若い女性が赤の他人のおっさんと一つ屋根の下に住む選択。そういう人生の1ページも、実は素敵な時間なのかもしれない。
15歳から芸能活動を始め、かつてはSDN48にも在籍していた元アイドルの大木亜希子さんは現在30歳。今はフリーランスのライターとして活動している。そんな大木さんは、なんと、赤の他人のおっさんと一つ屋根の下で暮らしているというのだ。実は、その生活はとても興味深い日々で、その様子がこのほど出版された。
大木さんにとって2作目となる著書『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)は、自らが体験した生活を赤裸々につづった私小説。
もともとは、ウェブマガジンで連載していた内容で、連載開始直後から衝撃的な内容がSNSでも話題になっていた。
一緒に暮らす赤の他人のおっさん(ササポン)は、56歳のサラリーマンで、彼との生活は今もなお続いているという。BOOKウォッチ編集部では、大木さんに自身の体験を書籍化するに至るまでの経緯を詳しく聞いてみた。
大木さんは、アイドルを辞めた後にどんな社会人生活を送ったのだろう。
「一般常識を身につけたいと25歳でアイドルを辞め、会社員になりました。芸能では花は開かなかったけれど、仕事ができてハイスペックな男性を捕まえて......、キラキラしなきゃいけない義務感と虚栄心にさいなまれていた日々がありました」
芸能界からの転身。最初はビジネスメールの返し方ひとつ知らず、人一倍頑張った。頼まれた仕事は連日、深夜残業をしてでも仕上げ、元アイドルを武器にして営業もこなす。
そして、「かわいいアキちゃん」を演じなくては......と思い、大木さんはムリに何枚もの仮面を着けて立ち回っていたそうだ。
そんな日々をつづる中で、本書に出てくるのが「ノルマ飯」という言葉だ。「ノルマ飯」とはいったいなんだろう。
「プライベートでは、素敵な人に出会わなければいけない、そのために男性と食事に行くことを影で『ノルマ飯』と呼んでいました。ひたすら予定を埋めることで、積極的に行動していれば30歳手前までには結婚できるだろうと、どこかで安心したかった。でも現実は、彼氏もいなく、自分の目標がはっきりしていない、周りからどう見られているかを気にして、他人と比較ばかりして、落ち着ける場所も時間もなかった。ぐちゃぐちゃな生活でしたね」
必死に大回転で働きながら、プライベートはぐちゃぐちゃ。心の内は、恥ずかしくて人には言えなかったと言う。そんな生活を繰り返す日々、ある日、突然、駅のホームで足が動かなくなったそうだ。
打合せがあるのに体が動かず、スマホから上司にメッセージを送って、打ち合わせは上司に代わってもらったそうだ。大木さんは、心身ともに疲れ果てていたのだ。
「頑張りすぎて、苦しくなる一方だった。頑張っても、頑張っても、どこにも正解の自分がいなかった。プライベートでは恋愛もしっかりしなきゃいけない、20代後半の焦りがずっとありました」
と大木さんは、当時を振り返る。
そして大木さんは会社を辞めた。収入が不安定になり「人生が詰んだ」と思ったそうだ。
その様子を心配した姉は、一人暮らしよりは、近くに誰かいたほうがいいと、大木さんにルームシェアをすすめた。その相手が「赤の他人のおっさん(ササポン)」だった。
自分の体験を書き、公表しようと思った理由を、大木さんは次のように話す。
「私と同じように考えている女性がいたら、気づいてほしい。人に言えないような恥ずかしい悩みや欲求、こういう男性と付き合いたいとか、友だちの結婚が素直に喜べないのは誰しも思っているから大丈夫だよって伝えたい。誰かの気持ちが少しでも軽くなれば。そういう思いもあって書きました」
そして、おじさん(ササポン)との奇妙な共同生活は、大木さんを少しずつ変えていくことになる。
(第2回につづく)
インタビューの最後に、大木さんからのメッセージを収録しました。
プロフィール
大木亜希子
1989年生まれ。15歳から芸能活動をスタートさせ2005年にドラマ「野ブタ。をプロデュース」(日本テレビ系)で女優デビュー。2010年、20歳でアイドルに転身しタレント活動と並行してライター業も開始。15年からは会社員として執筆業務を担当し、18年にライターとして独立。著書に『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)がある。新著『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)の内容は祥伝社のウェブマガジン「コフレ」で一部公開されている。
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