吉本興業のお笑い芸人と社長の契約打ち切りをめぐる会見で、テレビの話題はこのところもちきりだ。さまざまな芸人がSNSで反応し、中にはギャラの安さや生活の苦しさを訴えるものもある。芸人の世界の厳しさが、あらためて浮き彫りになった。
そんな中、「エレキコミック」でお笑い芸人として活動する一方、俳優、音楽、DJなど幅広く活躍する、やついいちろうさんのエッセイ集『それこそ青春というやつなのだろうな』(PARCO出版)を一服の清涼剤のような気分で読んだ。
やついさんは、1974年三重県生まれ。小学生の頃から芸人になりたかったが、本格的に目指したのは上京し、大学の落研に入ってからだ。落研といっても落語はやっておらず、漫才やコントを学園祭でやっているくらい。「これはやりたいことがやれそうだ」と入部した。
もう1人の男子の新入生、鈴木君と「コロコロコミックス」というコンビを組んだ。授業中ずっとネタを書いては、月1回のライブを学内で続けるうちに、50人くらいは集まるようになった。先輩に声をかけ3人で「笑っていいとも」のオーディションを受けたが、落選。「プロを目指しているんですか?」と聞かれ、「まさか~」と答えるのがやっとだった。
部室を空手部に取られ、練習場所もない彼らが目指したのは、「大学対抗お笑い選手権大会」での優勝だった。やついさんは部長になり、そこそこ新入生を獲得したが、すぐに辞める部員もいた。「このままではプロになりたいと本気で思っている人間しか残れないクラブになってしまう」と気づき、落研の体質改善を図った。「面白いやつだけ入ってくれればいい」から「面白くない人間はいない」とスタンスが変わった。
1995年、第2回の「大学対抗お笑い選手権大会」での戦いが詳しく描かれ、結果は優勝。部室も奪還、ラジオにも出演するが、「全然ダメだよ」とディレクターにダメ出しされる。
「素人の君たちが最近あった話をしても、みんながビックリするくらいのことをしてなかったら、誰も聞かないよ。君たちに誰も興味がないってことをわかってないね」
落研の活動とともに、当時の学生の暮らしぶりも描かれているのも興味深い。最寄り駅から徒歩1時間半、家賃1万8千円、4畳半一間、風呂トイレ共同という「スサキ荘」にやついさんは住んでいた。いつも貧乏で腹を空かしていた時に「革命」が起きた。コンビニが廃棄処分した弁当が大量に入ったゴミ袋の捨て場所を発見したのだ。
自分たちの体を使い、食べられるものと食べられないものを仕分けし、有益な情報を集め、「月別食べられる表ノート」を作り上げた。あたる者は激減したが、何者かに掠め取られるようになった。「犯人」は同じアパートに住むロック研究会のメンバーだった。話し合いの末、折半する「落研ロッ研協定」が結ばれたが、ゴミ置き場に鍵がかけられ、事は終結したという。
いまナイツで活躍する塙宣之さんが九州漫才大会の福岡チャンピオンという実績があるのにプロにならず、新入生として入ってきた話やライバルだったラーメンズの無名時代の話など、お笑いがブームになる前の若者たちの笑いにかける情熱が伝わってくる。一方、卒業を前にコンビの解散、落語家に入門すると言ったが果たせず退学・失踪した先輩など、しょっぱいエピソードも山盛りだ。
今の相方と「エレキコミック」を結成。就職せず、アルバイトをしながらネタを書き、ライブを続けた。2000年のNHK新人演芸大賞を受賞。大学を卒業して3年、25歳。「ようやくプロになれたと思った」。
「今も続けていることは、思い返せば全部大学時代にやってきたことだ」と振り返る。ずっと大学時代が続いている、「そんな日々を僕は気に入っている」と結んでいる。
お笑い芸人をめざす若者が読めば、勇気が出るかもしれない。
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