太田垣士郎(1894-1964)と聞いてもわからない人がほとんどだろう。石原裕次郎が主演した映画『黒部の太陽』(1968年)の舞台となった黒部川第四発電所(通称黒四)の建設を決断し完成させた関西電力の初代社長である。本書『胆斗の人』(文藝春秋)を読み、「戦後を代表する名経営者と評された太田垣に長い苦難の時代があったことを初めて知った。本書に沿って、その生涯を少したどってみよう。
兵庫県の現在の豊岡市の町医者の長男に生まれたが、幼い頃に誤って鋲(びょう)を飲み込み、生涯病弱な体質になった。20歳で旧制中学を卒業するなど人よりも遅い進学となった。26歳で京都帝国大学経済学部を卒業、日本信託銀行証券部(現在の大和証券)に入社するが、会社に無断で相場を張り、給料を差し押さえられる始末。上司とともに阪急電鉄に移った。
当時の阪急は沿線の宅地開発、宝塚歌劇団や百貨店による集客と、その後の私鉄経営のモデルをつくった小林一三が社長だった。31歳の新入社員への小林の評価はそれほどでもなかったという。小林が東京電燈(東京電力の前身)再建のため、大阪を離れた時期は太田垣にとって不遇の時代だった。36歳で子会社のバス会社の支配人へ転出、その後は宝塚歌劇の担当となった。ある時、大阪に帰っていた小林と電車で一緒になった。小林に車内に居合わせた歌劇団の生徒の名前を聞かれ、わからないとこたえると叱られた。それからは懸命に舞台を見て、生徒の名前と顔が一致するようにした。「下足番を命じられたら日本一の下足番になってみよ。誰もその男を下足番にはしておかないから」という小林の言葉を肝に銘じたという。
その後、阪急百貨店の勤務となるが、営業部長心得から営業部次長に降格された。心を鎮めるため学生時代に通った禅をふたたび始め、「不動心」を養った。生活は質素で、かなり後年まで洋服ダンスも家になかったという。
太田垣が電力にかかわるのはまだ先のことだった。戦前の日本は五大電力の時代だった。東京電燈、名古屋を中心とする東邦電力、大阪地盤の大同電力、黒部川に発電所を持つ日本電力、京都で設立された宇治川電気の五社が入り乱れていたというから、地域独占が崩れた現代をある意味先取りした状況が続いていた。
ところが戦時体制となり、国の指導で統制経済が敷かれ、1938年、半官半民の日本発送電株式会社(日発)が設立され、発送電は全国が一元的に管理されるようになった。また配電は地域ごとに、全国九つの配電会社に統合された。
一方、太田垣がいた阪急は1943年、鉄道省の指導で京阪電鉄と合併(戦後ふたたび分離)、「京阪神急行電鉄株式会社」となり、太田垣は取締役・西部運輸局次長となった。
そして敗戦。労働組合運動が高まり、旧経営陣の退陣を要求。出世が遅れていた太田垣は常務、そして1946年、社長と一気に昇格する。上の世代がいなくなり、源氏鶏太が小説『三等重役』に描いた通りの展開だった。
組合との徹夜の労使交渉も辞さない気迫に「阪急に太田垣あり」と評判を呼び、労使問題の解決には、「怒らず、焦らず、恐れず」という不動心が大切と語ったという。
電力業界も戦後、GHQの指導で再編される。「電力の鬼」と言われた松永安左エ門(東邦電力社長)や吉田茂首相の懐刀、白洲次郎らが入り乱れ、新しい体制づくりの主導権を争う。結局、日発は解体され、発送電の一貫した9つのブロックの会社が設立された。この時、黒部峡谷が北陸電力でなく関西電力に所属したのは、日発の現有設備を「地区ではなく消費地別に分けようという考え方をとった」からだという。黒部川は「関西系」の日本電力が戦前に開発を進めていたので、上流は関西電力、下流は北陸電力と水利権が異なるようになった。
電力の大口消費者である電鉄会社の経営者であり、関西配電の取締役でもあった太田垣は、関係者にくどかれて1951年、初代関西電力社長となった。
当時は電力不足の時代だった。節電はもとより、一般家庭では週3日の「休電日」、さらに昼間の停電という事態も。それを解消するために、火力発電所、水力発電所の増設に力を注いだ。その仕上げが黒四だった。
ダム建設の資材搬入のため、北アルプスを貫く大町トンネルの工事で、もろい地質の破砕帯にぶち当たり、大量の出水が続き、工事は難航した。普通なら1週間で掘れるわずか85メートルに7カ月を要した。太田垣はトンネルの一番奥まで行き、現場の作業員をねぎらった。1963年、黒四ダムは竣工。すでに太田垣は社長を退き、会長となっていた。
阪急で鍛えられ、電力会社の初代社長として会社を発展させた太田垣だが、黒四の完成を小林一三(1957年没)に見てもらえなかったのが心残りだったようだ。ある意味で、彼はいい時代の電力業界のリーダーだった。日本の戦後復興とともに電力需要は伸び、発電所を増やして供給も増やした。右肩上がりに業績は伸びた。東京電力の原発事故以降、電力会社の経営は、電力の自由化も重なり厳しい時代となっている。
本書は、富士銀行、みずほ証券を経て、退職後は作家活動をしている北康利さんが「電気新聞」に連載したものを加筆修正した。戦後の電力業界の再編にもかかわった白洲次郎の評伝『白洲次郎 占領を背負った男』(山本七平賞)も出しており、ふさわしい著者であろう。電力業界の戦前、戦中、戦後の複雑な成り立ちを知るのも今後の参考になるだろう。
阪急の小林一三の業績について、本欄では『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』を紹介している。
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