江戸時代の日本は鎖国をしていた――長年の「通説」だ。学校の授業でもそう教えられてきた。ところが近年、それを疑問視するような見方が、歴史学の世界では広がっている。むしろ主流になっているようだ。本書『「鎖国」を見直す』(岩波現代文庫)は、代表的な「見直し論者」である立教大学名誉教授・荒野泰典さんによる解説書。話し言葉で書かれており、読みやすい。この機会に知識のリニューアルをしておきたい人にはうってつけだ。
「四つの口」と聞いて、すぐに何のことかわかるだろうか。40歳以上は「知らない」という人が多いかもしれない。江戸時代に海外に向けて開かれていた「長崎」「対馬」「薩摩・琉球」「松前」という四つの窓口のことを指す。
なぜ「40歳以上」と区切ったかというと、それ以下の世代は、学校の授業で習う機会が増えているからだ。例えば1998年版『詳解日本史B』(三省堂)。
「幕府は貿易をオランダと中国にかぎったが、江戸時代を通じて、長崎の他に、朝鮮との対馬、琉球との薩摩、松前の三か所の外国や他民族との窓口が開かれていた」 「幕府による貿易独占などの政策を、中国の海禁政策と共通したものととらえ、キリスト教の禁止など日本独特の部分があるものの、海禁体制と呼ぶようになってきている」
その少し前の1984年版の『日本史』(三省堂)では、「鎖国の結果・・・窓口も長崎と対馬にかぎられ」だった。わずか10余年間のうちに、窓口が二つも増え、「海禁」という用語が強調されるようになっている。
教科書自体の説明が様変わりする中で、「江戸時代=鎖国」という「常識」も揺らいでいる。それはまだ、この20年ほどのことなのだ。
実際のところ、著者の荒野さんもかつては「鎖国」という言葉を、疑問を抱かずに使っていたという。しかし、研究を進めるうちに江戸時代の日本が「四つの口」(荒野さんの発案)で対外関係を保持していたことに気づく。当時の対馬藩自身が、そうした認識を持っていたことも知る。
「海禁」とは明・清の政策。民間人の海外渡航と貿易を禁止制限するものだ。朝鮮も同じだった。つまり、同時代の中国・朝鮮・日本はほぼ同じ国際関係の管理・統制体制をとっていたということになる。「鎖国」は日本独自のシステムではなかった。「私人」(一般国民)が自由に国際関係に関わることは禁じていたが、代わりに国家権力が独占的に国際関係を管理・運営していた。
長崎にはオランダ商館があっただけでなく、唐人屋敷もあった。「唐船」は中国本土だけでなく、東南アジアからやって来ることもあった。多いときは年に300回近く来航している。朝鮮とは、対馬に日本が広大な「倭館」を常設。そこには対馬藩の人が数百人も常駐していた。中国の生糸は、この倭館経由で日本にもたらされ、西陣で高級織物になっていた。琉球は中国とも朝貢・冊封関係にあり、日本と中国の両方に服属していた。松前藩は蝦夷地のアイヌ経由で、沿海州の「山丹」とつながっていた。
そもそも江戸時代は「鎖国」という言葉自体が一般化していなかったという。オランダ商館勤務者が書いた日本紹介本を、長崎の通詞が1800年ごろ翻訳した時に「鎖国」という用語を使ったのが最初だという。
荒野さんは1946年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東京大学史料編纂所、立教大学文学部を経て、現在立教大学名誉教授。著書に『近世日本と東アジア』(東京大学出版会)、『日本の時代史14 江戸幕府と東アジア』(編著、吉川弘文館)、『日本の対外関係』(編著、全七巻、吉川弘文館)など。本書は以下の構成。
第Ⅰ部 「鎖国」を見直す 1 見直される「鎖国」――現状と問題点 2 「鎖国」という言葉の経歴――誕生・流布・定着の歴史的意味 3 近世日本の国際関係の実態 4 東アジアのなかで息づく近世日本――「鎖国」論から「国際関係」論へ 5 鎖国を見直す意味――なぜ歴史は見直されるのか 第Ⅱ部 明治維新と「鎖国・開国」言説――なぜ近世日本が「鎖国」と考えられるようになったのか 1 前口上 2 はじめに――「鎖国・開国」言説ということ 3 近世日本の国際関係の実態 4 終わりに――「鎖国・開国」言説の成立と定着
幕末になって、日本は欧米各国からの圧力が強まり、譲歩を強いられる。それらはまとめて「開国」への動きと称されてきた。「鎖国」はその「開国」と対になる用語として、一般化したようだ。
完全に「鎖国」をしていたのなら、1853年6月のペリー来航は「寝耳に水」ということになる。昔の教科書では、ペリー来航は常に「泰平の眠りを覚ます・・・」という狂歌と共に解説されていた。つまり、「鎖国」をしていたので事前情報がなく、慌てたとされていた。しかし、今では前年にオランダ商館を通じて、来航の予告があったことが常識化している。
ペリー来航情報を知った国内の対応ぶりはBOOKウォッチで紹介した『幕末日本の情報活動――「開国」の情報史』(雄山閣)に詳しい。福岡藩主の黒田長溥(1811~87)は、幕府の阿部正弘老中から52年11月、ペリー来航の予告情報を聞かされる。福岡藩は、長崎の警備を担当していたので内々に知らされた。黒田は早くも12月には意見を具申している。その内容が興味深い。どう対応するべきか、今でいうシミュレーションをしている。黒田は、それができるだけの国際情勢についての情報を持っていた。
荒野さんは、江戸時代の「鎖国」について、「実態は、いわゆる『鎖国』ではなく、必要にして十分な国際関係は維持し、それによる平和の下で緩やかな発展と進歩を達成し、それが維新後の急速な近代化の基礎となった」と書いている。
BOOKウォッチではほかにも多数の関連本を紹介している。長崎の出島については、『オランダ商館長が見た 江戸の災害』(講談社現代新書)や『出島遊女と阿蘭陀通詞--日蘭交流の陰の立役者』(勉誠出版)。朝鮮との関係では『倭館――鎖国時代の日本人町』(文春新書)。アイヌとの関連では『地図でみるアイヌの歴史』(明石書店)など。同書には、蒙古襲来で、元の軍勢はサハリンにも到達、サハリンアイヌが防戦していたとか、間宮林蔵のサハリン探検は有名だが、その100年前にはすでに清による探検が行われていたとか、1771年にはエトロフ島でエトロフアイヌとロシアとの戦いが繰り広げられていたことなどが出てくる。
ペリー来航前から琉球に欧米人が盛んに訪れていたことについては『青い眼の琉球往来――ペリー以前とペリー以後』(芙蓉書房出版)、江戸時代の科学技術力については『江戸の科学者』(平凡社新書)や『江戸時代のハイテク・イノベーター』(言視舎)、江戸時代にベトナムからゾウを招き、京都御所や江戸城で見物した話は『享保十四年、象、江戸へゆく』(岩田書院)、幕末に来日した外国人による見聞記は『チャールズ・ワーグマン 「幕末維新素描紀行」』(露蘭堂)や『欧米人の見た開国期日本――異文化としての庶民生活』 (角川ソフィア文庫)。幕末の西洋医学導入については『感染症の近代史』(山川出版社)、明治維新での世の中の激変については『維新旧幕比較論 』(岩波文庫)などに詳しい。
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