本書『裁判員制度は本当に必要ですか?――司法の「国民」参加がもたらしたもの』(花伝社)は裁判員制度の経過と現状を振り返り、改めて問題点を問いかけたものだ。著者の織田信夫さんは1933年生まれ。判事補を経て弁護士。仙台弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長などの要職も務めてきた。一貫して制度廃止を訴え続けてきた弁護士として知られる。
本書はまず、寺田最高裁長官の「新年のことば」を引用する。2016年は、「施行から八年目を迎える裁判員制度が、国民の高い意識と誠実な姿勢に支えられて概ね安定的に運用されており、刑事司法の中核的地位を占めるようになっています」。ところが17年は、「施行から九年目を迎え、国民の高い意識と誠実な姿勢に支えられて概ね安定的に運用されているとの評価を得ている裁判員制度・・・」という言い回しにトーンが変わっている。
この二つの「新年のことば」の違いを織田さんは分析する。16年の場合は、長官自身による制度評価が述べられているが、17年は自身の評価ではなく、「誰とは特定せず或る者からそう評価されているという表現になっている」。わずかな表現の違いだが、内容は大きく変わっているというわけだ。
裁判員制度は司法制度改革審議会の2001年の意見書によって提案され、04年5月に法律として公布、09年5月から施行された。18年7月までに1万3000件余りの裁判が行われ、8万5000人ほどが裁判員あるいは補充裁判員になっているという。しかしながら、裁判員の辞退率(選定された裁判員候補者数に対する、辞退が認められた裁判員総数の割合)は年々上昇し、出席率(選任手続日に出席を求められた裁判員候補者数のうち、現実に選任手続日に出席した裁判員候補者数の割合)は年々低下している。
17年5月21日の各紙には「裁判員の辞退者増64%」(朝日新聞)、「冷める関心――出席率低下」(河北新報)などの記事が出た。その一年前の朝日には「裁判員候補者4割が無断欠席」という記事も出ていた。
現在の裁判員制度は、衆議院議員の選挙権を有する者から、くじで選ばれる。一定の除外事由に該当しない者は全員裁判員になる義務がある。定年退職者ならまだしも、会社勤めなどをしていたら負担になる。しかも一生懸命やった結果が、常に報われるとは限らない。あっさり上級審で覆されることもある。
本書ではオウム真理教の菊地直子被告(当時)に関する裁判を紹介している。殺人未遂と爆発物取締罰則規定違反幇助罪で起訴されていた。14年6月30日、東京地裁の裁判員裁判で、懲役5年の有罪判決。15年11月27日、東京高裁で控訴審があり、無罪判決。検察が上告したが、最高裁は17年12月25日、決定でその上告を棄却し、無罪判決が確定した。
高裁も最高裁も一審判決について「間接事実からの推論の過程が説得的でない」とし、一審判決が説示する間接事実の積み重ねによっては、殺人未遂幇助の意思を認定することはできないと判断している。最高裁決定は「各証拠の持つ重みに応じて、推認過程等を適切に検討することが求められる」と厳しい。
織田さんは、最高裁判決が、司法研修所でも教えないような「推認過程の全体を把握できる判断構造」まで要求していることに驚く。くじで選ばれた裁判員にそんな高度な作業ができるはずがないというわけだ。「今回の最高裁判決は裁判員裁判の事実認定に関する制度的能力の限界を示したものであり、この点からしても裁判員制度の存在意義はなく、かかる制度は本来の刑事裁判の在り方に照らしても、廃止されなければならない」と強調している。
裁判員裁判制度がなぜ急に導入されたのか。行政改革、規制緩和などの流れとともに、「国民は国家に甘えてばかりいてはいけない。国家の仕事に関与し責任を持つという意識を醸成し国家に奉仕しなければならないという、個人主義から国家主義への変貌の構図が透けて見える」と指摘する。
外国では陪審員の制度や参審制があるが、それらの成り立ちは、各国で個別の事情があると説明する。日本とは真逆で、市民の側からの強い要求に基づくところが少なくないという。また、米国の陪審員制度は、冤罪が多いとも書いている。
織田さんのように、裁判員制度を批判する法曹関係者は少なくないようだが、裁判所の内部では、「制度を表立って批判したらとても裁判所に居られないような雰囲気」なのだという。これは最高裁にも勤務経験がある瀬木比呂志・明治大学教授が『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)で書いていることの引用。同書はBOOKウォッチで紹介済みだ。
司法制度改革審議会の改革案が具体化したものとして、裁判員裁判のほかにも、司法試験改革がある。こちらも結果は芳しくない。『大学改革の迷走』 (ちくま新書)によれば、04年度は7万3000人近い志願者があった法科大学院は、18年は7800人程度に落ち込んでいる。実際の入学者も、最初の5年間は5000人台を維持したが、09年以降は急減、18年度は1600人程度。ピーク時に74校あった法科大学院は次々と閉校に追い込まれ、半減している。同書によれば、募集停止に追い込まれた大学はホームページで「深くお詫びします」などと謝っているが、政府側からは、制度破綻の責任を認め、謝罪する文言はない。
織田さんも書いている。「裁判員制度施行後、一体、司法に対する国民の理解の増進はあったのか、司法に対する国民の信頼は向上したのか。制度を推進した人、賛成した人は、その問いに説得力のある論拠を示して回答してほしい」。
なお、日弁連自体は2001年、司法制度改革審議会の最終意見の公表にあたっての会長声明で、「裁判員制度」は「画期的な意義」、「法科大学院」も「大きな意義」があると称賛していた。
BOOKウォッチでは関連で『裁判官も人である』(講談社)、『原発に挑んだ裁判官』(朝日文庫)、『裁判所の正体』(新潮社)なども紹介している。
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