タイトルに興味を持って軽い気持ちで手にしたが、なかなか骨の折れる本だった。『幕末日本の情報活動――「開国」の情報史』(雄山閣)。一般向けかと思ったら、純然たる学術本、研究書だったからだ。
しかしながら素人目にも内容の充実ぶりがわかる。なんといっても「情報」という切り口が新鮮だ。もともとは2000年に刊行され、08年に改定増補版、さらに今回の普及版に至ったという。息が長いのは、それだけ評価されているからだろう。著者の岩下哲典さんは現在、東洋大学史学科教授。
本書が扱っているのは1853年6月のペリー来航をめぐる話だ。かつて教科書では、ペリーは突然やってきたかの如く教えられていた。今では長崎・出島のオランダ商館長から1年前に、「来年ペリーが来ますよ」という事前連絡があったということが知られている。商館長から江戸幕府に定期的に提出されていた「風説書」にそれが書かれていたのだ。
とはいえ、その情報は限られた人の間で秘匿され、ほとんど何の手だてもせぬまま。「突然の来航」に慌てた、といわれている。本書はそうした「通説」に疑問をはさむ。ペリーが来るという情報を深刻に受け止め、建白書を出した大名がいたというのだ。
その人は、福岡藩主の黒田長溥(1811~87)。幕府の阿部正弘老中から52年11月、ペリー来航の予告情報を聞かされる。福岡藩は、長崎の警備を担当していたので内々に知らされたのだ。黒田は早くも12月には意見を具申している。その内容が興味深い。今でいうシミュレーションをしている。
開国拒絶で臨むとどうなるか。伊豆諸島の大島は米国軍に占領され、そこに大砲でも設置されたら、江戸・大坂間の海上輸送、今でいうシーレーンが遮断され、江戸の都市経済・市民生活が破壊される。もし戦争になったら、米国艦隊の無差別攻撃で国土は焦土となる。では、交易を許可すると、どうなるか、あるいは現状の交易拒絶を続ける場合は・・・と逐一ケーススタディをしている。そして幕府に現方針の再考を促す。
この建白書の写しは著者の岩下さんが入手したものだという。ここから読み取れるのは、黒田の切迫した思いだ。「国土焦土化」まで想定している。
黒田はなぜ、このようなシミュレーションができたのか。そのことについても著者は言及している。福岡藩は長崎の警備を担当していたことから、蘭学に通じ、必然的に海外にも目を開いていた。しかも黒田は藩主になる前に長崎でシーボルトに会ったことがあり、個人的にも西洋事情への関心が強かった。シミュレーションできるだけの素地や知識の蓄積があったというわけだ。
だが、幕府の官僚、外交国防担当者は、黒田の建白書に反応せず、翌年6月のペリー来航を迎える。黒田はその直後の7月にも、建白書を出している。オランダと同じような形で、アメリカとロシアには交易の許可を与えるしかないことなどを記していた。
無策の幕府中央と、危機感を抱く黒田らとのズレ。それらがのちの様々な「倒幕」の流れにつながった可能性を著者は示唆している。
本書にはほかにも詳細な分析が多々ある。とくに「情報」の伝播ルートの追跡が念入りだ。歌川国芳の世相を題材にした風刺的作品の解読にも感心した。著者は本書で博士号を授与されている。2006年には新書で、同じテーマの『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』(洋泉社)を出しているので、こちらが一般向けだろう。BOOKウォッチでは著者の恩師、片桐一男・青山学院大名誉教授の『出島遊女と阿蘭陀通詞―日蘭交流の陰の立役者』(勉誠出版)も紹介済みだ。
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