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三島由紀夫に書き直しさせた! 浅利慶太はスゴすぎる

時の光の中で

 先ごろ亡くなった演出家の浅利慶太さんは、実像がわかりにくい人だった。ニュースキャスターの筑紫哲也さんは、浅利さんのミュージカル「李香蘭」を観て、「(思想的に)右の人だと思っていたら、左だったんですね」と感想を述べたという。

 すぐれた分析力で知られた筑紫さんでさえ、はっきりつかめなかった浅利さんの本当のすがた。いったいどういう人だったのか。浅利さん自身が書いた『時の光の中で―劇団四季主宰者の戦後史』(文春文庫)を読むと、その一端がおぼろげに浮かび上がってくる。

マルチに越境する活動

 「劇団四季」を立ち上げて成功させ、日本にミュージカルを根付かせたというのが浅利さんの最大の功績とされる。したがって、その意味では浅利さんは、新聞社では文化部記者がカバーすべき重要な演劇人だ。しかしながら、よく知られているように、中曽根康弘首相のブレーンでもあり、中曽根―レーガンの日の出山荘対談を実現させるなど、自民党政権の黒子役としても活躍した。本書では佐藤栄作首相と親しかったことも詳細に明かしている。その意味では政治部記者が裏話を聞くべき取材対象でもある。

 そして冒頭の「李香蘭」。加えて「異国の丘」「南十字星」のミュージカル3作品は「昭和の歴史三部作」と呼ばれ、日本がなぜ戦争に突き進んだのか、そこで何が起きたかを中国側などからの視点も交えて複眼的に描いて注目された。中国でも上演され高い評価を得ている。

 一般にミュージカルは「歌って踊って」の楽しい作品が多いが、この三部作は「負の歴史」に取り組んでいる。日本人にとっては「苦いミュージカル」だ。現代史を考えるうえで社会部記者や外報・国際部記者も見ておくべき作品といわれている。

 このように文化部、政治部、社会部、外報部と、仕事ぶりが新聞社の各部にまたがる演劇人は、浅利さんぐらいだろう。長野五輪の開会式や閉会式の演出を担当したということでは、スポーツ部にとっても縁がある。

 逆の見方をすれば、文化部記者からすると、政治にも関与する胡散臭い演出家であり、他の部の記者からすると、演劇人のくせに、こっちにまで出しゃばってくる、目立ちたがり屋の鼻持ちならない人物ということにもなりかねない。浅利さんの「悲劇」は、そうしたマルチに越境する活動を、メディアの側できちんと受け止めることができなかったことによるのかもしれないと思ったりもする。

「小澤征爾ボイコット事件」の舞台裏

 本書は浅利さんが自らの「戦後史」を綴ったものである。「秘密は墓場まで持って行けと言われていたが、少しだけ明かした」と書いてあったような気がする。

 まず文化記者にとって興味深いのは、「小澤征爾ボイコット事件」の舞台裏だろう。海外の指揮者コンクールで1位になり、日の出の勢いだった小澤氏は1962年、ニューヨーク・フィルの副指揮者に抜擢され、翌年NHK交響楽団の客演指揮者にも招かれる。ところが、伝統を誇るN響の楽団員たちは「指揮に疑問が多い」と事務局に申し入れ、小澤氏をボイコットしたのだ。今では考えられない大事件だ。小澤氏は思い上がった若造なのか。それともN響が尊大なのか。浅利さんは小澤氏と親しく、この事件の収拾で奔走する。

 中止が決まっていた公演当日、浅利さんは小澤氏に燕尾服を着せて会場の東京文化会館に行かせた。もちろん楽団員は一人もいない。譜面台の前で立ち尽くす27歳の小澤氏。すでに新聞社には手配済みだった。カメラマンがシャッターを切る。夕刊各紙に「天才は独りぼっち」の記事。この日を境に世間の目もマスコミの論調も180度変わった。浅利さんの「演出」が成功したのだ。

 本書では、もともと浅利さんが、ミュージカルには関心がなかったことも明かしている。フランス演劇出身の浅利さんは「セリフの途中で突然歌い出すなんて、白々しくて見てられない」。ところが、ブロードウェイで「ウエストサイド・ストーリー」を知って宗旨替えした。そしてNYでオーディションしてキャストを決め、日本公演の準備を進める。1964年のことだ。

 ところが直前になって、とんでもない不手際に気づいた。「外貨」の持ち合わせがなかったのだ。当時は大蔵省によって、「外貨枠」が規制されていた。新参の組織には割り当てがない。このままではキャストにギャラが払えない。そこで人づてに、当時の田中角栄大蔵大臣に会いに行く。角さんは話が早い。「わかった」と言って担当課長を呼びつけ、特別枠の設定を指示した。たった5分だったという。日本最初のブロートウェイ・ミュージカルの公演は田中角栄の力で実現したと強調している。本書ではさらなる内情も書かれている。「政治」に関して特別の人脈を持つ浅利さんでなければできなかった芸当だとわかる。

「俺は一行も変えないよ」と三島が言う

 いちばん面白いのは三島由紀夫とのやりとりかもしれない。浅利さんが日生劇場の仕事もしていたころの話である。「三島さんはエエ格好しいである」「プライドの高い人だから悪口は言われたくない」と人物像を記す。こんなことを臆せず書けるのは浅利さんぐらいだろう。

 書き下ろしの芝居『恋の帆影』を上映するときのいきさつが笑える。「君はなにかと言うと作家に書き直しを要求する演出家らしいが、俺は一行も変えないよ」と三島が言う。浅利さんは出来栄えに不満だったが、とりあえず原作のまま稽古を始める。その様子を時々見に来て、三島が次第に心配そうな表情に変わる。「おい、君が演出上の都合で...少し直してほしいと思っているのなら...、話だけは聞いてやるぞ」。

 「では言わせていただきますが...、ここのところです」。浅利さんの修正案に、三島がどんどんのめり込んでくる。やりとりを続けているうちに、三島がバタッと台本を閉じた。「おい貴様! お前は俺に全部書き直せと言ってるんだな!」。この後の展開は本書を読んでのお楽しみとしておこう。

 浅利さんは三島のことを「柿の木」にたとえたことも明かしている。「甘い柿」のときも「渋い柿」のときもあると。さるパーティの酒席でのことだ。それを聞いた安倍公房がちょうど通りかかった三島に教える。顔色が変わった。「なんだと貴様、俺の芝居はみんな素晴らしいんだ。貴様が解らないだけだ」。以後、しばらく口を利いてもらえなかったという。

経営なくして芝居なし

 政治家で言えば、佐藤栄作、中曽根康弘、田中角栄、竹下登、蒋介石、周恩来。財界人では東急の五島昇、財界四天王の一人だった水野成夫、野村証券の奥村綱雄、三井不動産の江戸英雄、電通の成田豊らの名が本書では登場する。浅利さんほど政財界の有力者と太いパイプを持った演劇人はいないだろう。

 浅利さんの父親は、日本の演劇の原点とされる築地小劇場の発足メンバー6人のうちの一人だった。何かと美しく語られる築地小劇場だが、一晩の観客は300人に達しなかったという。経営的には苦しかった。本書でわざわざ創立者・小山内薫の遺言まで引いて、そのことに触れている。浅利さんの見方は厳しい。インテリが主導し、時代の民衆が求める演目をやってなかったというのだ。

 浅利さんは商業演劇のかたわら、「美しい日本語」を小学生に教えるボランティア授業や、「いじめ」を扱った「ユタと不思議な仲間たち」に児童を招待する巡回公演するなどの「運動」にも取り組んでいた。「美しい日本語」では千クラスの授業、「ユタ」には25万人の児童を招待した。晩年は、自分のやりたいプロデュース公演にも力を注いだ。「劇団員千二百人の生活を安定させ、不安のないようにしつつ『運動』も続けるには、ビジネスの方も手を抜くわけにはいきません」と本書で書いている。

 華麗なる政財界人脈。三島作品にもダメ出し。父が関係した築地小劇場やその流れをくむ戦後の新劇とは違うやり方で演劇を革新し、観客を本当に納得させ満足させる。経営なくして芝居なし。時には恥さえも耐えなければならない。それが「築地小劇場」の教訓であり、浅利さんの信念だった。

  • 書名 時の光の中で
  • サブタイトル劇団四季主宰者の戦後史
  • 監修・編集・著者名浅利 慶太 著
  • 出版社名文藝春秋
  • 出版年月日2009年1月 9日
  • 定価本体581円+税
  • 判型・ページ数文庫・293ページ
  • ISBN9784167753412

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