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私小説とは何か問う傑作エンターテインメント

文身

 日本には根強い「私小説」への信仰、憧れがある。世界の文学的潮流からすれば、日本独特の風潮だが、明治の自然主義文学がその根っこにあるから、なかなか廃れない。

 BOOKウォッチでも、今や私小説の第一人者とされる西村賢太さんの『羅針盤は壊れても』(講談社)や西村さんの日記『一私小説書きの日乗 新起の章』(本の雑誌社)が出れば、即座に紹介した。また、島田雅彦さんの自伝的私小説『君が異端だった頃』(集英社)や白石一文さんの自伝的小説『君がいないと小説は書けない』(新潮社)も最近、取り上げたばかりだ。

 私小説は、作家が自分をモデルに書いた小説と定義されるが、そうした私小説の枠組みを逆手に取った野心的なエンターテインメント小説が出た。本書『文身』(祥伝社)である。あまりの面白さと昭和の佇まいを再現した筆力に引っ張られ、一気に読了した。

評判最悪の「最後の文士」

 「最後の文士」と言われ、純文学では異例の売れ行きを示した作家・須賀庸一が主人公。好色で、酒好きで、暴力癖のある須賀は業界での評判は最悪だったが、それでも依頼が絶えなかったのは、その作品がすべて私小説だと宣言されていたからだ。「妻殺し」と噂されたスキャンダルすら利用し、作品にした須賀の葬儀の場面から始まる。

 父と絶縁していた一人娘の明日美はかつての父の担当編集者、中村からお悔やみの言葉をかけられる。

 「最後の文士と呼ばれた作家は山ほどいますが、須賀さんほどその肩書が似合う人はいないと思います」

父から届いた最後の小説

 その言葉が大嫌いだった明日美の元に、「須賀庸一」名で差し出された宅配便が届き、中には「文身」と題された手書き原稿400枚が入っていた。

 それは驚くべき告白だった。庸一には、2歳下の弟・堅次がいた。成績優秀で早熟だった堅次は、「人生から降りる」と言い出し、自殺に見せかけての家出を庸一に打ち明け、協力を依頼した。筋書通りに進み、1年後、東京にいる堅次から手紙が届く。

 庸一も上京し、二人で暮らす。工員として働く庸一と部屋にこもり、黙々と小説を書く堅次。ある日、堅次は奇妙な提案を持ちかける。堅次の書く小説に従って、庸一は行動し、庸一の名前で小説を発表するというのだ。堅次は黒子に徹する。

 「俺の直感やけど、兄ちゃんには虚構を現実にする才能がある」

 渡された小説の主人公、「菅洋市」は、とんでもない人物だった。浪費家であり、賭け事、酒、女をこよなく愛し、見境なく暴力を振るう、ろくでなし、と造形されていた。

小説の筋書通りに生きる庸一

 小説通りに荒んだ生活を始めた庸一。原稿を持ち込まれた中村は、激賞するが、受付の台帳の筆跡との違いから別人の作品だと見抜く。弟が書いたと告白するが、絶対に会わせないとがんばる庸一。死ぬまで隠し通すなら、と話に乗った中村のはからいでデビューする。

 その後、芥川賞を思わせる文学賞を受賞する代表作しかり、すべて堅次の書いた小説通りに行動する庸一。結婚して娘が出来て、ささやかな幸せを感じている時に持ち込まれたのが、「深海の巣」と題した作品だった。それは妻を偽装殺人する内容だった......。

 偽装殺人の真偽もさることながら、自殺したはずの弟との奇妙な共謀関係は真実なのか。最後まで何が真実なのかわからない混沌に読者は突き落とされる。偽「私小説」と思い読んできたら、どこかで何かが狂っていた、そんな宙吊りにされたような感覚に襲われる。

 だが、思いもよらず読後感は爽やかだ。その理由は明かさないでおこう。大変な傑作であることは間違いない。

 著者の岩井圭也さんは、1987年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。2018年、『永遠についての証明』で第9回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、デビュー。ほかの著書に『夏の陰』がある。

  
  • 書名 文身
  • 監修・編集・著者名岩井圭也 著
  • 出版社名祥伝社
  • 出版年月日2020年3月20日
  • 定価本体1600円+税
  • 判型・ページ数四六判・311ページ
  • ISBN9784396635848
 

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