中世の地図、失われた大伽藍や城の絵図、合戦に参陣した武将のリスト、家系図......。これらは貴重な史料であり、学校教材や市町村史にも活用されてきた。しかし、すべて後世、たった一人の人物によって創られたものだとしたら......。椿井政隆(つばい まさたか、1770~1837)が創り、近畿一円に流布し、数百点にも及ぶ日本最大級の偽文書。本書『椿井文書』(中公新書)は、その全貌に迫る衝撃の書である。
偽書として有名なのは「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」である。古代の東北に未知の文明があったとする荒唐無稽な内容で、完全に否定されている。偽書と聞いて、そのようなものか、と思ったが、随分事情が違っていた。
著者は大阪大谷大学文学部准教授の馬部隆弘さん。専攻は日本中世史・近世史。馬部さんが、椿井文書の存在に気が付いたのは、大阪大学大学院の博士課程に進学し、大阪府枚方市の市史担当部署で非常勤職員としてつとめはじめて1年余りがたったころだという。
津田城という枚方市を代表する山城の歴史を調べるうちに、中世の城ではなく、近世に津田村の村人が創作した由緒に起源があると気づいた。市史には神社が所蔵する文書が掲載されており、原蔵者として近世後期の国学者である椿井政隆の名前が浮上してきた。調べてみると、周辺では似たような古文書が次から次へと見つかった。
なぜ椿井文書は見過ごされてきたのか、あるいは研究者は偽文書と知りながら無視してきたのか、そして受け入れられてきたのか、本書は以下の構成で、その謎に迫る。
第1章 椿井文書とは何か 第2章 どのように作成されたか 第3章 どのように流布したか 第4章 受け入れられた思想的背景 第5章 椿井文書がもたらした影響 第6章 椿井文書に対する研究者の視線 終章 偽史との向き合いかた
本書の扉に収められたいくつかの絵図を見ると、なかなかに壮麗だ。椿井文書は差出人を偽装した偽文書だけではなく、由緒書や系図、絵図も多い。しかも同一人物による作ではないようにいくつかの筆跡を使い分けているという。そのうえ、近江、山城、大和、河内と各地に大量に分散している。大量にありながらも単一の作者であるという点、古代史・中世史の多くの研究者の目をだましてきた点に椿井文書の特殊性がある、と指摘している。
史料が限られる中世と史料が豊富に残る近世の壁を利用し、既存の記録に何かを足して、「あらまほしき」内容にするのが偽造の手口だった。山の帰属をめぐり争っている村などから需要もあったという。
その一方で、あえて偽文書を完璧にしないようにしている節もあった。
「その真意ははっきりしないが、法に触れるような事態が生じた場合に備えて、戯れで作ったものと言い逃れできるように予防しているのではないかと推察される」
椿井文書の影響は、さまざまなところに残っている。大阪府の史跡である枚方市の伝王仁(わに)墓。百済から来朝したという王仁博士の存在すら不確かなのに椿井政隆が著した「王仁墳廟来朝紀」が史跡指定された根拠の一つになった。真正な古文書として一度利用されてしまったので、払拭できないのだそうだ。
なぜ椿井文書は受容されてきたのか。研究者は偽文書の存在に気がついても、それを分析するのは研究上あまり意味がないので黙殺してきた。黙殺したという情報は共有されないまま、椿井文書を活用する研究が続発したのだ。
また、自治体史は市民も対象にしているので、図版が豊富になるよう編集される。椿井文書の絵図はいかにも見栄えがするので、しばしば利用されることとなった。
それでは、馬部さんは椿井文書を全否定するかと言うと、そうではない。近世の人々のかくあってほしい、という歴史に沿って創られたものだから、近世の精神世界を描く素材としての可能性を秘めているという。悪者扱いするのではなくファンとして愛情を感じている、と結んでいる。
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