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名作『ペスト』を読んでいない人のために・・・

まんがでわかるカミュ『ペスト』

 タイトルだけ見れば、コロナ禍に便乗した安直な本ではないかと思うことだろう。ところが本書『まんがでわかるカミュ「ペスト」』(宝島社)はなかなかしっかりしたつくりになっているので驚いた。大人が読むのにも十分耐えられる。いずれにしろ、中学や高校の図書館にはぜひとも置いてほしい一冊だ。

多くの「解説」入り

 カミュ(1913~1960)の『ペスト』はあまりにも有名だ。47年の発表。アルジェリアの小さな港町オランが舞台になっている。人口は約20万人。ある日、ネズミの大量死が見つかる。ほどなく住民の間にも奇怪な熱病が広まり、ペストだとわかって町は封鎖。そこで起きた出来事をつづったものだ。

 交通機関はストップし、電話や郵便も規制される。外部の世界から隔絶された住民たちはいらだちと孤立感を深め、何事にも疑心暗鬼、相互不信になる。医療体制は混乱し、生活必需品は高騰、そして毎日のように増えていく死者・・・。

 本書は名作として読み継がれてきた『ペスト』を単にマンガにしただけではない。かなり多くの「解説」が入っていて、読解を助けてくれるのが特徴だ。

 『ペスト』の主人公は、オラン市内で診療所を開く青年医師ベルナール・リウー。ペストの発生に最初に気づき、防御体制の確立を医師会や市当局に訴えるが、反応は鈍い。このほか、たまたまパリから別の取材でオランに来ていて足止めになった新聞記者レイモン・ランベール、市役所に勤めるジョセフ・グラン、カトリック教会のパヌルー神父、やましいところがある男、コタールらが主たる登場人物だ。

サルトルは好対照の経歴

 カミュはフランスの作家として知られるが、実はフランス生まれでもなければフランス育ちでもない。生まれたのは、フランスの植民地だったアルジェリア。父親はフランスからの入植者の家系で、農業労働者。母親はスペイン系だった。カミュが生まれた翌年、父は第一次世界大戦に召集され戦死、4歳上の兄とともに母方の祖母の家に移る。家は貧しく、勉学に励むことができる環境ではなかったが、教師に恵まれ上級学校への進学を実現して、アルジェ大学文学部を卒業している。

 カミュはしばしばサルトル(1905~1980)と対比される。サルトルは、カミュの8歳上だから同世代ではない。出自も全く異なる。サルトルはいわゆるパリのブルジョア知識人家庭の出身で、名門の高等師範学校に進んだエリートだ。級友には『アデン アラビア』で有名なポール・ニザン(1905~1940)がいた。哲学者のモーリス・メルロー=ポンティ(1908~1961)なども学友だ。もちろんボーボワール(1908~86)もいる。歴史人口学者として活躍中のエマニュエル・トッド(1951~)はニザンの孫だ。

 戦前の日本でいえば、サルトルは一高・東大の出身、カミュは苦学して外地の京城帝国大学、台北帝国大学、満州建国大学などを卒業というところか。

 アルジェリアは1830年から1962 年までフランスの植民地だった。『ペスト』の舞台がアルジェリアということには、カミュ自身の人生が投影されている。

コロナ禍と重ね合わせる

 本書は以下の構成。

 1、 訪れた厄災
 2、 それは「天罰」か?
 3、 愛への後悔
 4、 ペストの正体
 5、 疫病の残滓

 本書の「解説」は、ほぼ二通りになっている。一つは作品そのものの解説。登場人物が何を考え、なぜそうした行動に出たのか。もう一つは今日のコロナ禍や感染症と重ね合わせた解説だ。その部分に特に重点が置かれている。

 例えば主人公のリウーは、専門家として、早期の対策を訴えるが行政の動きは鈍い。本書の解説では、東京五輪の開催問題があって、もたついたのではないかといわれる日本のコロナ対応とだぶらせている。あるいは武漢での初期対応と重ねることもできそうだ。

 オラン市では物流が制限され、食料品や生活必需品が値上がりする。一時のマスク不足やトイレットペーパー確保のことが直ちに想起できる。「封鎖」によって住民のストレスが高まり、「封鎖」による経済的なダメージは住民間の格差もあからさまにする。これらはいずれも今回のコロナ禍でも世界のあちこちで露呈していることだ。それらも「解説」で指摘されている。

 すなわちカミュの『ペスト』は過去の物語ではない。巻末には監修の哲学者、小川仁志さんによる「『ペスト』の現代的意義」の解説が掲載されている。

 本文中の「解説」は、小川さんのアドバイスに基づき、編集部で作成したものだという。宝島社の編集部では、コロナ禍で大量の関連書を編集・出版しているだけに、よく練られたわかりやすい説明になっている。

1時間で読める

 最後に付け加えると、『ペスト』はナチスを念頭に置いて書かれたものだといわれている。平和な町にある日、ナチスドイツが現れ、あっという間に町は彼らに占領され精神の自由を奪われる。ヨーロッパの多くの国民がそれを経験し、ナチスに迎合した人もおれば、レジスタンスを試みた人も少なくなかった。47年の『ペスト』刊行時は第二次世界大戦が終わって間もない時期であり、作品に込められた暗喩を、ヨーロッパの多くの読者が自分のこととして理解できたに違いない。

 今回のコロナ禍を経験して改めて『ペスト』を手にすると、そうした暗喩のみならず、よりストレートな形で、人類と感染症の戦いについて警告していたことを再認識する。

 本書は1時間足らずで読める。まだ『ペスト』を読んだことがなく、分厚い文庫本で読むのが億劫な人にはもってこいの一冊だ。

 BOOKウォッチは関連書をいくつか紹介済みだ。小松左京の『復活の日』は謎の感染症の爆発的流行で世界が大混乱に陥る、という近未来小説。核戦争の危機などを背景にしている。「世界と人間とその歴史に関する一切の問題を『地球という一惑星』の規模で考えなおす必要にせまられていると思う」というのが小松さんの壮大な執筆動機だった。

 フランス文学者の鈴木道彦さんの『余白の声』(閏月社)には1950年代に留学先のパリで体験した「アルジェリア問題」のことが出てくる。『ペスト』にも当然ながら「アルジェリア問題」が投影されている。

 『人類は「パンデミック」をどう生き延びたか』(青春文庫)には第二次大戦中に、イタリアでユダヤ人をかくまうために架空の感染症をでっち上げていた病院の話が紹介されている。ドイツ軍が街を占領したが、その病院には謎の感染症患者が収容されていると聞いて、ナチスは捜索しかかった、という実話だ。

 


 


  • 書名 まんがでわかるカミュ『ペスト』
  • 監修・編集・著者名小川仁志 監修、前山三都里 まんが
  • 出版社名宝島社
  • 出版年月日2020年7月28日
  • 定価本体1200円+税
  • 判型・ページ数四六判・160ページ
  • ISBN9784299007292
 

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