夭折の天才歌人、石川啄木の友人と言えば、言語学者の金田一京助が有名だ。啄木がしばしば金田一から借金し、踏み倒したエピソードはよく知られている。二人は旧制盛岡中学校(現・盛岡第一高校)時代から親交を結んだ。だが、「銭形平次捕物控」シリーズを書き、「あらえびす」の別名で日本の音楽評論を確立した野村胡堂もまた、彼らの仲間だったことはあまり知られていない。文芸評論家の郷原宏さんによる本書『胡堂と啄木』(双葉社)は、のちに文学者となる二人がどうやって接近し、離れていったかに焦点を当てた異色の評伝である。
書き出しは、昭和14年、東京・麹町の料亭で開かれた盛岡中学関係者の宴会の場面から始まる。金田一、野村のほか、時の海軍大臣米内光政、陸軍大臣板垣征四郎ら約50人が集まった。海陸両大臣にはさまれて中央に座った老人は、同校の元名物教師冨田小一郎、81歳。冨田の傘寿の祝いと謝恩会を兼ねた在京同窓会だった。
この模様は翌日の新聞で大きく報じられ、参加者が口にした盛岡中学の略称、「盛中(せいちゅう)」は、「いまをときめく」を意味するその年の流行語になったという。
しかし、この宴会には当然そこにいなければならない人物が欠けていた。
「よく叱る師ありき 髯の似たるにより山羊と名づけて 口真似もしき」
とうたった石川啄木である。
啄木は、27年前の明治45年に、26歳の若さで亡くなっていたが、歌集『一握の砂』は、若者に愛唱され、当時の啄木は有名人だった。「石川君に乾杯!」の音頭があがった。しかし......。
「薄幸の天才歌人の名はすでに伝説化していたが、生前の啄木にさんざん振り回された二人にしてみれば、そう素直に乾杯する気にはなれなかったのである」
この後、本書は盛岡中学時代の記述に戻る。胡堂が初めて啄木に会ったのは、明治31年、中学2年のときだった。1年下の啄木が書いた詩を添削してやったのが出会いだった。啄木らがつくった回覧雑誌には胡堂をはじめ、文学少年が集まった。
彼らは文学談義だけではなく、学校の体制にも不満を持ち、ストライキを計画した。リーダーは胡堂だった。授業をボイコットし、生徒側の勝利に終わったが、新任の校長は厳罰主義で臨み、自由闊達な校風は失われた。
「おそらくはそのせいで、このストライキ以後、盛岡中学からは人材の輩出がぴたりと止まってしまう」
胡堂も後に、このストライキは生涯唯一の失敗だったと悔やんだという。
二人が夢中になったのは、文学だけではない。啄木と胡堂はそれぞれ中学時代に生涯の伴侶と出会っている。啄木は節子、胡堂はハナである。その経緯も詳しく書かれているが、恋愛などもってのほかの時代、家格の違いもあり、順調な恋ではなかったようだ。
その後、胡堂は旧制第一高校に入り、江戸趣味に没頭する。一方、盛岡中学を退学した啄木は上京し、金田一ら同窓生のネットワークに頼り、彼らの世話で下宿暮らしを始める。胡堂は啄木の下宿を訪ね、その危なっかしい生き方を改めろと忠告する。啄木は日記にこう書いている。
「友は云ふ。君は才に走りて真率の風を欠くと。又曰く着実の修養を要すと。何はともあれ、吾はその友情に感謝す」
文学で身を立てると上京した啄木だが、短歌をつくる以外にすることもなく、金は減る一方。在京の友人たちに借金を重ね、失意のうちに盛岡に帰った。
再度の上京、北海道の漂泊と迷走を続ける啄木。借金と奇行のエピソードがさまざまに綴られる。節子との結婚が決まり、挙式することになったが、なかなか帰郷しない。仲間が金を出し合い、一人が監視役として仙台まで同行した。啄木は仙台の旧制第二高校の教授だった土井晩翠に面会、その後も仙台の旅館に留まり続けた。宿代は晩翠に付け回した。現在に換算すると30万円以上の金を晩翠から詐取したことになる、と書いている。披露宴も結局、すっぽかした。
一方、胡堂は一高から東京帝国大学法科大学に進む。日本女子大学に入ったばかりのハナと再会する。すでに郷里の許嫁と結婚していたが、なんとか解消し、ハナと結婚する。しかし、この頃、東京朝日新聞社の校正係として東京で働いていた啄木は結婚式に出席していない。
郷原さんは啄木がこの結婚に反対だったからと推測している。明治42年2月19日、二人は数年ぶりに再会し、啄木は日記にも書いているが、この日を最後に胡堂との交友を絶っている。
胡堂は実家が没落し、学費滞納で大学を除籍された。後の報知新聞に入り、社会部長、学芸部長を務める。だが、筆禍事件を起こし、記事の執筆は禁止されていた。小説ならよかろう、と始めた小説で名を残す。江戸庶民の暮らしぶりが描かれた「銭形平次」は、国民的ヒーローとなる。また収入をつぎこんで集めたレコードは1万枚を超え、「あらえびす」のペンネームで書いた音楽評は評判となった。
本書は胡堂の結婚を機に、二人の交友が絶たれたので、途中から二人の評伝が並行する形になる。しかし、郷原さんが描こうと思ったのは、「いまから百二十年ほど前に、東北の一地方都市に忽然と現れたこの青春群像である」。
その原点にあったのが、若者たちの文学への情熱だったことがわかる。そして、恋がその燃料だった。回覧雑誌や同人誌は廃れ、SNS全盛の時代になった今、同じ学校という集団はあまり意味を持たなくなっているかもしれない。本書は同級生、同窓生という存在がいかに重要だったかを物語る証言になっている。
郷原さんは、詩人、文芸評論家。詩集『カナンまで』でH氏賞受賞。評論『詩人の妻――高村智恵子ノート』でサントリー学芸賞受賞。著書に『清張とその時代』、『乱歩と清張』など。
BOOKウォッチで紹介した『文豪と借金』(方丈社)には、啄木の友人、宮崎郁雨がまとめた「啄木の借金メモ」が登場していた。故郷の岩手県の渋民、盛岡、仙台、北海道、東京と貸した人の居住地別に個人名と金額が記されている。約60人から合計1372円を借りている。現在の金額では1400万円になるという。
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