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幕末、イギリス船に乗っていた日本人の通訳は何者だったのか?

音吉伝

 江戸時代の後半、なぜか漂流民が多発した。乗り組んでいた船が遭難し、外国の船や人に助けられ、思いもよらないほど遠くまで連れていかれる。そこで外国語や最新知識などを学んで、開国に向けての動きで重要な役割を果たすことになった人物も少なくなかった。本書『音吉伝―知られざる幕末の救世主―』(新葉館出版)の主人公、音吉もその一人だ。

モリソン号に乗っていた

 音吉については、すでにノンフィクション作家の春名徹氏による『にっぽん音吉漂流記』(1979年、大宅賞)がある。作家の三浦綾子氏も小説『海嶺』(1981年)で扱っている。多少なりとも幕末に関心のある読者なら、音吉という名前ぐらいは知っているに違いない。

 本書がユニークなのは、著者の篠田泰之さんの経歴だ。1945年、岐阜県生まれ。61年に三和刃物工業株式会社(現カイインダストリーズ株式会社)入社。71年、正眼短期大学卒業(会社からの派遣)。2006年に同社を退社し、現在は「関の包丁研ぎ屋さん」をやっている。関市は刃物業で有名だが、篠田さんも伝統の地場産業を支えるベテラン刃物職人の一人のようだ。

 音吉に関心を持つようになったのは、『海嶺』を読んだのがきっかけだという。そして退職後に個人的に研究を積み重ねてきた。

 音吉は1819年、尾張国知多郡小野浦(現・愛知県知多郡美浜町)生まれの水夫。32年、江戸に向かう千石船に乗り組んでいたが、暴風に遭い14か月も漂流、乗組員14人のうち音吉ら3人が生き残りアメリカの太平洋岸にたどり着く。その後イギリスに連れていかれ、さらにフィリピンに移される。現地に漂着していた別の日本人船員らと37年、アメリカの商船モリソン号で江戸に戻ろうとするが、当時の日本には異国船打払令があって砲撃され上陸できない。その後は上海に住み、49年にはイギリス東インド会社艦隊の帆船マリナー号、54年にはイギリス極東艦隊の通訳として来日した。62年、シンガポールに移り、64年、日本人として初めてイギリスに帰化してジョン・マシュー・オトソンに改名、67年死去というのが大まかな個人史だ。日本の近代通訳第1号、初の和訳聖書翻訳者なのだという。

過去にも太平洋漂流の生還者がいた

 本書は以下の構成。

 第1章 モリソン号事件編
 第2章 懐かしき日本――音吉の生い立ち
 第3章 漂流編の概要
 第4章 開国プロローグ(その1)
 第5章 開国プロローグ(その2)
 第6章 日本最初の国際人誕生秘話
 第7章 音吉の上海時代
 第8章 ペリーの日本遠征に音吉の影
 第9章 モリソン号ショックの人々
 第10章 音吉の遺言

 多くの資料を渉猟した本書は600ページを超える大作。音吉の話だけではなく、関連情報も豊富だ。

 初耳だったのは、音吉よりも前に遠州灘で遭難し、太平洋を漂流して生還した船乗りがいたということ。督乗丸の船頭重吉らだ。1813年に16か月間も漂流し、メキシコとアメリカの国境延長線上の沖合でイギリス船に救助され、カムチャッカから択捉を経て帰国している。驚異的な長期間の漂流、アメリカ西海岸での救助、生存者がともに3人、本拠が尾張、乗っていた船の規模もほぼ同じと、共通項が多い。おそらく彼らの生還体験が伝承され、音吉らが漂流しているときにも踏ん張る力になったに違いない。

 重吉は海水を真水にする方法も編み出していたらしい。重吉から話を聞いた御家人が『船長日記』として詳細を書き残しているそうだ。上巻は漂流編、中巻は外国滞在編、下巻は帰国後編。ただし、小説『海嶺』には重吉のことは出てこないという。

徳川政権も清も朝鮮も「海禁」政策

 BOOKウォッチで紹介した『「鎖国」を見直す』(岩波現代文庫)によれば、徳川政権も清も朝鮮も当時は「海禁」政策をとっていた。民間人の海外渡航と貿易を禁止制限するものだ。国家権力が独占的に国際関係を管理・運営していた。

 日本は当時、単純に言えばオランダを窓口とする閉鎖的なマーケットになっていた。欧米の有力国はなんとか参入を図ろうと接近を繰り返し、日本近海に出没する。加えてクジラを追うアメリカやイギリスの捕鯨船が太平洋を渡って小笠原周辺にまで近づいていたこともあって、江戸時代の後半は漂流民が救助されるケースが増えていたようだ。

 少しわき道にそれるが、『秘島図鑑』(河出書房新社)によれば、日本には外国人が発見した島が意外に多い。南硫黄島は1543年、大航海時代のスペイン船が発見し、1779年、イギリス船がサウスアイランド島と命名。日本領になったのは1891年。沖大東島も1543年、スペイン船が発見、1807年、フランスの軍艦によって「ラサ島」と命名され、1900年、日本に編入。小笠原諸島の西之島は1702年、スペイン船が発見、「ロザリオ島」と命名。このほか硫黄島、南鳥島、沖ノ鳥島、北硫黄島なども軒並みスペイン船の発見だ。大型船を操る彼らは、すでに大航海時代に小笠原諸島の周辺を航行していたようだ。

日本史と世界史の両方の眼

 モリソン号が来日しようとしたのは、単純に音吉ら7人の日本人の漂流民を送り届けるという善意だけではなかった。その見返りに、通商の扉をこじ開けることが大きな狙いだった。モリソン号を追い返した日本は翌年、オランダからの風説書で、船に漂流民が乗っていたことなどを知って、異国船打払令を止める。

 当時、日本に帰れず落胆する仲間に音吉がつぶやいた一言は、「We will try again.(もう一度やってみよう)」だったという。 ほどなく清がアヘン戦争でイギリスに大敗する。東アジア情勢は風雲急を告げてきた。迫りくる西欧列強のパワーにどう対応すべきか。攘夷か開国か。幕府が逡巡し、国内情勢は混乱する。日本への帰国を阻まれた音吉は「try again」。上海でイギリス側の通訳になる道を選ぶ。彼の人生は時代の大波に洗われ、別の意味で漂流を強いられていた。

 篠田さんは「音吉を見るときは、必ず日本史の眼、世界史の眼の両方の眼で見ないと、特異な音吉の本来の姿が見えてこないのです」と強調している。

昔取った杵柄の応用編

 本書は45年間、刃物の生産工場でモノづくりに関わって働いてきた篠田さんが、定年を機に音吉に出会って書籍化したものだ。工場の経験がまったく無縁だったかというと、あながちそうではなかったと振り返っている。

 モノづくりの現場では常に品質向上や職場の改善業務がつきまとう。そのためには「現地」「現物」「現実」を調査する「三現主義」が大事なのだという。今回、篠田さんは音吉に関するどんな些細な因子でも、できるだけ多く列挙し、ふるいにかけ、整理した。情報の「三現主義」――昔取った杵柄の応用編だったという。

 音吉は「一身にして二生」を経たような人生だった。本書の原稿を篠田さんが事前に元の会社の上司に読んでもらったところ、「音吉の変身ぶりよりも、君の変身ぶりの方が奇じゃ」と言われたという。篠田さんも音吉のように「二生」を経ているのかもしれない。

 BOOKウォッチでは関連で、『独学でよかった』(三交社)、『独学のススメ――頑張らない! 「定年後」の学び方10か条』(中公新書ラクレ)、『独学で歴史家になる方法』(日本実業出版社)、『幕末日本の情報活動――「開国」の情報史』(雄山閣)、『青い眼の琉球往来――ペリー以前とペリー以後』(芙蓉書房出版)、『欧米人の見た開国期日本――異文化としての庶民生活』 (角川ソフィア文庫)、『倭館――鎖国時代の日本人町』(文春新書)、『感染症の近代史』(山川出版社)などを紹介している。



 


  • 書名 音吉伝
  • サブタイトル知られざる幕末の救世主
  • 監修・編集・著者名篠田泰之 著
  • 出版社名新葉館出版
  • 出版年月日2020年7月 6日
  • 定価本体2600円+税
  • 判型・ページ数四六判・606ページ
  • ISBN9784823710247

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