私はなぜこの世に生まれてきたのだろう――。誰しもそんな思いを抱いたことがあるのではないか。たとえば思春期の頃、未来が見えなくて不安にかられたとき。失恋の悲しみや仕事の挫折、友人や家族の人間関係に思い悩んだとき。生きる意味を見失った苦しみの渦中でふと頭をよぎる。もし、「生まれてくるかどうか」を自分で決められたのなら......と。その問いと真摯に向き合うのが本書である。
著者の李琴美さんは2021年に『彼岸花が咲く島』で芥川賞を受賞。それはある架空の島を舞台に、記憶を失くして流れ着いた少女と島の少女との出会いから始まる。彼女たちが話す〈ニホン語〉と〈女語〉の独特な調べ、やがて導かれていく遠い過去の歴史が鮮やかな自然のもとで描かれ、ファンタジーの世界へ誘われるような作品である。だが、次に著者が取り組んだのは一転、近未来社会を描いた衝撃作として話題に。『生を祝う』と題した本書では、胎児の同意を得なければ出産できない近未来の日本が舞台だ。
その構想が生まれたきっかけについて、文芸誌「小説トリッパー」のインタビューで、李さんはこう語っている。
〈「なんで生まれてきてしまったんだろう?」という、作品の核となる思いは自分の中にずっとありました。個人の意思が尊重される世の中であるにもかかわらず、出生だけは当事者の意思がまったく無視された状態で、強制されてしまうその現状に対して、あまり疑問視されておらず、出生は喜ばしいことだと、世界の常識のように言われている。そのことに違和感をおぼえていて、いつかこのテーマで小説を書いてみたいなと思っていたんです。〉
では、出生は「呪い」なのか、「祝い」なのか。小説を書いていくうちに、その問題が浮かび上がってきたのだという。
物語の主人公は、同性婚をしたパートナーとの間で人工妊娠手術によって子を宿した28歳の女性・立花彩香。自分が生まれた年に、日本で「合意出生制度」が確立された。過去をさかのぼると、世界を席巻する疫病の災禍によって日本経済は一気にどん底へ。人々の死生観も大きく変化し、安楽死が合法化された。さらに「生まれない権利」を求める世界的なムーブメントが起き、「出生前の胎児に出生意思の有無を確認するための技術」の開発を目指す。数年後、日本の研究チームが実用化に成功し、人間は「生の自己決定権」をも手に入れることになった。
「合意出生制度」では、出生前に病院で意思確認を行う。胎児には遺伝や環境、親の経済状況などの要因を基にした「生存難易度」の数値が伝えられ、生まれるかどうかの判断をゆだねられる。胎児が「合意」すれば出産、「拒否」すれば堕胎を余儀なくされる。
この合意出生制度のもとで生まれた彩香は、〈自分の意思で生まれてきたからこそ、本当の意味で世界を愛することができるし、本当の意味で自分の生を喜ぶことができる〉と思う。子供の頃、両親が姉ばかり依怙贔屓して辛かったこと、受験や仕事など様々な挫折はあったが、自分が選んだ人生だからと肯定する。その結婚相手で一歳年上の佳織は、意思確認をされずに生まれてきた。父親は娘が同性愛者であることをカミングアウトすると激怒し、味方する母親と離婚。自分を否定した父親を憎み、そんな男の子供として生まれたくなかったと悔やむ。だからこそ彩香と佳織は、子供の意思を尊重しようと決めた。
しかし、二人を揺るがす出来事が次々に起きていく。彩香の職場では、男性上司が子供から「出生強制罪」で訴えられた。高校生の子供は恋に破れた失意のなか、実は自分が出生に同意していなかったことを知り、意思を無視した両親を憎んで提訴したという。生まれてきた子どもには、胎児のころの記憶はない。上司の家庭では胎児が「拒否」したが、妻が夫に嘘をついて出産し、16年後に出生強制の事実が露見したのだった。
この制度は「自然の摂理に反するものだから、廃止するべきだ」と主張する新興宗教団体も現れ、テロ事件まで起きる。さらに彩香は姉からも「出生意思確認をやめてほしい」と頼まれた。実は彼女も授かった子に出生を拒否され、堕胎した苦しみを抱えていたことを知る。その先に、彩香が葛藤しながらくだした決断とは......。
物語の結末へとぐんぐん引き込まれながら、読者の私たちも心が揺れ動く。生まれるかどうかを選択できることは、果たして子供にとって幸せにつながるのだろうかと。 かたや現実社会に目を向ければ、第三者による精子提供や卵子提供、代理出産などの生殖補助医療が進むなかで、生まれる子供たちの「出自を知る権利」はいまだ保障されていない。一方、出生前診断によって胎児の疾患や障害の有無などがあきらかになれば、「産む選択」「産まない選択」も親にゆだねられる。さらに言えば、望まぬ妊娠で生まれてくる子供たちがいて、児童虐待や育児放棄など痛ましい事件も後を絶たない。そうした現実に対して、この物語には痛烈なアイロニーも込められているようだ。
著者の李さんはインタビューでこうも語っている。
〈この小説にはすごく毒があると思います。ですが、毒がない小説は私の好みではありません。毒にも薬にもなる小説を、これからも書きたいですね〉
その苦みを毒と感じるか、薬と感じるか。それは読者にゆだねられているが、救いとなるのは物語の中で通奏低音のように流れている「生を祝う」ことを希求する女性たちの思い。今、読み終えて心地良いのは、命が生まれくる先に希望も見えていることだ。
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