小説を読んで音楽を聴きたくなる気持ちになったことがあるだろうか。主人公の一人、蒔野聡史はクラシック・ギタリスト。「きびきびとした音符の筋肉の陰翳まで見えそうな躍動感」を感じさせる超絶的な技巧の持ち主だ。サントリーホールで開かれたデビュー20周年コンサートに足を運んだ国際ジャーナリストの小峰洋子は、かつてパリで聴いた「天才少年」のその後の成長に驚くとともに、打ち上げの席で「未来は常に過去を変えられる」という蒔野のことばに強い印象を受ける。
フランスの通信社のバクダッド支局に勤める洋子は、蒔野とのメールのやりとりの末、パリで再会した。彼女にはアメリカ人の婚約者がいたが、蒔野にひかれ婚約を解消する。そんな二人に暗い影が忍び寄っていた。蒔野には原因不明のスランプが、洋子にはバクダッドの取材体験によるPTSD(心的ストレス症候群)。洋子は休暇を取り、結婚に向けて東京での再会を誓うが......。
芸術家とジャーナリストの「恋愛小説」と言いきれないところに、本作の魅力がある。主人公二人の仕事を叙述するため、音楽や国際情勢についての説明が出てくるが、それらが単なる舞台装置である以上に、本質をついているのだ。『日蝕』でデビューした平野さんは、その衒学趣味が揶揄されることがあったが、本作では知識が血肉化していると言わざるをえない。ことに音楽、演奏についての表現はすばらしく繊細で的確である。冒頭、音楽を聴きたくなる小説と書いたが、実際に本作にコントリビュートしたギターコンサートが開かれたくらいである。
毎日新聞に2015年3月から2016年1月まで連載され、書籍化されるや15万部売れるという大ヒットとなっている。芥川賞作家にしてお笑い芸人の又吉直樹さんが、テレビでも紹介し、本の帯に「困難を無かったことにするのではなく、痛みを麻痺させるわけでもなく、それらから目を逸らさずに、それでも人生の素晴らしい瞬間を体感させてくれるからこそ特別な感動があるのです」と賛辞を寄せている。
序文に平野さんは、二人の主人公にはそれぞれモデルがいると書いていることもあり、ネットではモデル探しをする人たちもいるようだ。「恋愛小説と言いきれない」と書いたが、掛け値なしの「恋愛小説」である。「結婚した相手は、人生最愛の人ですか」という著者の挑戦的なことばをかみしめながら読んでいただきたい。
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