梶芽衣子といえば、多くの人が思い浮かべるのは、テレビの人気時代劇シリーズ「鬼平犯科帳」の密偵、おまさ役だろう。シリーズは28年間続き2年前に幕を閉じた。鬼平終了を受け、また70歳になったのを機に梶は昨年、新しいチャレンジとして歌手活動を再開、そして初めての自伝『真実』(文藝春秋)をこのほど上梓し、おまさ以前、梶芽衣子の名を成した「野良猫」「さそり」「修羅雪姫」の時代を振り返った。
「非行少女と囚人で終わってしまう」と悩んだ日活~東映時代、共演した俳優や監督たちの知られざる素顔、結婚寸前での破局、非道な裏切り...。梶は本書で自分について「とことんやらなければ気が済まない性分」と繰り返しているが、この自伝でもそれは十分に発揮されている。
鬼平が始まったのは1989年。巻末に添えられたデビュー以来の映画・テレビドラマの出演歴をみると90年代に入ってからは、リストのほとんどが鬼平か、池波正太郎原作シリーズとして同じ枠で放送されていた「剣客商売」で占められている。五十数年にわたる女優生活の半分以上は、池波作品を演じて過ごしてきたのだが、本書の大半は、それ以前のことに費やされている。
高校生のときに街でスカウトされモデルを始め、日活で映画デビュー。石原裕次郎、吉永小百合らの主演作など数々の作品に出演したほか、青春もので自らの主演作も。非行少女を演じた「野良猫ロック」シリーズは日活を離れるきかっけになったという。東映に移り「女囚さそり」などのシリーズでレギュラー、主役を務め、ブレークしたものだ。
フリーとなってから、映画「修羅雪姫」シリーズで主演。同シリーズは後に、クェンティーン・タランティーノ監督が自らの作品「キル・ビル」(2003年)の制作で大きな影響を受けたことを明かしたことでも知られる。タランティーノ監督は来日した際に、梶に対する思い入れをまくし立てたものだが、本書では同監督がどうして熱狂的な梶ファンになったかについて触れている。
そして、勝新太郎と高倉健が共演した唯一の作品「無宿(やどなし)」に縁あってお呼びがかかり貴重な体験もした。対照的なキャラクターの勝と高倉。「その対比はあざやかでした」と、それぞれとの思い出や秘話を明かす。
映画がそれまでのように振るわなくなるにつれて、テレビでの活動が多くなる。「寺内貫太郎一家」(1974年)などで、それまでのハードボイルド系からイメージを変え、ホームドラマもイケるキャラクターが浸透したものだ。
東映時代や「修羅雪姫」の梶芽衣子を知るファンにとっては「寺内貫太郎一家」の出演は、相当意外に感じたのではなかろうか。そもそも本人がオファーを「思いがけないもの」だったと明かしている。自分は邪魔者になるだけと強く辞退し続けたが、同番組の久世光彦プロデューサーはあきらめない。とうとう根負けする格好で梶は出演を決めたのだが、それは、日活時代に最も多く共演したという藤達也が恋人役でキャスティングされているのを知ったから。慣れないホームドラマへの不安が、戦友とも慕う藤との共演が分かって払拭され、一転、ノリ気になったものだ。
最後の「撮影所育ち」世代である梶は、映画界入りしてすぐに自己主張することの大切さを知り、とくに節目に際しては、しっかりそれを発揮してきた。そのためか、若いころから生意気とみられるようになり、心配した日活の同期、渡哲也に「お前な、女なんだから可愛いがられなきゃ駄目だ」と説教される。せっかくの忠告だったのに「あなたに言われたくない」と言い返してしまう。「そのぐらいの勢いでないとやっていられなかった」のだ。
東映に移籍した直後はテレビの仕事ばかりで、映画への思いを募らせていた。だが、「女囚さそり」(1972年)の主演オファーがきたときに、すぐに飛びついたりはしなかった。前作で「かっこいい役」と勇んで撮影に赴くと、実は自身では不向きと考えていたタイプの作品になったことがあり、だまされたという思いが強い。「女囚なんて嫌よ」。台本に目を通すと安っぽいエログロ作品になりそうな内容で、自分にはとてもできないと思っていたという。だが、女優のプライドがただスルーすることを許さなかった。原作の劇画に目を通すなどして、ヒロインの女囚が無言を貫く設定を思いつきプロデューサーに提案。それが受け入れられて制作に入り、映画はヒット。シリーズ化され4作が作られた。
しかし「さそり」のヒットは梶にとっては喜んでばかりはいられないことだった。1作目を終えたら女優業から退き結婚するつもりで、すでに婚約者とは一緒に暮らしていた。ところが、ヒットによって本人の意思とは関係なく2作目が決まる。撮影で生活が不規則になりがちで「やきもちが激しいほう」という婚約者との関係がこじれ、ついには別れることに。元婚約者は別れ際に「誰とも結婚するな。死ぬまで仕事を辞めるな」と告げ「はい、わかりました」と請け合ったという。
仕事としての映画をめぐっては、こうしたつらく悲しい思いのほか、悔しい思いもした。ある文芸作品の映画化に思いを募らせ、企画書をつくって映画会社に持ち込んだところ、それがその後そのまま、同社の企画として記者発表された。梶サイドには事前になんの連絡もなかったという。事後に映画会社の関係者から謝罪したい旨の連絡があったものの、当のプロデューサーは反省の様子もなく開き直りのような発言をして梶の神経をさかなでしたという。
ほかにも、サラリと書いてあるので読み流してしまうのだが、けっこうキワどい話が散りばめられているので、集中して読むことを薦めたい。ただ1970年代までの映画での共演者らとのかかわりは、さまざまエピソードが語られているのだが、鬼平などの共演者については、シリーズを終えてから間もなくまだ熟成がたりないのか、ほとんど触れられていない。本書の続編を願いたいところだ。
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