2017年に発行された『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書)は、理系の研究者が書いたドキュメンタリーにもかかわらず、20万部を超えるベストセラーになった。毎日出版文化賞特別賞、新書大賞を受賞した。2020年、巨大な群れで農作物を食い荒らすサバクトビバッタの脅威が、世界20カ国以上に広がっている。今こそ読まれるべき、と思っていたら、児童書版が登場した。本書『ウルド昆虫記 バッタを倒しにアフリカへ』(光文社)である。
新書判では全身を緑色の衣装で覆ったバッタのような「怪人」が捕虫網を手に身構えている写真が表紙だったが、本書では絵になっている。なんとなく児童書を意識したつくりだ。帯には「ファーブルのような昆虫学者になるため、世界をバッタの害から救うため、アフリカに向かった若きハカセの冒険物語」とある。
児童書版は、新書の文章の小学校3年生以上で習う漢字にルビを振り、ところどころに用語の解説が付いている。子ども向けにダイジェストしたものではない。少し、小学生には手強いレベルかもしれない。実際に新書判の文章は、中学、高校、大学入試の国語の試験問題に採用されたそうだから、この本を読むことができれば、受験対策にもなるだろう。
著者の前野ウルド浩太郎さんの本職は、茨城県つくば市にある国際農林水産業研究センター研究員。サバクトビバッタの防除技術の開発に従事している。他の著書に『孤独なバッタが群れるとき サバクトビバッタの相変異と大発生』(東海大学出版部)がある。 このバッタは、個体密度が低い環境にいる時は孤独相というモードになるが、混み合った環境では、飛翔力のアップした群生相というモードになる。この2つのモードを世代を超えて行ったり来たりするのが、相変異という現象だ。後者が食物を食い荒らし、悪さをする。
バッタの研究者なのに、野生の姿を見たことがなかった。そこで、アフリカ・モーリタニアに乗り込んで、バッタの大群に出会う、というのが本書のキモだ。果たして、若き研究者はバッタに襲われたのか?
新書判がベストセラーになった原因を考えてみた。2つあると思う。1つは圧倒的なユーモア感覚だ。いくつか章タイトルを挙げよう。「裏切りの大干ばつ」「聖地でのあがき」「彷徨(さまよ)える博士」「我、サハラに死せず」。研究のためモーリタニアに乗り込むものの、肝心のバッタにはなかなか出会えないという「悲劇」が、底流を貫いている。
砂漠での過酷なフィールドワークの日々。研究がうまく行かなければ無収入になるかもしれないという不安。著者のユーモアがそれらを吹き飛ばし、明るい読み物になっている。
もう1つは、理系のポスドク研究員がいかにして生き残るかという研究者のサバイバルもの、ないしは青春記として読まれた可能性だ。
前野さんは1980年生まれ。秋田のちょっと肥満気味のファーブルに憧れる昆虫少年だった。弘前大学農学生命科学部卒。茨城大学大学院農学研究科修士課程修了。神戸大学大学院自然科学研究科博士課程修了。博士(農学)。研究を続けたいが、ポストがない。無収入になる。京都大学白眉センター特定助教に採用されたのが、転機になった。若手研究者の育成が目的のプロジェクトで、恵まれた環境で研究に専念できる。その時英語で行われた面接での京大総長の言葉が忘れられないと書いている。
「過酷な環境で生活し、研究するのは本当に困難なことだと思います。私は一人の人間として、あなたに感謝します」
まだ何の成果もあげていないのに、労をねぎらう言葉に泣きそうになり、泣くのをこらえてその後の質問に答えるのはきついものがあったという。採用の知らせはモーリタニアで受け取った。
ところで、前野さんはバッタの研究者なのに、バッタアレルギーだという。じんましんが出るそうだ。長年、バッタに触りすぎて、そういう体質になった。モーリタニアでいよいよバッタの大群に出会い、全身緑色のタイツに身を包み、「さあ、むさぼり喰うがいい」と身を捧げるが......。
その写真を見ると、どこまで真面目なのか不真面目なのか分からないが、とにかく「異形」ではある。
「ウルド」というのはモーリタニアの高貴なミドルネームで、現地の上司から授かったという。研究者名として「前野ウルド浩太郎」を使っているが、戸籍には使えない。
9月6日(2020年)付けの朝日新聞朝刊2面は「世界のバッタ被害状況」を特集。「前野浩太郎」さんとして談話が写真付きで大きく載っていた。こう語っている。
「サバクトビバッタが大発生した後、何をきっかけに大群で行動するようになるかは未解明だ。解明できれば、大群になるのを防ぎ、習性を利用して逆に群れを1カ所に囲い込むなど、殺虫剤を使わない駆除方法が見つかる可能性もある。まずは謎の多いバッタの生態解明が欠かせない」
前野さんが文章を雑誌に連載するきっかけになったのは、西村寿行の小説『蒼茫の大地、滅ぶ』(1978年)を編集者に見せられたことだという。日本がバッタでパニックになる物語だ。主人公は前野さんと同じ弘前大学出身の昆虫学者でバッタの専門家。
「私の人生はこの本の実写版なのだ」
本書には最後に異例の「お願い」が載っている。「研究に専念するため、そっと見守ってくださいましたら幸いです。新たな研究成果を引っ提げて、再び皆様にお会いできることを楽しみにしております」とある。
サバクトビバッタの被害が広がっている今、その研究成果に期待したい。
BOOKウォッチでは研究者関連で、『博論日記』(花伝社)、『海外で研究者になる――就活と仕事事情』(中公新書)、『大学教授が、「研究だけ」していると思ったら、大間違いだ!』(イースト・プレス)、『大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起』(集英社新書)、『大学改革の迷走』 (ちくま新書)などを紹介済みだ。
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