かつてアジアのナンバーワン大学といえば東京大学だった。ところが最近、国際的な大学ランキング調査だと、中国やシンガポール、香港の大学が上にいる。東大はアジアで5、6位あたり、調査によっては韓国の大学にも抜かれて10位前後にまで落ちている。もちろん欧米の大学には全く歯が立たない。
日本の中だけで満足していると、もはや井の中の蛙になりかねない。本書『海外で研究者になる――就活と仕事事情』(中公新書)は世界各地の一流の大学や研究機関を目指そうとする人に向けたガイドブックだ。当然ながら、というべきか、東大生協書籍部では新書部門のベストセラー上位にランクインしている。
著者の増田直紀さんは1976年生まれ。都立八王子東高校から東大工学部計数工学科を卒業して2002年、同大学院の計数工学専攻博士課程を修了。理化学研究所特別研究員、東大講師、准教授を経て14年、英国ブリストル大学上級講師。本書刊行後の19年夏からさらにニューヨーク大学に移ったようだ。
『私たちはどうつながっているのか ネットワークの科学を応用する』(中公新書)などのほか、英語の著作もある。
この種のガイド本は、通常なら、「教育ジャーナリスト」などが書くと思われるが、本書は東大で教えた後、英米の大学を実力で転戦している研究者自身による著作だ。それだけに、リアリティが違うといえる。同じく海外雄飛を狙う研究者には大いに参考になるだろう。
本書は大別して増田さん自身の経験と、増田さんが取材・ヒアリングした、17人の海外にいる日本人研究者の話に分かれる。
増田さんは、20代のころから「海外」に興味があった。29歳で結婚した時も「将来、外国に行くことになるかも」と妻には話したそうだ。しかし、具体的に「国際就活」を始めたのは2012年の暮れから。この年の秋に「一流」とされる国際的な論文誌に自分の論文が掲載され、一気にスイッチが入ったという。公募情報を集めたサイトをもとに、アメリカ、イギリス、カナダの100大学ぐらいをチェック、40数校に応募し、イギリスの3大学から面接に呼ばれ、採用が決まった。
本書では、履歴書、研究説明書などの申請書類の書き方、推薦書をだれに頼むか、面接の方法など、応募から採用に至るまでの道筋が手取り足取り、実に懇切丁寧につづられている。自身の失敗談なども交えながらあけっぴろげだ。17人の研究者は欧米のみならず、中国、韓国、台湾、シンガポール、香港、グアテマラなどの大学で教えている人もいるので、情報の幅が広い。
かつて日本の研究者が海外に行ってしまうことについては、「頭脳流出」といわれ、問題視されたこともあった。最近では、この「頭脳流出」という言葉自体をあまり耳にしなくなった。研究者の国際的な流動化がもはや当たり前になっているからなのか。
本書を読んで、特に印象深かったのは、なんといっても中国の「元気さ」だ。とくに理系学生のレベルが高い。英米の大学院に留学することが当たり前になっている。
中国最大の研究所、中国科学院は約6万人が所属しているが、会議は中国人同士でも基本的に英語。当然、論文は全部英語ということになる。
中国政府は、海外のハイレベル人材を招へいする「千人計画」を推進しているそうだ。新設の研究所などに米国から有名な所長を招くこともある。中国で教える日本人教員も増えており、「在中日本人研究者の会」もあるという。
国内では39大学が「重点大学」になっており、成果によって教授間の給料格差も激しい。教授になることはゴールではなくスタートだという。
評者は近年、中国がなぜあれほど短期間に劇的に国力をアップさせたのか謎に思っていたが、秘密が少し分かった気がした。要するに政府による戦略的な力の入れ具合が半端ではないということだ。
そういえば、中国はいったん海外流出した研究者を自国に戻すために「ウミガメ作戦」を展開していることを思い出した。中国大使なども務めた丹羽宇一郎さんの『日本をどのような国にするか』(岩波新書)に出ていた。
中国の最高指導者・習近平が卒業したのは理系の名門、清華大学。世界のコンピューターサイエンス大学院のランキングで、いまや東大のはるか先を驀進していることは野口悠紀雄さんの『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎)に紹介されていた。米国の超名門・スタンフォード大大学院への留学者数では近年、中国や韓国が日本を圧倒しているそうだ。
本書では、日本の大学の長所や短所はもちろん、海外の大学の利点やマイナス面も書いているので、比較して読めば、より冷静な判断ができるだろう。
増田さん以外の17人の、日本での博士号取得大学は、東大のほか京大、阪大、九大、神戸大、早大など多岐にわたっている。したがって東大以外の研究者や学生にとっても、読みがいがある。また現在、難関で知られる中高で学び、将来ノーベル賞を夢見るような子どもたちにも役立ちそうだ。
本書によれば、東大に多数の合格者を出している開成高校などでは直接、海外の有名大学を目指す高校生も増えているのだという。将来のことを考え、早々と日本の大学や大学院に見切りをつけたということなのか。
本欄では関連して、『クロード・シャノン 情報時代を発明した男』(筑摩書房)、『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)なども紹介している。
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