ベストセラーとなった『マチネの終わりに』で知られる芥川賞作家、平野啓一郎氏の新作『本心』(文藝春秋)が刊行された。リアルな作風でファンを獲得してきた平野氏は、今回、四半世紀後の日本を舞台にするというSF的な設定に挑戦。急逝した母をAIとVR技術で再生させた青年の魂の遍歴を描いている。
2040年代の日本。29歳の石川朔也は母を亡くして半年後に、母のVF(ヴァーチャル・フィギュア)の作成を依頼する。写真と動画、遺伝子情報、生活環境、各種のライフログなどもとにつくる。ヘッドセットを装着すると、あたかも仮想空間の中に生前の母が蘇ったようだった。
朔也の仕事もまた近未来的な「アバター」のようなものだ。依頼人に代わり、カメラ付きゴーグルを装着し、依頼された場所に行く。依頼人は、あたかも自分がその場所に行って、見て、歩いたかのような感覚を得ることが出来る。
こうしたSF的な設定にもかかわらず、不思議とリアルに感じられるのは、なぜだろうか。平野氏が繰り出す叙述のテクニックもさることながら、母親の「自死」の原因を探りたいという主人公の思いの強さにひきずられたせいだろうか。二人の「再会」が成功することを、読者は強く祈らざるを得ない。
無条件の安楽死であり、合法的な自死が「自由死」という名の下に、認められた近未来である。母一人、子一人で育った朔也にとって、母が「自由死」したことは耐え難いことだった。
「再会」した母は、「自由死」について何も知らないと語る。「お母さん、どうしてそんな決心をしたの? 僕はそれを知りたいんだよ!」と声をあらげる朔也だった。
納得の行かない朔也は、母の「かかりつけ医」や職場の若い同僚だった、三好とのやりとりで、母は朔也が高校を中退したことを気にかけていたことを知る。
朔也は、高校2年のとき、同学年の少女が、生活費を稼ぐために「売春」していたという理由で退学処分になったことに抗議して、座り込みを続け、自主退学したのだった。
三好は、母が「本当の父親」のことを伝えていなかったのではないか、と指摘する。母が愛読していた小説の作者、藤原亮治が父親ではなかったとまで、ほのめかす。
物語の後半は、三好とイフィーという裕福なアバター・デザイナーの若い男性がサブ主人公となり、動き出す。高額の料金を提示し、自分専属のアバターになってほしいというイフィーの意図は? そして、父親探しの結末は?
そうした物語上の進行と平行して語られるのは、どうしようもなく疲弊した未来の日本の姿だ。三好はこう自由死を肯定する。
「こんなに衰退して、どこ見ても年寄りだらけで、誰ももう、安心して人生を全う出来るなんて思ってない。そんな前提、夢物語なんだから。もっと裕福な国だったら違うだろうけど、ないお金はないのよ、それはどうしたって。昔の日本とは違う。だったら、その世界なりの考えしか持てないよ」
それは、現在以上に貧富の格差が拡大し、金持ちの「あっちの世界」と貧しい「こっちの世界」が分断された社会だった。朔也の同僚はこう語る。
「俺は、今でもおかしいと思ってるよ、この世の中。......同じ人間として生まれてるのに、こんなに格差があっていいはずない。それは絶対におかしいよ。――絶対に」
翻訳家・文芸評論家の鴻巣友季子氏は、早くも本書を朝日新聞の文芸時評(2021年5月26日付)で取り上げ、メリット(成果)とデザート(応報)をめぐる物語として、読み解いている。
「自由死は多様な人生選択という仮面をかぶって到来し、弱者や高齢者を追いつめるものになりはしないか」と鴻巣氏は危惧する。マイケル・サンデルの近著『実力も運のうち 能力主義は正義か』(早川書房)を紹介し、近年のアメリカでは、非大卒の「絶望死」(自殺、薬物・酒類による死など)の数は大卒の3倍になっている事実に触れている。
「彼らを追いつめているのは貧困よりも自尊心の喪失だという。自由死と絶望死の間に、明確な境界は引けるだろうか」
物語は、死別した母が決して言わなかったことが、VFの「母」から伝えられ、驚愕の事実が明らかになる。その「本心」に迫るためのタイトルであり、近未来のしつらえが必要だったのだろう。
自身のツイッターで、厳しい政権批判を続ける平野氏が、その信条を文学に昇華した作品として注目される。
平野氏は、1975年生まれ。京都大学法学部在学中に投稿した『日蝕』により、芥川賞受賞。2020年から同賞選考委員を務める。2016年刊行の『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)は58万部を超えるロングセラーとなり、映画化された。前作『ある男』は、読売文学賞を受賞。
BOOKウォッチでは、平野さんの『ある男』(文藝春秋)を紹介済みだ。
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