日本の刑事裁判の有罪率は99%を超え、諸外国の中では際立って高いと言われる。逮捕されたら不起訴にならない限り、ほぼ有罪になる訳だ。そうした中で、約30件もの無罪判決を書いた異色の裁判官がいる。東京高裁判事、水戸地裁所長、東京高裁裁判長などを歴任した木谷明さんだ。本書『「無罪」を見抜く 裁判官・木谷明の生き方』(岩波現代文庫)は、木谷さんの生き方を通じて、刑事裁判の問題点を指摘した本だ。
さまざま異色尽くめの本だ。普通、日本の裁判官は自分のことをほとんど語らない。ましてや自分が関わった裁判に関してはほとんど沈黙を守る。
本書はオーラル・ヒストリーという手法で、堅い元裁判官の口を開けたという点に意義があるだろう。聞き手・編者は2人。山田隆司さんは読売新聞記者を経て、大阪大学大学院博士課程修了の博士(法学)、創価大学法学部教授。もう1人の嘉多山宗さんは、創価大学法学部卒。91年司法試験合格、弁護士登録の後、創価大学法科大学院教授。退官後、十数年経ったからとかかわった裁判についても語っている。
2013年に単行本が岩波書店から刊行され、すぐに売り切れになり、ネットでは高値が付いたという。昨年、岩波現代文庫として刊行されたのが本書である。面白くかつ日本の裁判制度についてよく分かるので、この文庫化は歓迎したい。
木谷さんの生い立ちから始まるが、木谷さんの父は囲碁棋士として超有名な木谷實(1909-1975)と知り、驚いた。「木谷道場」を神奈川県平塚市の自宅に開き、門下生から、大竹英雄、石田芳夫、武宮正樹、小林光一、趙治勲らキラ星のように著名棋士が輩出した。
木谷さんら兄弟と囲碁の内弟子が同居する生活。囲碁の才能がないと知り、早い段階から勉学に励み、現役で東大に合格、法学部に進学した。「親の関心はもっぱら誰が入段するかにあって、大学入試なんて二の次なんです」
登山などをしながら、現役で司法試験にも合格。司法修習を終え、1963年に判事補に任官され、東京地裁の刑事部に配属された。理屈で勝負できる民事の希望が多く、ジャンケンに負けて木谷さんは刑事部になったという。
令状専門の刑事14部に配属され、勾留請求却下の日々が始まる。「却下しないと恥ずかしいというような雰囲気」だったと。自由な雰囲気だったが、昭和40年代後半からは変わったという。その後、刑事6部に移り、「人生の師」と仰ぐ裁判長との出会いで刑事裁判の醍醐味を知った。
「被告人の弁解を本気で聴き取り、徹底的に証拠調べを尽くす。そうしているうちに、当初はとても成立しそうもないと思われた弁解が証拠上裏付けられることがしばしばありました」
その後、最高裁事務総局刑事局付に異動。最高裁が赤レンガの旧庁舎時代のこと。飲みに行く金がないから、午後5時を過ぎると、部屋に置いてあるウイスキーや日本酒で酒盛りしながら仕事をしたとか、今では考えられない牧歌的な時代だったようだ。法律の議論を肴に、あとは人事の話だったというから、裁判官も人の子だ。
本書には、憲法判例をつくったなど、裁判、法律の話も山ほど出てくるが、当時は東京から北海道に異動になったら、比較的早く東京に戻れる、とか、裁判官の異動や転勤、引っ越しにまつわる生臭い話も出てくる。
あまり知られない最高裁調査官時代のエピソードも興味深い。調査官が提出された上告趣意を読みながら事件を「選別」するという。事実誤認を主張している事件は「×」、量刑不当だけしか主張していない事件は、最高裁ではほとんど相手にされないから「△」、重要な法律問題を含んでいたり判例になりそうな事件は「〇」、重大な事件は「◎」と印を付ける。
その後、小法廷の裁判官に事件は回されるが、判決の起案は調査官がするというから、調査官の仕事は重要だ。
大阪高裁判事、浦和地裁裁判長、水戸地裁所長などを歴任、30件に及ぶ無罪判決にかかわる。
木谷さんは、いわゆる「東電OL殺人事件」(ゴビンダ・マイナリ事件)と呼ばれ、世間の耳目を引いた事件にもかかわっていた。一審では無罪。東京高裁判事だった木谷さんは勾留を求める申し立てを退けたが、最高裁の判断で勾留は続き、最高裁で有罪判決が確定。その後、再審請求がなされ、結局、ネパール人の被告は無罪となり、帰国した。
木谷さんは、裁判官には3つのタイプがあるという。一つは「迷信型」。捜査官はウソをつかない、被告人はウソをつく、と頭から信じているタイプで3割ぐらいいるという。2つ目はその対極で「熟慮断行型」。被告人のためによくよく考え、最後は「疑わしき」の原則に忠実に自分の考えでやる人で、1割いるかいないか。3つ目は中間の「優柔不断・右顧左眄型」。この6割の人は「こんな事件でこういう判決をしたら物笑いになるのではないか」「警察・検察官から、ひどいことを言われるのではないか」「上級審の評判が悪くなるのではないか」と、決断できず、結局、検事の言う通りにしてしまうそうだ。
アンフェアな審理を許さない、冤罪を絶対に許さないという信念が、本書の端々から伝わってくる。だが、上記の裁判官の3類型によると、木谷さんのようなタイプは少ない。今はさらに裁判官への管理が強まっているという。こんな裁判官がいたことをもっと知ってもらいたい。
BOOKウォッチでは裁判官関連として、『絶望の裁判所』 (講談社現代新書) 、『裁判官も人である』(講談社)、『原発に挑んだ裁判官』(朝日新聞出版)、『青年市長は"司法の闇"と闘った 美濃加茂市長事件における驚愕の展開』(株式会社KADOKAWA)などを紹介済みだ。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?