「世界かんがい施設遺産」をご存じだろうか? 100年を超えて存続している歴史的かんがい施設の保護保全を目的に、国際かんがい排水委員会(ICID)が認証・登録する制度で、現在世界で91施設が登録されている。日本は最多の39施設が登録されている。対象となる水利施設はダム、貯水施設、堰、用水路、水車、はねつるべ、排水施設などだ。本書『日本が誇る世界かんがい施設遺産』(東方通信社 発行、ティ・エー・シー企画 発売)は、全国に散らばる39施設を紹介する初の総合的なガイドブックだ。
香川県の満濃池や愛知県の明治用水のような有名なものから、地域の人しか知らないような堰、用水路まで登録施設を取り上げている。それぞれ概要、歴史、特産品、「水のある風景」の項目で構成され、カラーの地図や写真もふんだんに使われている。監修の佐藤洋平・東京大学名誉教授は、国際かんがい排水委員会日本国内委員会委員長。
39すべてにふれることは出来ないので、評者が興味深く感じたいくつかを紹介しよう。
一番北にあるのは、青森県の津軽平野にある土淵(どえん)堰だ。今は水田や畑がひろがる穀倉地帯だが、400年前までは荒涼とした原野だった。江戸時代に津軽藩が農民とともに岩木川から16キロの堰を引いた。昭和以降も国営事業で整備を進めてきた。現在は「津軽富士見湖」の愛称で知られる、堰堤の長さ日本一の大溜池もある。
関東では、埼玉県の見沼代用水が有名だ。8代将軍・徳川吉宗の命で国家的プロジェクトとして開削された。利根川から取水し、幹線延長約80キロの用水路が江戸の経済を支えた。
河川を横断するための「伏越」(逆サイフォン)や水路橋である「掛渡井」、また閘門式運河「通船堀」など当時の最先端技術が使われた。「通船堀」ではかつての舟運の様子を再現するイベントも行われている。
このように、かんがい施設遺産は江戸時代の新田開発によってつくられたものが多いようだ。
関西では、大阪狭山市にある狭山池の歴史の古さに驚いた。約1400年前につくられた日本最古のダム型式のため池だ。『日本書紀』や『古事記』にも記述はあるが、実際の築造年代は平成の大改修で明らかになった。池の斜面で発見された須恵器の窯跡や樋に使われた木材の年代測定から、聖徳太子の時代にあたる7世紀初頭の616年(推古天皇24年)頃ではないかと推測されている。
奈良時代には行基、鎌倉時代には僧・重源、その後、豊臣秀頼のもとでと何度か修理、改修が行われてきた。大正と平成にも大改修が行われ、2015年には築造以来1400年もの間、守り伝えられてきた文化遺産として国の史跡指定を受けた。
歴史の古さでは、1300年前に築造されたとされる香川県の満濃池も負けてはいない。弘法大師・空海が唐で学んだ土木技術を使い、一度決壊した池を再築した。その後も決壊と再築を繰り返してきた。現在は「国営讃岐まんのう公園」の中心として整備され、多くの観光客にも親しまれている。
決壊と言えば、愛知県犬山市にある入鹿池の惨事も紹介している。江戸時代につくられた巨大なため池だが、1868年(明治元年)の長雨で堤体が決壊し、土石流が下流の集落を襲い、約1000人もの犠牲者を出した。渇水を克服して多くの実りをもたらした、かんがい施設だが、逆に水害をもたらす恐ろしい一面があることを忘れてはいけない。
ところで、このたび本書が刊行されたのは、2020年10月19・20日に熊本市で「第4回アジア・太平洋水サミット」が開催されることも背景にあるようだ。牧元幸司・農水省農村振興局長が「おわりに」の一文を寄せている。これらの施設は国や自治体がかかわっているものもあるが、ほとんどは農家自身がつくる「土地改良区」が管理している。農家が主体的に事にあたる日本のようなスタイルは独特だという。
ちなみに開催地の熊本県には、通潤用水、幸野溝・百太郎溝水路群、菊池のかんがい用水群、白川流域かんがい用水群と全国最多の4つの登録施設がある。
本書がガイドブック風に編集されているのは、観光資源としてかんがい施設に目を向けてもらいたいという意図がある。たしかに自然の川とは違う、人工的な構造物である用水路などには歴史や先人の知恵があり、観光スポットとして未知の魅力があるかもしれない。
しかし、これらは現役の施設であり、用水は水量も多く流れも速いので、くれぐれも事故のないようにしたい。
国土交通省は近年、「ダムカード」を積極的に発行し、ダムに萌える「ダム女子」が増えた。それに対抗した訳ではないだろうが、農水省が推す「世界かんがい施設遺産」。「用水女子」も現れるだろうか?
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