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憲法9条は「押しつけられた」と認めるべきだ!

9条入門

 日本は核兵器を全面禁止する核兵器禁止条約に署名しないのだという。その政府の対応について、驚きや違和感を覚える人もいるだろう。被爆国の日本がなぜ署名しないのかと。

 理由はいろいろ説明されているが、世の中は常に理想と現実にずれがある。日本の戦後史を振り返ると、「憲法9条」がその象徴だ。掲げられている理想と、現実には相当のギャップがある。

湾岸戦争反対署名に違和感

 本書『9条入門』(創元社)は、護憲の立場からの解説書かと思ったら、必ずしもそうではなかった。

 著者の加藤典洋さんは文芸評論家。『アメリカの影』(講談社文芸文庫)、『敗戦後論』(ちくま学芸文庫、伊藤整文学賞)、『言語表現法講義』(岩波書店、新潮学芸賞)、『小説の未来』(朝日新聞社)と、『テクストから遠く離れて』(講談社)の2作品で桑原武夫学芸賞ほか著書多数。2019年5月に71歳で亡くなったが、本書はその前月の同年4月刊。いわば遺作に当たる。文芸評論家の加藤さんはなぜ最晩年にこのような政治的課題に取り組んだのか――。

 冒頭で加藤さんは、自身と「9条」とのかかわりを説明している。

 発端は1991年の湾岸戦争だった。それへの参加を日本がアメリカから求められたとき、日本の若手文学者たちは憲法9条を理由に「反戦」の署名活動を行った。そのとき文学者たちが用意した文面に以下のような文言があったという。

 「戦後日本の憲法には『戦争放棄』という項目がある」「それは、他国からの強制ではなく、日本人の自発的な選択として保持されてきた」

 これを見た加藤さんは、つい、〈嘘をつけ〉と思ったという。「それは、他国からの強制ではあったが、これを日本人は自発的な選択につくり替えるよう努力してきた」だろう、と思ったのだ。

 その声明にイヤミのような文章を書いたことで、しばらく日本の文学社会から排除されたという。その後も、このときのことを改めて振り返り、「湾岸戦争のとき、多く、『反戦』の声があがったが、私が違和感をもったのは、そのいずれもが、『反戦』の理由に『平和憲法の存在』をあげていたことだった」と書いている。こうした思いはまた、護憲派の人たちを逆なでしたそうだ。

なぜ日本は戦後すぐに新憲法ができたのか

 というわけで本書が、かなり屈折した加藤さんの思いをつづったものだということが想像できる。以下の構成になっている。

 はじめに――憲法9条に負けるな
 1 O先生の叱責、など
 第1部 出生の秘密――敗戦から憲法制定まで(1945~47年)
 第1章 せめぎあい
 1 憲法9条の問題とは何か、など
 第2章 独走
 1 助走――立法者と天皇、など
 第3章 2つの神話とその構造
 1 マッカーサーvs極東委員会、など
 第4章 天皇の空白を9条の光輝が満たす
 1 大統領と国体、など
 第2部 「平和国家」と冷戦のはじまり――9条・天皇・日米安保(1948~51年)
 第5章 戦争放棄から平和国家へ
 1 補償作用、など
 第6章 冷戦の激化――マッカーサーからダレスへ
 1 孤立するカーツ大佐=マッカーサー、など

 本書のポイントは、「戦争放棄」に関する論考だ。同じく敗戦国であるイタリアやドイツは、日本よりも先に戦争に敗れたが、戦後の憲法公布は日本より遅れた。しかも、「戦争放棄」に関する規定は、「条件付き」であり、日本とは異なった。なぜ日本の憲法は戦後早々と公布され、9条に徹底した戦争放棄を掲げたのか――。

 加藤さんは二つの理由を挙げている。一つはマッカーサー側の理由。もう一つは、日本側の理由。

 マッカーサーは次のアメリカ大統領選に出るつもりだった。東京裁判で戦争指導者を峻厳に処罰する一方、徹底した戦争放棄規定によって、かつての敵国を完膚なきまでに叩きのめす。戦争放棄は、戦後再出発した国際連合の「崇高な理念」ともつながっていた。日本に新時代のリーダーシップを求めるものでもあった。日本を完全に様変わりさせた男として、アメリカ国民に自分をアピールできる、というわけだ。

 一方の日本側も「特別の戦争放棄」である方が良かった、と見る。敗戦で「国体」を失った日本は戦後、何をよりどころに生きていけばよいのか――。

 そこに出現したのが「9条」だ。当初は国民からも意外に思われ、次にはおだやかな賛同の対象となり、ほどなく熱烈な支持を受けるようになる。当惑と衝撃の色を隠せなかった政府の当事者たちもその後、競い合うようにして、平和条項の世界に先んじた理想主義的な「光輝」に魅せられ、これこそが新日本の原理だと強調して国民と共同歩調をとることになった。戦後の日本人の心には大きな空白が生まれていたが、「天皇に替わる新しい支配者マッカーサーから手渡された戦争放棄の平和条項は、何よりもその特別な光輝によって、その空虚を埋めることに成功した」と記す。

 「こうして与える側の『大統領』への野望と、受けとる側の『国体』喪失の空白の、不思議な共生関係が成立することになりました」

「憲法改正」の先にある「空虚」

 このように本書は「9条」を単なる憲法問題として取り扱うのではなく、政治家マッカーサーの思惑や、当時の日本や国民が置かれた精神的な「空虚」を念頭に、両者が結果的に手を携えて生まれたドラマとして読み解く。「9条」を日本人の精神史の中に位置づけ、それを一つの「作品」として見た、まさに文芸評論家としての分析だ。加藤さんは書いている。

 「これが『押しつけられた』ものであることを、少しでも回避するような気持ちでいては、憲法9条に向かいあったことにはならない。9条を大事に思うなら、この事実をしっかり受けとめなければならない」

 「国体」の代わりに「平和憲法」を抱いて再出発――。戦争はもうこりごりという国民に、「戦争放棄」の新憲法は確かに衝撃であり、それは「一億総懺悔」の象徴でもあった。世界に先駆けるという意味では、日本が戦後の国際社会に復帰したとき、日本が高く掲げることができる平和の御旗となり、リーダーシップを取れる可能性さえ胚胎されていた。しかしながら、その「理想」は朝鮮戦争、自衛隊、日米安保条約などの「現実」によって妥協を強いられ、日本は常にアメリカに従うことで今日に至っている。

 被爆国でありながら、核兵器禁止条約に署名しないという選択もまた、アメリカの意向に従ったものであり、「現実」との妥協の産物だ。

 安倍政権で強調された「憲法改正」の主張は、そうした「現実」に憲法の「理想」を完全に適合させようという考え方だが、本書の「9条」誕生時の分析を読むにつけ、読者は別な大事なことにも気づくことだろう。

 「9条」を失い、「普通の国=凡庸な国」に成り下がった日本はその後、何をよりどころに生きていくことになるのか。もはや「国体」の復活はありえない。新たなる「空虚」が生まれるのではないか。そのとき、国家と国民はいかに対処するのか。すでに「戦争放棄」という裃は、かなりヨレたが、一応まだ裃としての効能は果たしている。この裃を完全に脱ぎ捨てたとき、日本人は「無礼講」状態に陥りはしないか・・・。

 本書執筆中に加藤さんの病状は進んでいたようだが、「あとがき」で、本書の続きを「おそらく次の本で書くでしょう」と予告していた。そのときの問題意識には上記のような「新たな空虚」のことも含まれていたに違いない。残念ながら果たせなかった。加藤さんもさぞかし無念だったことだろう。

 BOOKウォッチでは加藤さんの『オレの東大物語』(集英社)を紹介済みだ。このほか憲法関連で自民党幹事長だった古賀誠さんの『憲法九条は世界遺産』(かもがわ出版)、憲法の条文をビジュアルで表現した『日本国憲法』(TAC出版)、近未来のシミュレーション『広告が憲法を殺す日--国民投票とプロパガンダCM』(集英社新書)なども紹介している。

 日米安保条約関連では、『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)、『「日米合同委員会」の研究』(創元社)、『兵器を買わされる日本』 (文春新書)など、自衛隊については『自衛隊の闇組織――秘密情報部隊「別班」の正体』(講談社現代新書)、『自衛隊員は基地のトイレットペーパーを「自腹」で買う』(扶桑社新書)、『災害派遣と「軍隊」の狭間で――戦う自衛隊の人づくり』(かもがわ出版)、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(集英社)など、さらには『核武装と知識人――内閣調査室でつくられた非核政策』(勁草書房)、『日本人の歴史認識と東京裁判』(岩波ブックレット)、『科学者と軍事研究』(岩波新書)なども取り上げている。また、戸松秀典・学習院大学名誉教授による「憲法――散歩をしながら考える」の連載も掲載している。

  • 書名 9条入門
  • サブタイトル「戦後再発見」双書8
  • 監修・編集・著者名加藤典洋 著
  • 出版社名創元社
  • 出版年月日2019年4月20日
  • 定価本体1500円+税
  • 判型・ページ数四六判・384ページ
  • ISBN9784422300580
 

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