となる審査員の偏向や恣意性を排除し公平性を担保することがAI審査で可能になるかもしれない。筆者の見解は本書でご覧いただきたい。
本書は上島さん存命中に刊行されており、1回目は刊行直後に読んだ。上島さんが亡くなった今、この書評を書くにあたり、あらためて、該当箇所を読んでみると、<台詞の文字通りの「意味」と上島氏の「意図」の違い>という趣旨の表現が、上島さんの衝撃的な死を背景に1回目とは違う響きで伝わってくる。
人間が会話や発話を理解するということは、単なる表面上の言葉の理解ではないという当たり前のことを思い起こさせ、ダチョウ倶楽部の「聞いてないよー」などのギャグにも想いは飛んでいく。
冒頭の本書の帯に戻ると、手拭いでほっかぶりして鼻の下に墨を引いた上島さんのお馴染みの似顔絵が、「読むなよ、絶対に読むなよ!」と絶叫している。
「買えよ!」という意図を、逆説的だが露骨かつ絶妙に表現したポップだが、AIならずとも、上島さんの熱湯風呂を知らない外国人には理解できない不思議な表現だろう。こんなところにも言葉の「意味」と「意図」のズレが巧みに仕掛けられている。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?