渋沢栄一の『論語と算盤』を読んでいて、「えっ?」となった箇所がある。
「(自分の子どもたちは)今のところでは、とにかく、私と違った所がある。この方は、私と父とが違った違い方と反対で、いずれかと申せば劣る方である」
オレは父と違って優秀だったが、子どもたちはどちらかと言えば自分よりも劣っている、というのである。もちろん、渋沢の偉大さは誰もが認めるところだが、こう書かれては、子どもたちがちょっとかわいそうだ。
そんな彼らは、「偉大な父」のことをどう思っていたのだろうか。それがうかがえるのが、息子・渋沢秀雄の書いた伝記『父 渋沢栄一』(実業之日本社文庫)だ。
栄一には成人した子どもだけでも、最初の妻・千代(NHK大河ドラマ「青天を衝け」では橋本愛さんが演じる)との間に一男二女、2人目の妻・兼子との間には三男一女があった。
秀雄は、そんな渋沢家の四男で、なんと栄一52歳の時の子どもだ。父と同じく実業界に進み、田園調布エリアの開発などで活躍、のちには東宝の会長などを務めた。
『父 渋沢栄一』で特に面白いのは、終盤の「家庭メモ」と題された一章だ。この章では秀雄の目から見た、家庭での栄一の姿が、あけっぴろげに描かれている。
たとえば、栄一の「女好き」ぶりをめぐるエピソードの数々だ。いくつか引用すると――。
知っている人も多いかもしれないが、栄一は妻以外にも多くの愛人を抱えていた。相手は芸者、女中など幅広く、その間に生まれた子どもも少なくない(合計20人ほどとも)。秀雄の同級生にもこうした子どもがいて、「半分他人のような、半分兄弟のような」関係だったという。
しかも栄一はまめな性格なので、こうした愛人の元に通ったこともしっかり日記に残す。ただ、さすがにばつが悪いのか、日記では「一友人を問う」。日記をのぞき見した秀雄は、思わず苦笑いしてしまう。
ある晩、栄一の会社でトラブルが起きた。
部下は探し回った末、ある愛人宅に栄一がいることをつかむ。さっそく駆けつけ、女中に栄一への面会を求めるが、中からは栄一の大声が......。
「かようなところに、渋沢のおるべき道理はありません。御用がおありなら、明朝宅をおたずねになったらよろしいでしょうと申上げなさい」
長男・篤二は、実業家としての才能はなかったが、栄一の「遊び人」なところはしっかり受け継いだ。そんな彼への姉たちのお説教が、
「大人(※編注:たいじん。渋沢家での栄一の呼び方)ほどのお方に品行上の欠点があっても、それは時代の通弊として致し方ありませんが、その子たるものは違います」
これではグレたくもなる。女性がらみのトラブルを重ねた末、とうとう後継者から外されてしまった。栄一と篤二の愛憎は、佐野眞一『渋沢家三代』(文春新書)に詳しい。
さて、秀雄自身も、父や兄のことを言えない遊び人となった。ある待合(芸妓と遊ぶときなどに使われていた)にやって来たのだが、なんとそこには父・栄一の書が。
「慎其独」
「君子は他人が見ていないところでも、行いを慎む」という儒教の言葉だ。もっとも「待合へ遊びにきて独りを慎むくらいなら、家へ帰ったほうがよさそうである」と、秀雄はしっかりツッコミを入れている。
栄一が「論語」をはじめとする儒教を大切にし、資本主義との融合を目指したことは有名だ。
子どもたちにも「論語」の精神を説くべく、勉強会をたびたび開いた。しかし、当の子どもたちには煙たかったようだ。勉強会の席上、秀雄や兄・正雄などは、こっそりテキストの内側に小説を隠して、退屈をしのいでいたという。
別の個所でも、
「そのころから小説などの好きだった私に、論語などという堅苦しいものはニガ手だった。ときには中学生らしく、千古の格言に共鳴しても、結局格言とは守れないことの集積にほかならないので、わが意志の弱さを喞(かこ)ち、劣等感意識にさいなまれるのがオチだった」
栄一の論語への傾倒も、家族にとっては迷惑半分、というようなところもあったのかもしれない。秀雄は「論語マニア」という表現さえ使っている。
また、儒教は女性関係についての教えはそれほどうるさくない。栄一の浮気に悩まされ続けた妻・兼子は、晩年にはこうぼやいていたという。
「大人も論語とはうまいものを見つけなさったよ。あれが聖書だったら、てんで守れっこないものね」
長兄・篤二が道を踏み外したように、偉大な栄一の存在は、家族にとってはあまりにも「重い」部分もあった。秀雄も、もともとの夢だった小説家を諦めさせられるなど、その人生を左右された。
とはいえ、秀雄の書きぶりからは、そんな父への尊敬や愛情もにじむ。
一つだけ紹介しよう。学生時代の秀雄が、栄一とトランプで戦ったエピソードだ。
兄の正雄と一緒に、友人たちを家に呼び、トランプで遊んでいるところに、すでに71、2歳だった栄一が顔を出した。
当初は観戦していた栄一だが、やがてルールを覚えて参戦する。
「そうりゃ、そりゃ、ストップぞ。ストップぞ」
初心者なのにやたら強い。負けが込んだ若者たちにはニコニコしながら、
「まことに何ともはや御愁傷の至りで......」
思わぬ強敵襲来、秀雄たちも熱が入る。気が付けば、そろって徹夜となってしまった。
栄一のパワフルさや愛嬌ももちろんだが、尊敬する父が、子どもたちの遊びに熱心に付き合ってくれたことへのうれしさも伝わってくる。読んでほのぼのする一節だ。
「偉大すぎる」とともに、時に「困った」人、でも不思議と「魅力」にあふれていた渋沢栄一。今後の大河ではどう描かれるだろうか。
BOOKウォッチでは、今井博昭『渋沢栄一』(幻冬舎新書)や、井沢元彦『お金の日本史』(KADOKAWA)など、渋沢栄一を扱った書籍を複数紹介している。
(BOOKウォッチ編集部)
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