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【試し読み】BTSも愛読する世界的ベストセラー『ミッドナイト・ライブラリー』(4)

ミッドナイト・ライブラリー

 「あなたには、やりなおしたい過去がありますか?」

 全英1位。世界43カ国で刊行。BTSメンバーも愛読する世界的ベストセラー小説『ミッドナイト・ライブラリー』(マット・ヘイグ 著)。本作の日本語翻訳版(浅倉 卓弥 訳)が、ハーパーコリンズ・ジャパンより2月9日に刊行される。

 ぜひ1人でも多くの人に読んでほしい! そんな思いを込めて、BOOKウォッチでは本作の【試し読み】を連載(全6回)でお届けする。

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 本作の書評「BTSも愛読する世界的ベストセラー。『もしもあの時......』と後悔している人へ。」はこちら

重すぎる『後悔の書』

■ここまでのあらすじ

 ノーラはその日人生のどん底にいた。飼っていた猫を亡くし、仕事をクビになり、いくら悲しくても話を聞いてくれる家族も友人もいない。頭をめぐるのは後悔ばかり。

 「私がもっといい飼い主だったら」「両親にも亡くなる前にもっと親孝行ができていたら」「恋人と別れなければよかった」「故郷に戻らなければよかった」

 生きている意味などもうないと、ノーラは衝動的に自らの命を絶とうとする。

 だが目覚めたとき、目の前には不思議な図書館が佇んでいた――。

 真夜中の図書館にある本には、1冊を除いて、ノーラが生きていたかもしれない人生が綴られているという。ノーラは、その例外的な1冊『後悔の書』を手に取った。以下、その続きの場面から、【試し読み】をお楽しみいただきたい。

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後悔の書

 ノーラは本を見下ろした。表紙には小さな文字が箔(はく)押(お)しされていた。

 『後悔の書』

 「あなたが生を享(う)けて以来感じてきたすべての後悔が、余さずそこに記されています」

 言いながらエルム夫人は、その文字の下辺りを人差し指で軽く叩いた。

 「ではいよいよ、その本を開くことをあなたに許可します」

 けれど本はあまりに重く、言われたようにするには、ノーラはまず石の床に座り込み、胡坐(あぐら)をかかなければならなかった。そしてようやくページをめくり始めた。

 本は章分けされていた。年ごとにノーラの人生が記されているらしく、〇、一、二、三、と始まり、三十五章まであった。先に進むにしたがって、章はそれぞれに分量を増してもいた。けれどノーラが溜め込んできた後悔というのはどうも、その原因となった出来事が起こった年と特に関係づけられて記載されているわけではなさそうだった。

 「後悔というものは時系列など無視します。宙を漂うのですよ。ですから、このリストの並び順も常に変化しているのです」

 「なるほどね。そういうものかもしれないわね」

 記されていた後悔は、たとえば日常のありふれた〝今日は運動しなかった〟といった類(たぐい)のものから、もっと本質的な〝父が生きているうちに愛していると伝えておけばよかった〟といった根深い内容までと、実に多岐にわたっていた。中には、複数のページにわたって繰り返し現れるものもあった。やまない低音のノイズみたいだ。

 「バンドを辞めたことを後悔してる。兄をがっかりさせたから」「バンドを辞めたことを後悔してる。自分自身にがっかりしたから」「環境のためにもっとできることをしていればよかった」「SNSに時間を使いすぎている」「どうしてイジーと一緒にオーストラリアに行かなかったんだろう」「若い頃にもっと楽しんでおけばよかった」

 「父と口論ばかりしていた」「どうして動物関係の仕事に就かなかったんだろう」「大学で哲学じゃなく、地学を専攻していればよかった」「もっと幸せな人間になる方法を勉強したかった」「罪悪感ばかり覚えていたことが悔しい」「スペイン語にもっとこつこつ取り組んでいたら」「なんでAレベル試験で科学系の科目を一つも選択しなかったんだろう」「氷河の研究者になればよかった」「あのまま結婚していればよかった」「ケンブリッジの哲学の修士課程に応募しておけばよかった」「どうして健康的に生きられないんだろう」

 「ロンドンになんか出なきゃよかった」「英語を教えにパリに行っていればよかった」「大学時代に書き始めた小説を最後まで書けばよかった」「どうしてロンドンを離れたんだろう」「もっと将来を考えて就職すればよかった」「いい妹じゃなかった」「大学を出た後に一年くらい留学してもよかったのに」「父を失望させた」「自分でピアノを弾くより他人に教えることばかりに時間を使ってる」「お金の管理がまるでできてない」「田舎に住んでいればよかった」

 ほかのものよりわずかに薄い印字の後悔もいくつか見つかった。でも中に一つ、ほとんど見えないくらいから一気に真っ黒な太字まで、といった変化を繰り返しているものがあった。まるでノーラが目を向けるその都度に点滅しているかのようだ。こういう内容だ。

 〝どうしてこの年になっても私には子供がいないんだろう〟

 「それは時に後悔となり、また別の時にはそうでなくなる種類のものだからよ。中にはそういうのもあるの」

 エルム夫人の説明が聞こえた。またしてもノーラの心を読んだらしい。

 終盤の三十四歳以降の章は、一番分厚い章でもあったのだが、ここには特に、ダンに関する後悔が山ほど繰り返し現れていた。太字の強い書体で書かれたそれらが、たとえるなら、ハイドンのコンチェルトで聴こえてくる、どこまでもただクレッシェンドしていく激しい和音さながらの強烈さで、ノーラの頭に響き渡った。

 「ダンにひどいことをした」「別れたりしなければよかった」「田舎であの人と暮らしている人生だってあったのに」

 ページを見下ろしながらノーラは、自分が結婚するはずだったこの相手は、今いったいどうしているのだろう、と考えた。

重すぎる後悔

 ノーラがダンと出会ったのは、南ロンドンでイジーとルームシェアをしていた時期だった。短い髭(ひげ)を生やしたダンは、笑顔が可愛らしく、面白くて好奇心も旺盛で、お酒がものすごく好きなわりに、不思議に二日酔いとは無縁な好青年だった。

 大学で美術史を専攻していたダンは、そこで学んだルーベンスとティントレットに関する専門知識を活かし、サプリメント会社の広告チームの責任者として勤めていた。ところが、ダンにはまるで違う夢があった。田舎でパブを経営したがっていたのだ。それも、恋人と力を合わせて実現したいと考えていた。いわずもがな、ノーラのことだ。

 ノーラの方も、ダンの熱意にほだされた形で、一旦は婚約にも頷いた。ところがすぐに、自分が結婚など微塵も望んでいなかったことに気がついてしまった。胸の奥底で、いずれ私は母みたいになってしまうのではないか、と恐れていたせいだ。両親の結婚生活をなぞるような真似は、できればしたくなかった。

 ぼんやりと『後悔の書』を見つめたままノーラは、はたして両親にも、ちゃんと互いに相手に恋していた時期があったのだろうか、と訝った。あるいは二人が結婚したのは、それぞれの適齢期に、たまたま相手が一番身近にいたからではなかったか。だから、音楽が止まった時に目の前にいた相手にしがみつくゲームみたいなものだったのではないのか。そんなゲーム、自分はやってみたいとも思わない。

 かつて哲学者バートランド・ラッセルはこう書いている。

 「愛を恐れることは、すなわち人生そのものを恐れることだ。そして人生を恐れる者は、すでにほとんど死んだも同然なのである」

 おそらくこれがノーラの問題だった。ただ〝生きていく〟というそれだけのことが怖かったのだ。しかしラッセルという人は実は、温かな食事の回数よりも多くの数の、結婚と情事とを繰り返した人物だ。アドバイスを仰いでいい相手でもなさそうだ。

 式の予定日まであと三ヶ月という時期に母親が死んでしまった時のノーラの悲しみは、それこそ計り知れないほどだった。結婚を延期したいとも言ったのだが、それも難しかった。絶望と不安に加え、自分の人生ですらもう意のままにはならないのだな、という思いが一緒くたになり、母の死を嘆(なげ)く悲しみと混じり合っていった。すると式そのものが、そうした複雑な気持ちの象徴に思えてきた。まるで線路に縛りつけられているみたいだった。縄を緩め自由になるには、逃げ出すしかない。

 けれど逃げ出した先にノーラを待ち受けていた現実はどれも、自由とは真逆にしか思えないものばかりだった。独身のままベッドフォードにとどまったこと、一緒にオーストラリアに行こうというイジーの誘いを断ったこと、<弦理論(ストリングセオリー)>で働き始めたこと、全部がそうだ。

 「あら大変──」

 エルム夫人の声がして、ノーラの思考を遮った。

 「ちょっと重すぎるみたいだわ」

 その時だった。そうした後悔のすべてがいきなり強烈な生々しさで胸によみがえってきた。人々を落胆させ、自分自身をも落胆させた痛みだ。ノーラがそこから逃げ出そうとしてまだ一時間も経っていない、すべてを飲み込もうとする痛みだ。

 後悔は今や群を成してノーラの周囲を飛び回っていた。実際ページをめくっていくうちに湧いた思いは、ベッドフォードを一人でうろついていた時よりもさらにひどいものだった。本からあふれた後悔の激しさにノーラは悶(もだ)えた。罪悪感も悔恨も悲しみも、耐えられないほど強烈だった。我知らずノーラは後ろにのけぞり肘をついた。本も取り落としてしまった。

 大急ぎでまぶたをきつく閉じた。それでもなお、目に見えない手が首に巻きついてでもいるかのようで、呼吸すら上手くできなかった。

 「今すぐにこれを止めて。お願いよ」

 「とにかく閉じなさい」

 エルム夫人がそう指示した。

 「目だけでなく本を閉じるんです。それもあなたが自分の手で閉じなければ意味がないの」

 今にも気を失いそうになりながら、それでもノーラは体を起こし、手をどうにかその灰色の表紙の下へと潜り込ませた。本はさっきよりいっそう重くなったようにも思えたが、それでもなんとか閉じ、ようやくほっと息をついた。

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■マット・ヘイグさんプロフィール
 1975年イギリスのシェフィールド生まれ。大学卒業後、マーケティング会社を経営するなど様々な職を経たのちに作家業に専念。フィクション・ノンフィクションを問わず多岐にわたるジャンルの作品を執筆し、その多くがベストセラーとなっている。"Shadow Forest"でネスレ子どもの本賞金賞を受賞。3作品がカーネギー賞候補作に挙げられている。本書"The Midnight Library"は世界43カ国で刊行され、全英1位を獲得。各国でロングセラーに。2020年Goodreads Choice Awardsフィクション部門を受賞した。

■浅倉卓弥さんプロフィール
 1966年札幌生まれ。作家・翻訳家。東京大学文学部卒業。2002年『四日間の奇蹟』で第1回『このミステリーがすごい!』大賞(金賞)を受賞。同作は映画化もされ、ミリオンセラーに。他の著作に『黄蝶舞う』(PHP研究所)など、訳書にウォリッツァー『天才作家の妻』(ハーパーコリンズ・ジャパン)ほか多数。


※画像提供:ハーパーコリンズ・ジャパン


 
  • 書名 ミッドナイト・ライブラリー
  • 監修・編集・著者名マット・ヘイグ 著、浅倉 卓弥 訳
  • 出版社名ハーパーコリンズ・ジャパン
  • 出版年月日2022年2月 9日
  • 定価1,980円(税込)
  • 判型・ページ数四六判・440ページ
  • ISBN9784596319067

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