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昭和顔のあの俳優。役者めざして上京、ブレイクするまで

拾われた男

 名前は知らないけれど、何となく存在が気になる役者さんは誰にでもいるだろう。本書『拾われた男』(文藝春秋)を読み、評者にとってずっと気になっていた人の名前が、「松尾諭」であることを知った。

 NHKのコント番組に不定期に出演していた松尾さん。昭和顔のふてくされたような態度のサラリーマンを演じたら天下一品で、「よくいるこんな人」と、いつも登場を心待ちにしていた。本書を読み、ドラマ「SP 警視庁警備部警護課第四係」や映画「シン・ゴジラ」などに出演した中堅の俳優であることを知った。

 「文春オンライン」に連載した27本のテキストを加筆したもの。兵庫県尼崎市に生まれ、将来の夢はタクシー運転手だった少年が、いかにして俳優となったかを綴った「自伝風」エッセイだ。文章をよくする俳優は少なくないが、本書も七転八倒の俳優人生を描き、読みどころ満載だ。

拾った航空券が事務所入りのきっかけに

 タイトルは「拾われた男」だが、第1話が「拾った男」。17歳で初めて観た演劇に感動し、役者になりたいと思ったものの、どうすればいいかも分からず、とりあえず一浪して大学へ。中退してフリーター・ライフを満喫していたが、これでいいのかと思いはじめた23歳のときに、関西の某劇団の女性に東京行きを勧められた。

 どの劇団のオーディションも年末が締切りなのも知らず、2000年の1月に上京。出鼻をくじかれたと思ったある日、自販機の下で国内線航空券を拾った。交番に届けたところ、落とし主は老舗モデル事務所の女性社長だった。そこから松尾さんの芸能生活が始まるが、なかなか芽が出ない。

 男二人での共同生活やアルバイトの日々、オーディションを受けては落ちという、ありがちな体験談の中に、中高、大学のエピソードがうまく挿入され、松尾さんの人となりが浮き上がる仕掛けになっている。

浪人して関関同立の一つに合格

 高校時代は花園出場もあるラグビー部に所属した。高校時代は留年をなんとか免れるほどの成績だったが、英語の勉強に奮起し、なんとか関西の私大の名門四校、関関同立の一つに合格した。本書には具体的に校名を書いていないが、場所などから、関西学院大学総合政策学部と思われる。

 「留学生や帰国子女が多く、普段から英語が飛び交い、英語の授業はもちろん、一般教養の授業ですらも全て英語で行われた。大学は遊ぶところだと思っていたのに、遊ぶ暇も惜しんで勉強しなければ授業についていけなくなり、最初の半年は何のために大学に入ったのかわからなくなるほどに勉強した」

 しかし、夏休みに覚えた遊びが忙しくなり、ほとんど授業に出なくなる。3年間で取った単位は18に過ぎなかった。その分、何をしていたかというとアルバイトである。大阪・西梅田にある新聞社(毎日新聞か産経新聞と思われる)の編集局整理部FAXセンター。

 「勤務時間のほとんどは、フロアの中央にある喫煙所で煙草を吸いながら他のバイトと無駄話をするか、FAXの前にふんぞり返って漫画雑誌を読んでいた」

 休憩時間には、大浴場で湯につかったり、仮眠室で眠ったり、帰りはタクシーで送ってもらえるという「人間がダメになりそうなほど条件がいいバイトだった」。

 そんな無駄と思える体験も「個性派」と呼ばれる芸風の肥やしになっているのだろうか。

アメリカでの兄との再会

 話はまたオーディションの日々に。やがて仕事が入るようになり、思いがけない大役を得る。失恋も重ねたが、彼女も出来て......と順調に仕事も生活も回り始めるが、ある日、かかってきた1本の電話により、アメリカに旅立つことになる。何年も会っていない兄を迎えに。

 後半の兄との対面が山場になる。入院していた兄を日本に連れ帰るのに、思いがけなく英語が役に立った。「拾われた男」というタイトルのゆえんもまた、兄との関係の中で、明らかになる。

 ここでは、周縁のエピソードばかりを紹介したが、俳優として成長してゆくプロセスや恋の行方もたっぷり書かれている。

 ここまで詳しく松尾さんのことを知ってしまうと、今度演技を見たときに、どう反応したらいいのだろう。もちろん俳優は与えられた役を演じる訳だが、その虚の部分に実の人格がにじみ出る。その虚実のあわいを確かめたい、と思った。

 BOOKウォッチでは俳優が書いた本として、俳優で演出家の松尾スズキさんの小説『もう「はい」としか言えない』(文藝春秋)、『108(イチマルハチ)』(講談社)、エッセイ集『東京の夫婦』(マガジンハウス)、仲代達矢さんの『演じることは、生きること――人生の舞台で紡いだ言葉』(PHP研究所)、俳優で歌手の友川カズキさんのエッセイ集『一人盆踊り』(ちくま文庫)、「エレキコミック」でお笑い芸人として活動する一方、俳優、音楽、DJなど幅広く活躍する、やついいちろうさんのエッセイ集『それこそ青春というやつなのだろうな』(PARCO出版)などを紹介済みだ。

  


 


  • 書名 拾われた男
  • 監修・編集・著者名松尾諭 著
  • 出版社名文藝春秋
  • 出版年月日2020年6月30日
  • 定価本体1500円+税
  • 判型・ページ数四六判・285ページ
  • ISBN9784163911519
 

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