今年も「3.11」が近づいてきた。本書『「江戸大地震之図」を読む』(角川選書)は、安政の大地震を主題にした有名な絵巻についての論考だ。絵巻は長さ約10メートル。地震の発生から混乱、復興ぶりを、江戸の特定地区を定点観測するような形で丁寧に描いている。誰が何のためにこの絵巻をつくったのか。なぜ、ほとんど同じ絵巻が2種類あるのか。
一つは「江戸大地震之図」と呼ばれている絵巻だ。いわゆる島津家文書(平安時代から幕末維新期まで1万5000点を超える歴史史料)に含まれていた。文書全体が2002年に国宝になっている。絵巻はその白眉だという。本書では「島津本」としている。東京大学史料編纂所が所蔵している。
もう一つは「安政大地震災禍図巻」。こちらは近衛家に伝わったものだ。所有者が変わり、現在はアイルランドのチェスター・ビーティー図書館に所蔵されている。本書では「近衛本」としている。どちらも同じ場所をほぼ同じように描いている。今風に言えば、一方が他方をコピーしたかのようだ。
安政の大地震は1855(安政2)年10月2日(11月11日)の夜中に発生した。震源は東京湾北部付近など諸説ある。マグニチュード7程度、最大震度6の直下型地震だったと考えられている。江戸では1703(元禄16)年以来約150年ぶりの大地震だった。老中や若年寄など幕閣の中枢を担った大名の上屋敷も軒並み倒壊、焼失した。
江戸は約7割が武家地。残りの3割を町民地と寺社地が分け合っていた。犠牲者数はそれぞれの場所ごとに積算され、地震後2か月の時点で7095人という数字が残されている。
著者の杉森玲子さんは1969年生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東京大学史料編纂所准教授。専門は日本近世史。2017年より東京大学地震火山史料連携研究機構准教授、19年より東京大学史料編纂所附属画像史料解析センター准教授を兼任している。
杉森さんによると、これまで両方の絵巻とも、もっぱら地震を主題とする絵画作品として注目され、絵画史料としては検討されてこなかったという。つまり、この絵画がなぜつくられたのか、なぜ2点あるのか、幕末の政治・社会状況との関連はあるのかなどの論考が乏しかったということだろう。実際のところ両作品には、奥書や落款、詞書もなく、制作された事情がよくわからなかった。
そこで、杉森さんは丹念に作品を観察し、手掛かりを探す。そしてある結論に達する。この絵巻づくりを注文した人物、描いた絵師などについても推論している。絵巻の中には意外な人物も描かれている。ネタバレになってしまうので、本書を実際に読んで確認していただきたい。説得力のある謎解きだと感心した。大河ドラマ「篤姫」を見ていた人なら、背景の事情も含めてすんなり理解できるに違いない。とにかくこの絵巻は、単に地震の被害状況を記録したものではなく、もう一つ大きな意味合いを持っていた、というのが杉森さんの分析だ。
江戸を襲った安政の大地震前後には、日本各地で地震が相次いだ。ペリーの初来航は1853年。地震の前々年だった。京都では内裏が火災で炎上した。いろいろな難事が重なり、幕府はてんてこ舞いだったはずだ。
本書は以下の構成になっている。
はじめに 絵画史料として読む「江戸大地震之図」 第一章 にぎわう町並み 第二章 冠木門を構える屋敷 第三章 雪の中の行列 第四章 島津家と近衛家 第五章 大名屋敷と江戸城 第六章 絵巻の制作と伝来の経緯 第七章 混乱する江戸 第八章 復興への歩み おわりに 絵巻が語る幕末の政治と社会
著者は関連史料や先行書などを参照しながら、絵巻に描かれている屋敷や通りを特定している。近隣同士でも被害状況に差があることなどが精査されている。本書には、カラー版の絵巻物のほか、モノクロで部分の拡大図、さらには当時の地図なども掲載されているので、理解が進む。江戸探訪や古地図ファンにはたまらないだろう。地震がらみでは以下のような記述もあった。
・地震当日の消火活動はほとんどできなかった。 ・町会所は地震直後から握り飯を配り、続いて窮民を収容する「御救小屋」も設けた。 ・過去の大火の経験などから、1000坪の仮小屋を半日でつくれる仕組みを用意していた。資材を備蓄していた。 ・地震の2日後には、江戸の地図に出火場所を色付けしたものが売り出され、摺りが間に合わないほど売れた。 ・家業を長く休んでは大勢が難儀する。町奉行や町役人が休むように指示したと言いふらしているものがいるが、そうしたことは一切ない。商売をいわれなく休む者がいたら、厳しく対応するという指示が出た。 ・一日に3000人規模の人々が、町ごとに列をなして町会所に米を受け取りに行く状況が1か月以上つづいた。 ・富裕な町人が金や米を配ったり、寺院や武家による施行も広くみられた。 ・材木費や職人の手間賃の高騰で家の修理が滞った。
いずれも現代にも通じるようなエピソードだ。なかでも、「地震翌々日には、大道の食物商人は10倍の値段で売っている」などはナットクだろう。「商人でなくても賢い者は、年齢や男女に関係なく、思い思いに食べ物をこしらえて道端に立っており、あやしい駄菓子、寿司見世、かん酒の類は数えきれない」。今回のマスク転売などとも重なる。
『近世の巨大地震』(吉川弘文館)によると、安政大地震は今の都心や下町東部の被害が大きかった。最も死者が多かったのは深川地区だ。地震の場合、被害地域は限定的なので、被災地外からの支援は可能だった。立川あたりでは半壊の家はなかったという。
BOOKウォッチで紹介した『感染症の近代史』(山川出版社)によると、地震3年後の58年には江戸で初めてコレラが流行、約2か月間で2万8000人が死んだという。現在の東京の人口を基準にすると20~30万人が短期間で亡くなったことになる。その後の明治時代には何度も数万人以上の死者を出す大流行があった。今日でいう感染症だ。地震のように一過性ではなく、汚染地区も限定されない。地震に比べて声高に語られることが少ない気がするが、相当のパニックがあったのではないだろうか。
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