今年(2022年)のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代考証を当初引き受けていたのは、本書『頼朝と義時』(講談社新書)の著者、呉座勇一さんである。ところが、昨年舌禍事件により、降板する事態になった。一時は刊行を断念したという本書は、日本史を変えた「鎌倉殿」と「執権」という二人の政治家の実像を伝えるものだ。
本書の構成は以下の通り。主な小見出しも挙げる。
第1章 伊豆の流人 御曹子から流人へ、頼朝の結婚、挙兵の決断 第2章 鎌倉殿の誕生 頼朝の敗走、富士川決戦、南関東軍事政権の樹立 第3章 東海道の惣官 東国行政権の獲得、義経の京都進出、平家滅亡 第4章 征夷大将軍 奥州合戦、大将軍任官、晩年の孤独 第5章 頼朝の「家子専一」 頼朝の側近へ、曾我事件の衝撃 第6章 父との相克 比企氏の変、時政の失脚 第7章 「執権」義時 実朝との関係、後継者問題、将軍暗殺 第8章 承久の乱 後鳥羽上皇の挙兵、鎌倉幕府軍の圧勝
鎌倉幕府の準公式歴史書である『吾妻鏡』を基本にしつつ、軍記物の真名本『曾我物語』などを参照して、頼朝の行動について検討している。たとえばドラマでは、平家の命を受けて頼朝の監視に当たっていた伊東祐親が、頼朝の殺害を図ったが、頼朝は北条時政の屋敷に逃れたと描いていた。
これは軍記物に依拠した説明であり、鎌倉時代末期以降に成立した物語だから、どこまで歴史的事実を反映しているかは疑わしい、としている。その上で、『吾妻鏡』には、安元元年(1175、頼朝29歳)の9月頃、祐親が頼朝を殺害しようとしたが、祐親の次男の祐清がそのことを告げたため、頼朝が走湯権現(伊豆山神社)に逃れたという記述があることを紹介している。
「頼朝と祐親に確執があったことは事実で、その原因として最もありそうなのは、やはり女性問題だろう」と書いている。
北条政子との結婚にしても、駆け落ちの逸話があるが、いかにも作り話めいている、と書いている。頼朝蜂起を劇的に演出するために脚色したのだろう、と見ている。
このように、複数の資料を比較しながら、出来るだけ事実に迫ろうとする姿勢が一貫している。また、多くの先行研究にも触れているので、学界の関心がどこにあるのかもわかり、参考になる。
「伊豆時代の北条氏は系譜が正確に伝わるような家ではなかったと考えるべきだ」という細川重男氏の見方に対して、従うべき見解であろう、と書いている。
ドラマでは、頼朝のやんごとなきふるまいに、政子が惹かれたという描写があった。流罪になる前の頼朝は京都育ちの名門武士であり、貴族社会の一員だった。北条氏との身分の違いは明らかだった。
従って、頼朝と政子の結婚について、次のようにクールに分析している。
「伊東祐親のような勝ち組はあえて頼朝という大穴馬券を買おうとしない。だが北条時政は違う。このままではジリ貧だという危機感から、賭けに出たのだろう。この選択の違いが両者の明暗を分けることになろうとは、まだ誰も知らない」
そして、義時の歴史的意義について、「源頼朝がやり残した幕府の永続化という事業を完成させ、武家政治を中世に定着させた」と評価している。
呉座さんは、2016年に出した『応仁の乱』(中公新書)が翌年37万部を超えるベストセラーになるなど、近年の日本史ブームの立役者である。複雑怪奇な中世の戦乱について、整理しながら新たな見立てをした分析力と筆力が持ち味である。
本書の「あとがき」で「私の愚行により」、「鎌倉殿の13人」の時代考証を降板することになった、とお詫びしている。SNS上の女性蔑視的な書き込みが原因とされ、勤務していた国際日本文化研究センターから懲戒処分を受けた。呉座さんは自身のSNSで、これを不服として無期雇用准教授の地位確認を求める訴訟を提起している。
「世間の非難を避けるという保身のために、ただでさえ立場が不安定な若手研究者の研究環境をこれ以上悪化させることは、私の望むところではございません」とSNSで態度を表明しており、訴訟の行方が注目される。
そうした事情はさておき、本書は優れた歴史書として評価されるべきであろう。大河ドラマを見る際、本書を参照すれば、さらに興味は増すに違いない。
BOOKウォッチでは、呉座さんの『陰謀の日本中世史』 (角川新書)を紹介済みだ。
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