現代の私小説の第一人者、西村賢太さんのファンにはたまらない本が出た。本書『羅針盤は壊れても』(講談社)は、体裁からして心をくすぐる。最近珍しい函付きの上製本。著者たっての願いが実現したそうだ。
4つの中短篇が収められているが、うち「廃疾かかえて」など2篇は既刊本からの再録・再編集したもの。2篇が新作だ。新旧の作品を合わせて本にするのは珍しいが、かつてはよく行われたこと。奥付の体裁もレトロ感を意識している。
表題作「羅針盤は壊れても」は、著者の分身的主人公、北町貫多が22歳、平成2年(1990年)頃の日常を描いた中篇。中学の同級生らが大学を卒業し社会人になる春だが、中学を出て以来、日雇い仕事をやって食いつないできた貫多は「負け犬」を自覚する日々を送っていた。
味噌の訪問販売のアルバイトでひといきついていたが、いつまで続くかわからなかった。「心の止血剤」として必要なのが、私小説を読むことだった。なかでも田中英光は格別で、「田中英光を知っている自分」を誇りに思うようになっていた。そして彼を手本に私小説を書き始める。
ある日、早稲田の古本屋で『石川近代文学全集5』という本に、かすかに記憶のある名前を見つけ買い求めた。「大正文壇に一閃の光芒を残したまま、行路病者として消えた不思議な作家」藤澤清造との出会いだった。
その後、月命日には石川県七尾市の菩提寺まで通い法要を欠かさず、自室にはその卒塔婆をガラスケースに入れ保管し、全集(全5巻)刊行のため編集作業を進める、「清造まみれ」の人生を送ることになる西村さんだが、清造との出会いについてこれまで詳しく書いたことはなかった。なるほど、こういう鬱屈の中で、運命の作家に引き込まれたのだな、と納得した。
旧作「廃疾かかえて」ともう1篇には、彼女との同棲生活が描かれている。「秋恵もの」とでも呼んでみたいシリーズだ。けんかの中にも相互の愛着が感じられる佳作。彼女を連れて岐阜の古本屋まで出かける「瘡瘢旅行」もいい味を出している。新旧合わせて読むと主人公のその後がわかる仕組みだ。
西村さんの全著作リストと初公開作品を収めた8ページの折り込み付録も付いている。
本欄では西村さんの日記『一私小説書きの日乗 新起の章』(本の雑誌社)も紹介済みだ。
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