受験戦争はらくらく通過、就職活動は売り手市場。苦労知らずで、おめでたくて、50代になっても後輩気分......。
本書『バブル・コンプレックス』(角川文庫)は、そんなバブルの恩恵をたっぷり受けた「駄目な世代」を自認する酒井順子さんが、「愛と羞恥でバブル世代を斬る」1冊。
1980年代後半から1990年代初頭までの日本を覆ったバブル景気。その只中に青春を過ごし、団塊・新人類世代と氷河期・ゆとり世代に挟まれたバブル世代。
「他の世代が五十代だった頃よりも、我々は今ひとつ活躍することができずにふわっと存在している、つまりは『駄目』な感じが、確実にある気がしてなりません。なぜ私は、自分とその世代に駄目さを感じるのか。その背景にあるものは、そして未来は......?」
著者が生まれた昭和41年(1966)は、60年に1回まわってくる「丙午(ひのえうま)」の年。江戸時代には火事が多いと言われたり、「丙午に生まれた女性は、夫を食い殺す」との迷信が生まれたりしたそうだ。
この年の出生率は、前年比マイナス26パーセントと激減。人数が少ないが故に、競争も少ない。「丙午キッズ達は比較的のんびりと生きることができました」と振り返る。
割と楽に大学に入り、世は未曾有の好景気となり、就職活動は売り手市場に。当時の人々は、その好景気が弾けるとは思っておらず、「なんか世の中浮かれてるけど、まぁこんなものか」との感覚だったという。
そして人生半世紀を迎えた今、著者の胸に去来しているのは「私達の世代って......、駄目なんじゃないの?」との思い。この「駄目」な感じの根っこは、どこにあるのか。
「何となく我々辺りの学年の人々には、『最後の昭和人』の雰囲気と、『昭和の最下級生』としての甘えの空気が漂ってはいまいか。(中略)自虐することを何とも思わず、それどころか他の世代から駄目扱いされるという"他虐"すらのんびり眺めていられるのも、苦労知らずの我々世代の特徴なのかも」
子どもに就活アドバイスができずに悩む「親バブル、子ゆとり」、平野ノラの芸がイタくもあり嬉しくもある「ディスコの灯を守り続け」、とんねるずとフジテレビの運命に無常を見る「女子大生ととんねるず」など、20のテーマで構成。
軽やかな文体でありながら、鋭く、時に辛辣に、バブル世代論を展開する。
■目次(抜粋)
なんとなく、軽チャー/「いつまでも若く」の呪縛/気づいたら少子化/デジタル格差社会の中で/パンツをかぶる男達/根性にうっとり/オタク第一世代/気がつけばリストラ/ひのえウーマンの強気/大谷世代への劣等感/少子化世代、死への不安
バブル世代の「駄目さ」の1つとして、上の世代からの暴力やセクハラに「NO」と言えなかったことを挙げている。暴力もセクハラも「昭和から現在に引き継がれている遺物」であり、若い世代に「申し訳ない」と。
「自分の中の駄目さを直視して提示することによって警鐘とし、せめてそれが次世代に受け継がれないようにしたいものよと、思うのでした」
「バブル・コンプレックス」とは、こんなにも根深いものなのか。もちろん「私、バブル世代だから」と自虐する人ばかりではないだろう。「駄目な世代」と一括りにしたら反感を買うのでは、と思ったが。
著者はおわりに「我々世代であっても、ちゃんとしている人は、(中略)存在しています。そんな方々にとっては甚だ腹立たしい本書の内容かと思いますが」と断り、「『○○世代』などというレッテルを貼らないでほしい」との意見があることを想定もしている。それでも......
「好むと好まざるとにかかわらず、人は時代がもたらす運命を背負って、生きていくことになるのでした。(中略)日本史上稀に見る軽い時代であった、八〇年代。その締めくくりにバブルがやってきたことによって、時代の印象は決定づけられます」
「バブル世代」の当事者が、自虐と"他虐"を込めて「バブル世代の功罪」を書き尽くす。懐かしんだり面白がったり、世代によって読み方もいろいろだろう。
本書は、2018年に刊行された単行本『駄目な世代』(株式会社KADOKAWA)を改題し、加筆修正のうえ、文庫化したもの。
■酒井順子さんプロフィール
1966年東京生まれ。高校在学中より、雑誌にコラムを執筆。立教大学社会学部卒業後、広告代理店に就職。その後執筆業に専念。『負け犬の遠吠え』で第4回婦人公論文芸賞と第20回講談社エッセイ賞をダブル受賞。『甘党ぶらぶら地図』『ほのエロ日記』『下に見る人』『子の無い人生』(以上、角川文庫)ほか著書多数。
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