2020年2月11日に亡くなられた日本野球界の巨星・野村克也さん。3月16日に青山葬儀所で予定されていた本葬儀は、コロナ禍のために延期されたままだ。本書『証言 ノムさんの人間学』(宝島社)は、野村さんの教えを受けた古田敦也さんら16人の証言をもとに構成した本だ。
野村さんは南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)時代に1965年、戦後初の三冠王に輝いた。指揮官としてはヤクルト(現・東京ヤクルト)スワローズを率い、4度のリーグ優勝、3度の日本一を飾った。
データを駆使する「考える野球」は、「ID野球」と呼ばれ、ヤクルトの黄金期を築いた。また、「一流の脇役になれ」「弱者の戦略」など一般社会に通じる多くの名言、人生論を残した。
本書は古田さんらに丸井乙生さん、岡田剛さん、砂田友美さんが取材・執筆した証言から成る。「第一章 ノムラの教え」「第二章 教えを引き継ぐ」「第三章 野村再生工場」「第四章 名将への想い」「第五章 偉大なる父」の5章構成。
新人として入団し、正捕手に抜擢された古田さんは、同じ捕手として英才教育を受けた。常に「なぜ」を繰り返し問われたという。早い段階で言われたのは「豊富な知識はピンチを救う」という言葉だ。
「知識があればピンチのときに引き出しが開く。その場面における最善の処し方を見つけて行動すれば、結果は変わる、と」
野球以外にも教えられたことがある。名前と顔を売るために、バラエティ番組への出演を勧められた。だが、出演後に「お前の話は内容がない」とダメ出しをされた。
「『人前でしゃべるときには、ためになる話か、関心のある話か、面白い話、それ以外はするな!』と。次の年からブラッシュアップするようになりました。野村監督も苦労されてきた方なので、"生き抜いていかなければならない"という強い意志を持っていた。生き抜くっていうのは、自分の好きなことだけじゃなくて、何が大切で何を求められているかという自分の役割、特徴をしっかり理解すること。(中略)求められていることに柔軟に対応する。それが生き抜くことだと思っています」
他の教え子たちの言葉もいくつか抜粋しよう。宮本慎也さんは「ストンと腑に落ちた言葉は『努力に即効性はない』でした」、山﨑武司さんは「評価は自分でしちゃいけないってことは本当だって気がした」、稲葉篤紀さんは「備えあれば患いなし――。今でも続けています」、土橋勝征さんは「一番は『正しい努力』。間違った練習は何の役にも立たない」、田畑一也さんは「野村さんは長所を伸ばすんじゃなくて、"短所を伸ばす"」
教え子ばかりではない。敵将として戦いながらも、野村さんから刺激を受け、学んだという人も登場している。谷繫元信さんはこう語っている。
「野村さん=ID野球って思っている人が多いかもしれない。でも僕は、教えの基本にあるのは、精神的に人を成長させることだと思う」
野村さんが亡くなった後、野村さんを称賛する報道の一方、その人間性を揶揄する報道もあった。その根拠の一つが、大阪・難波にある「南海ホークスメモリアルギャラリー」に野村さんの写真やユニフォームなど足跡が一切展示されていないことだった。
これについて、ともに南海に在籍した江本孟紀さんは、「昔サッチー(沙知代夫人)が断ったんでしょう。一切飾るなって。だからそれは間違ってるんですよ」と言い、野村さんも最近は「まあ、そやな」と認めていたという。江本さんは「スペースがなければ、僕のパネルは外してもいい。ノムさんの偉業を称える品物を飾ることが、最後の野村克也さんへの恩返しですから」と語る。
最終章で、息子の野村克則さんが「偉大なる父」について、証言している。「人生ってどう読むんだ」と言われたという。「人として生きる」、「人を生かす」、いろいろあるが、結論は「人に生かされる」ということだった。その教えは今、楽天1軍作戦コーチを務める克則さんにも引き継がれているようだ。
BOOKウォッチでは、野村さんの著書『イチローの功と罪』 (宝島社新書)、『野村のイチロー論』(幻冬舎)のほか、野村さん最後のロングインタビューが掲載された「プレジデント」(2020年3月20日号)を紹介している。
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