読むべき本、見逃していない?

「検察統制」より先に「裁判所支配」が完了していた!

絶望の裁判所

 政府が閣議決定した黒川弘務東京高検検事長の定年延長について、各方面から疑問の声が出ていた。政府が黒川氏にこだわるのは、「重大かつ複雑困難事件の捜査公判に対応するため」だという。そこで公判、すなわち司法のことが気になり、『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)を手に取ってみた。

出世コースを驀進していた

 予備知識なく読み始めたのだが、強烈な本だった。はっきり言って、めちゃくちゃに面白い。「最高裁中枢の暗部を知る元エリート裁判官 衝撃の告発」というキャッチが付いている。2014年の発売。直ちに大きな反響を呼び、増刷を重ねたという。

 まず著者の瀬木比呂志さんの経歴。1954年生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。1979年以降裁判官として東京地裁、最高裁などに勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。2012年、明治大学法科大学院専任教授に転身。民事訴訟法等の講義と関連の演習を担当。

 著書に『民事保全法〔新訂版〕』『民事訴訟実務・制度要論』『ケース演習 民事訴訟実務と法的思考』などの専門書のほか、本書刊行後も一般向けに、共著も含めて『ニッポンの裁判』『黒い巨塔 最高裁判所』『裁判所の正体 法服を着た役人たち』などを講談社や新潮社から出している。専門書を書く力量もあるが、同時に「内幕本」でも引っ張りだこのようだ。

 経歴からわかることがいくつかある。まず瀬木さんは大変な秀才だ。東大法学部4年在学中に現役で司法試験に合格している。当時の司法試験は合格者数が少なく今とは比較にならないほどの難関だった。現役合格者は東大でも十数人。そのうち裁判官になったのは4、5人。この段階でまずピカピカのエリートである。

 さらに配属先。東京地裁、最高裁などに勤務、アメリカ留学とある。これまた知る人ぞ知る出世コースだ。「東京を動かない」「東京に長い」裁判官は「司法試験の上位合格者」というのが法曹界の常識だ。最高裁には事務総局民事局局付と調査官で2回、東京地裁にも4回。ある時期までは「同期の先頭集団」を驀進していたに違いない。

極秘の作業を知る

 そんな瀬木さんがなぜコースを外れて、本書などを書くことになったのか。

 一つには最高裁の事務総局民事局時代の体験がある。当時は裁判官支配、統制を徹底したといわれる矢口洪一最高裁長官の時代。極秘裏にある調査が行われていたことを知る。特定の期間に全国の裁判所で判決が下された国家賠償請求事件について、関与した裁判官の氏名と、判決主文の内容を一覧表にしていた。何らかの形で人事の参考に供されているのではないかと不明朗さを感じた。

 東京地裁にいたときは、国が債権者(申立人)となる仮処分決定事件で奇怪な動きを知った。国(法務省)が事前に、秘密裏に、裁判所に対してその可否、可能ならどのような申し立てを行えばよいのかを事実上問い合わせ、未だ仮処分の申し立てすらない時点で、かなりの数の裁判官が知恵を絞っていた。国と裁判所による一種の事前談合行為だ。

 東京地裁の多数の部で行われている憲法訴訟でも似たことを知った。裁判長たちが秘密裏に継続的な会合を持ち、却下ないしは棄却を暗黙の前提として審理の進め方について相談していた。これは裁判の公正を害する行為だ。

 最高裁の調査官時代にはこんな体験もした。最高裁の裁判官と調査官との昼食会。そのとき、裁判官出身の判事の一人が突然、言い出した。「実は、俺の家の押し入れにブルーパージ関係の資料が山とあるんだ。一つの押し入れいっぱいさ」。すると裁判官出身の二人の判事から「俺もだ」と声が上がった。

 「ブルーパージ」とは「青年法律家協会裁判官部会」、いわゆる青法協に属する、左翼系とされた裁判官に不利益な扱いをして脱会工作したことを指す。「資料が山とある」というのはその行為に関わったということだろう。その結果として最高裁判事まで上り詰めたということでもある。その場にいた裁判官出身の判事は6人。うち3人はそのことを自慢げに語った。半ば公然の席での発言だけに、多数の調査官と裁判官出身以外の判事たちはショックを受けていたという。

「官僚裁判官」「俗物裁判官」だらけ

 本書は下記の構成。自身の体験を踏まえながら、日本の裁判所や裁判官のあまり知られていない実態を容赦なく抉り出す。

 第1章 私が裁判官をやめた理由(わけ)
 ――自由主義者、学者まで排除する組織の構造
 第2章 最高裁判事の隠された素顔
 ――表の顔と裏の顔を巧みに使い分ける権謀術数の策士たち
 第3章「檻」の中の裁判官たち
 ――精神的「収容所群島」の囚人たち
 第4章 誰のため、何のための裁判?
 ――あなたの権利と自由を守らない日本の裁判所
 第5章 心のゆがんだ人々
 ――裁判官の不祥事とハラスメント、裁判官の精神構造とその病理
 第6章 今こそ司法を国民、市民のものに――司法制度改革の無効化、悪用と法曹一元制度実現の必要性

 類書がないわけではないが、とにかく本書は裁判官として飛び切りのエリートコースを歩んでいた人物の告発というところが際立っている。

 過去に瀬木さんが接した、裁判官出身の最高裁判事30の人物類型も掲載されている。それができる「必要な知識、情報をもった学者は私以外はまずいない」と自負する。「人間としての味わい、ふくらみや翳り」などももつ「個性豊かな人物」は一人だけ。「官僚裁判官」「俗物裁判官」が大多数を占める。

 瀬木さんが繰り返すのは、裁判官というのは今や「裁判を行っている官僚」「法衣を着た役人」だらけになっているという寂しい現実だ。いわゆる良識派は、地裁の所長か高裁の裁判官どまり。

 瀬木さんが裁判官になったころはまだ「生涯一裁判官」の気概があり、裁判官の多くは誠実に仕事をする人たちだった。品性のある、紳士の名に値する人も多かった。しかし2000年代以降の裁判所の流れは、そのような気概や気風を一掃してしまったと嘆く。

 最高裁は石田和外長官(任期は1969~73)の時代に締め付けを強め、ブルーパージを推進。矢口長官時代(同1985~90)に保守化を完成、さらに竹崎博允体制(同2008~14)の下で事務総局支配、上命下服、上意下達の思想統制と異分子排除のシステムが確立したとみる。

 かくして裁判所は、全体主義国家の中で知識人が息をひそめる、ソルジェニーツィンの『収容所群島』を想起させるような、陰鬱な職場になってしまったというわけだ。

ビートルズを引用

 瀬木さんは司法エキスパートの一方で、文学、映画、音楽(ジャズ、ロック、クラシック)、映画、漫画などカルチャー全般にも詳しい。本書の中でも、ソルジェニーツィンのほかカフカ、トルストイ、ボブ・ディランなどが登場する。本書を書きながら、瀬木さんの頭の中にたびたび浮かんできたビートルズ・ソングは名曲「エリナー・リグビー」の歌詞だ。

 「あの寂しい人たちは、どこからやってくるの? あの寂しい人たちは、どこに属しているの?」

 日本の裁判官は「寂しい人々」だという。憲法第76条には「すべての裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定められているが、「この条文は、日本国憲法のほかの数多くの条文と同じように、実際には、踏みにじられ、愚弄されている」と記す。

 そして同じくビートルズの「マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」を思い浮かべる。「どのようにかは知らない。でも、誰かが君をあやつる。彼らは君を買い、君を売った」という歌詞を引きながら、「私の軌跡は、46年前にこの曲を初めて聴き、エリック・クラプトンによる、青白く燃える炎のようなギターのフレーズに戦慄したその瞬間から無意識のうちに始まり、今もなお、この一節が含む問いかけに答えるといってもいいのかもしれない」と続ける。

 ちなみに瀬木さんが裁判官になったときの同期は約60人。その約半数は、全国裁判官懇話会に属していた。青法協よりは左派の色合いの薄い組織だが、やがてほぼ全員が脱会し、会自体も2007年に解散した。

 単なるリベラル、自由主義者であって、この懇話会にも属していなかった瀬木さんだが、裁判官時代の最後のころは、要注意人物のリストに含まれていた可能性があるという。今や、「時代や社会の流れが悪い方向に向かっていったときにその歯止めになって国民、市民の自由と権利を守ってくれるといった司法の基本的な役割の一つについて、日本の裁判所、裁判官にはほとんど期待できない」と指摘する。

 本書を読んで、三権分立といわれるが、裁判所では一足早く、政治による支配が完了していることがわかった。近年、新任判事補の下限レベルは著しく落ちており、平均的な修習生以下の能力、成績の者が相当数採用されているそうだ。本書はおそらく法曹を目指している学生の間では必読書として密かに読まれているに違いない。

 BOOKウォッチでは裁判関連で『裁判官も人である』(講談社)、『原発に挑んだ裁判官』(朝日文庫)のほか、東大法学部関連で『東大駒場全共闘 エリートたちの回転木馬』(白順社)、『東大闘争 50年目のメモランダム--安田講堂、裁判、そして丸山眞男まで』(ウェイツ刊)、文部科学省の事務次官だった前川喜平さんの『面従腹背』(毎日新聞出版)なども紹介している。

  • 書名 絶望の裁判所
  • 監修・編集・著者名瀬木比呂志 著
  • 出版社名講談社
  • 出版年月日2014年2月19日
  • 定価本体760円+税
  • 判型・ページ数新書判・240ページ
  • ISBN9784062882507

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