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ノーベル文学賞候補、多和田葉子さんのディストピア小説

献灯使

 10月8日(2020年)に発表されるノーベル文学賞。村上春樹さんとともに候補者として名前が挙がっているのが、多和田葉子さんだ。長らくドイツに在住し、ドイツ語での文学活動をしてきたので、日本ではあまり知られていないかもしれない。本書『献灯使』(講談社文庫)に収められている表題作は、2018年に全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞した代表作の一つである。

原発事故で廃墟になった日本が舞台

 本書には「献灯使」などの中短篇5作が収められている。義郎という主人公の老人と曾孫の無名という少年が二人で暮らしている。ジョギングは「駆け落ち」と呼ばれるなど、外来語が使われなくなっている。なにか様子が変だな、と思いながら読み進むと、登場人物の年齢や健康状態がどうも尋常ではないことに気がつく。

 この違和感を宙づりにしたまま、かつて味わったことのない読書体験に浸る。70代は「若い老人」、90代でやっと「中年の老人」、義郎は115歳になったが、身体はまだまだ大丈夫で、買い物、料理、家事一切をしている。一方、子どもの無名は二足歩行すら難儀で体力も衰えている。

世界中が鎖国

 どうやらカタストロフィな災厄が起きて、東京23区は「長く住んでいると複合的な危険にさらされる地区」に指定されている。彼らが住むのは「東京の西域」にある仮設住宅だ。

 世界の国々は鎖国している。こう義郎は無名に説明する。

 「どの国も大変な問題を抱え込んでいるんで、一つの問題が世界中に広がらないように、それぞれの国がそれぞれの問題を自分の内部で解決することに決まったんだ。前に昭和平成資料館に連れて行ってやったことがあっただろう。部屋が一つずつ鉄の扉で仕切られていて、たとえある部屋が燃えても、隣の部屋は燃えないようになっていただろう」

 新宿はこんな風に描写されている。

 「廃墟というには賑やかすぎる看板たち、自動車など一台も走っていないのに律儀に赤くなったり青くなったりしている信号機、社員のいない会社の入り口の自動ドアが開いたり閉まったりするのは風で街路樹の大枝がしなうからか」

 小説家の義郎は昔行った成田空港の様子を思い浮かべ、作品に書こうとして思いとどまる。「自分の空想の中の空港を綿密に描写して作品として発表し、たまたまそれが事実と一致した場合、国家機密を漏らしたのと同じことだと言いがかりをつけられて、逮捕されてしまうかもしれない。空想だということを裁判で立証するのは意外に難しいのではないか。そもそも裁判はちゃんと行われるのか」。

 電話もインターネットもない。そもそもあまり人の姿が見えない。一種のディストピア小説だ。

死ぬ能力を奪われた老人

 本書に収録されている短篇「不死の島」に著者自身が種明かしをしていると思えるような記述がある。2011年の大地震と原発事故で封鎖された日本。「フェルナン・メンデス・ピントの孫の不思議な冒険」という本にこんなことが書いてあるという。

 「二〇一一年、福島で被曝した当時、百歳を超えていた人たちはみな今も健在で、幸いにしてこれまで一人もなくなっていない。これは福島だけでなく、その後数年の間に次々ホットスポットとなっていった中部関東地方の二十二カ所についても言えることだった。(中略)若返ったのではなく、どうやら死ぬ能力を放射性物質によって奪われてしまったようなのである」

 その反面、子どもたちや若い人たちには過酷な運命が待っていた。これは一つの地獄であろう。

 「献灯使」に戻ると、15歳になった無名のもとに小学校の時の担任の先生がやって来る。「献灯使の会」という秘密結社のような組織があり、ふさわしい人材を探して海外に送っているという。日本の子どもの健康状態をきちんと研究し、海外でも似たような現象が起こった時の参考にするためだ。無名は行くことを了承するが......。

 SF小説のような設定だが、義郎と無名の暮らしぶりや、たまに登場するほかの人たちとの交流に一筋の光明がある。正確で濃密な日本語の文体を味わっていただきたい。また、鎖国された世界はどこかにコロナ禍を感じさせるところもあり、作品の予言性に感心した。

 本作は英語に翻訳され、全米図書賞の第1回翻訳文学部門で受賞した。震災後の日本をこうしたディストピアに描いた作品がアメリカで評価されたことを我々は知っておくべきだろう。

 多和田さんは1960年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。ハンブルク大学修士課程修了。チューリッヒ大学博士課程修了。ドイツ・ベルリン在住。93年「犬婿入り」で芥川賞を受賞。ドイツ語での文学活動に対して、ゲーテ・メダルなどを受賞。日本でも『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花文学賞、『容疑者の夜行列車』で伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞、『雲をつかむ話』で読売文学賞を受賞するなど、そうそうたる受賞歴を持つ。

 海外を舞台にした作品も多く、各国語に翻訳されているので、ノーベル文学賞候補としてここ数年存在感を発揮している作家だ。

 BOOKウォッチでは関連で、『村上春樹はノーベル賞をとれるのか?』 (光文社新書)、 『ザ・ディスプレイスト――難民作家18人の自分と家族の物語』(ポプラ社)、中国語で創作する作家として初めてノーベル文学賞を受賞した高行健氏らを紹介した 『作家たちの愚かしくも愛すべき中国』(中央公論新社)などを紹介している。

  




  • 書名 献灯使
  • 監修・編集・著者名多和田葉子 著
  • 出版社名講談社
  • 出版年月日2017年8月 9日
  • 定価本体650円+税
  • 判型・ページ数文庫判・268ページ
  • ISBN9784062937283
 

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